夜神夜子に会いたい
深夜二時、僕は目覚める。
『それなら深夜二時にここで待っていて……それから、私は夜行少女の夜神夜子よ。覚えていて。貴方にとって、これが夢じゃないなら』
あの言葉を皮切りに、僕らは逢瀬を繰り返している。それこそ毎日、一日だって欠かさずに「深夜二時」にあの場所へと通い続けているのだ。
二度目に会ったとき、彼女は心底嬉しかったらしく、僕が帰ってしまわないようにとずっと手を握っていた。
僕といるだけで、跳び上がるほど喜んでくれるのは初めてだった。だから、例え、夜中だろうと僕は彼女に会いに行くのをやめようとは思わない。
それでも、十二月初旬に丑三つ時の屋外へ繰り出すには、それなりの装備が必要だ。
Pコートを羽織り、ニット帽を被って、マシュマロタッチの手袋に、膝掛けにもなるマフラーはぐるぐる巻きで。あとは背中と腹にカイロを一枚ずつ貼付すれば、準備は万端。
「夜子、待っててね」
僕の部屋は一階にあるため、比較的脱走はしやすい。
玄関に靴を取りに行けば、一発でバレてしまうが、そこは抜かりない。彼女と初めて出逢った日に、学校の購買で運動靴を入手しておいてある。
音を立てないようそろりそろりと窓を開け、窓枠に跨がるとさっと靴を履いて、一足ずつ地面に足を下ろしていった。
ここを通過すれば難関はもうない。
ブロック塀を飛び越えると、いつもの雑居ビルへ駆けていった。
ビルの屋外に備え付けられている階段をカンカンと踏み鳴らして、屋上を目指す。四階分の階段を登り終えると、本来なら施錠されているはずの屋上へと続く扉が、カチャリと開いた。
「朝くん……!! おはよ」
扉の開ける勢いに反して、蛍の囁くような挨拶。
スノードロップを彷彿させるオフホワイトのワンピースには、胸元にポンポンがあしらわれていた。清楚な彼女らしい可憐な服装だ。肩くらいのふんわりとウェーブ状の白髪と相俟って、神秘的な雰囲気を醸し出している。
「うん、おはよう夜子」
そう返すだけで彼女はみるみるうち、透けるように白い肌を紅潮させた。
「朝くん、朝くん。今日はですね、甘酒を持ってきたんです!」
「いつもありがとう。夜子の持ってきてくれる、あったかい飲み物好きだよ」
「ホントですか!? えへへ、ありがとうございます……今日のはですね、なんと、手作りなんですよ!」
意気揚々と語る彼女の手には真紅の魔法瓶水筒が握られている。しかも、手袋すら嵌めていないせいでその手は霜焼けを起こしていた。
せっかくの白い手が……。
それだけで胸がきゅぅぅっと締め付けられて、我にもなく、彼女の手を両手で包み込んだのだった。
「ふぇ? どうしたんです、朝くん??」
どうして彼女は、まだ出逢って日も浅い僕に、これほど優しくしてくれるのだろうか。会う度に嬉しくなる反面、不安になっていた。友人さえ見捨てた僕なんかに……、
「……手作りだって言ったから、この手が頑張ってくれたんだと思って、労おうかなと」
我ながら酷い言い訳だった。急に手を離したのも不自然に思われるかもしれない。
けれども、彼女は疑いの眼差し一つ向けず、
「そうなんですね、朝くんは優しい人です。でも、お気になさらないでくださいね、これはわたしが朝くんに飲んでほしくて勝手に作ってきただけなので」
と微笑んだ。
「寒いですし、今淹れますね」と言うと、紙コップに注がれ、甘酒が湯気を立ち上らせながら僕の手元へとやってきた。
手作りだという甘酒は、糀の花が紙コップの中でゆらゆら踊り、甘酒特有の米麹の香りを漂わせる。
「いただきます」
冷蔵庫並みの寒さでも湯気が絶えない甘酒を一口飲むと、米の味わいが口中に広がり、喉がひりつくような甘さという余韻を残した。
「美味しいよ」
「ホントっ、ですか?」
本当だ。確かに癖のある甘さだが、その中に奥深い酸味や旨みを感じる。喉は渇くけれど、飲みたくなってしまう味だ。
「もちろん。酒粕の方は苦手だけど……米の方は甘くても、なんか優しい味だね」
そう答えると、何故か彼女は黙り込んでしまい、その後に僕の顔をそーっと眺めた。
「……朝くん、何かありましたか?」
「え?」
「だって朝くん、すごく痛そうな顔をしてます」
伸ばされた手は僕の頬を撫で、悲しむように目を伏せてしまう。
「そんなに、分かりやすかったかな」
彼女は首を左右に振った。
「ごめんなさい、朝くん。きっとわたしのせいですよね。わたしがこの時間しか会えないせいで、朝くんは……」
あるはずのない耳をしゅんと、窄めさせる様は超小型犬のマルチーズさながらだった。円らな瞳は涙に濡れ、ゆらゆらと輝く。彼女は心から自分のせいだと思っているようだった。
「違う……大丈夫だよ! 僕が夜子と話がしたくて勝手に来てるんだからさ、気にしないでよ」
彼女を慰めるには本心を話すしかなく、その発言は自爆テロに等しかった……はずだが。
「っ!!……ありがとう、朝くん。わたしもね、朝くんと話すこの時間が一番、大好きだよ」
これは僕をときめき死させる場か、何かなのかと思い巡らせていると、彼女がはっとしたように声を上げる。
「あっ! ごめんなさい……わたしから振っておいて、話題逸らしちゃって。それで、原因が私でないなら、一体何がそんなにも朝くんを痛め付けているんですか?」
真剣な視線に、誤魔化せるとは思えず、僕は今日あったことを彼女に説明した。
「――それで、朝くんはそれほどお辛そうなんですね。」
「うん、まあ」
人に話してみると、自分の中で整理がついた気がする。彼女に話して良かった。自分一人だけで抱えていたら、孤独に押し潰されるところだった……。
「そんなにお辛いなら、無理して学校に行かれることはないんじゃありませんか?」
「え、えっとそれは……」
両親に叱られる。許してくれるはずない。
そもそもなんて説明すればいいのか。そんなことが脳裏を駆け巡った。
「無理に、とは言いません。だけど、逃げられるときに逃げておかなければ、助かる命も助からないんです……それだけは絶対に、忘れないで」
涙を押し殺すような彼女の抱擁を受けた僕の心には、彼女の思いが刻み込まれた。
それから家に帰って寝床に就いた僕は結局、いじめから逃げる決心をしたのだった。
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