ヒトゴロシの呪縛



 朝起きなければいけない時間まで二時間となかったが、待雪のこともあって睡眠は浅かった。 今はまだ午前八時十分か。HRまでの時間は長いが、仕方ない。


 教室の戸を開け、中へ足を踏み入れると、その場にいた生徒たちから波紋が生じた。



 ザワザワと喩えるのに相応しいほどの騒々しさ。僕が進むにつれて、それは次第に大きくなる。どこか発信源だろうと見回すと、ちょうど僕の席を取り囲むように人だかりができていた。

 興味本位で覗き込む者、嘲笑う者、安堵する者、疑わしそうにそこを見つめる者など、反応はそれぞれだ。


 あまりいい予感はしないが、確認しないわけにもいかない。


「そこ、僕の席だから」と周囲を押し避けていくと、原因が明らかになった。



【藤原野朝は陰で明日葉水琴をいじめていた。彼の手口は陰湿なもので書面にするこ

とすら憚られる。そして、彼こそが明日葉水琴を死に追いやった犯人である。】



 パソコンで打ち出されたであろう紙に記されていたのはそれだけ。証拠も何もない。



「誰がこんな……」



 くだらない、卑怯者のすることだ。


 それでも合理的ではあるし、身を隠しながら周囲を煽るにはいい手だろう。犯人の思惑通り、火種はあったクラスメートたちには格好のネタらしく、僕の存在に気付いた生徒たちは次々に僕を詰りだした。



「この人殺しっ!!」


「いつまで、しら切ってんだよ。さっさと自首しろ、自首!!」


「明日葉くん、可哀想……」


「人間のすることじゃねえ」



 発言こそ明日葉を擁護したり、僕に怒りを向けていたが、彼らは総じて弱者を陥れて愉しむ奴らの醜い笑みを浮かべていた。



「…………ふぅ」



 本当かどうかも分からない紙切れ一つの告発に踊らされるクラスメートたちを滑稽に感じたが、僕はそれよりもこれを書いた犯人のことが気になった。


 狙いは? 誰? どこから見ている?


 少なくとも犯人は、意図して僕を標的に選んでいる。狙い撃ちだ。周囲の奴らに僕をいじめるよう扇動したのも、おそらくそいつだろう。


 でも、どうしてここまでするんだ?

 僕が憎いだけなら、もっと直接的な貶め方を選ぶはず。このやり方は、精神を崩壊こそさせるがどん底に突き落とす、という言葉は似合わないのだ。だとするなら……、



「涼しい顔してんじゃねーよ、犯罪者! ちったぁ、なんか言ってみろや!!」



 動揺一つ見せない僕に苛立ちを覚えたのか、近くにいた短気で有名な加治山がキレる。


 そして直後。無防備にも、半開きだった誰かのペンケースを掴み取り、こちらに向かって勢いよく投げつけてきた。生憎にも、刃の収められていなかったカッターナイフが僕の耳を掠める。筆記用具類は飛散し、僕の耳からは温かい汁が滲み出した。


 なぁ。もう、いいだろう。喋ったって。



「っ……たいな。何するんだよ」



 加治山は僕の意図にすぐ気付き、助け船を求めるように声を絞り出す。



「ご、ごめ……」


「――謝ることねーだろ。だって、そいつ、人殺しなんだから」



 環の外から声が届く。すると周囲はさらに騒ぎ立て、彼に正義の鉄槌という暴力を要求した。



「……前、お前が悪いんだ……」



 加治山はふらつく足取りでカッターナイフを手に取った。そしてそのまま、僕目がけて凶器をふりかざす――、



「それは傷害ってんだぜ。周りに振り回されて、自分の人生投げ捨てんなよな」



 その男子生徒は加治山よりも頭一つ分飛び抜けた図体で、加治山の持っていたそれを奪い取ると、どこかへ投げ捨ててしまった。


 突然の出来事に周囲は言葉を失っていたが、彼が息を吐くと共に野次を飛ばし始めた。



「邪魔してんなよ!」


「お前だって、いじめてたくせに……」



 その二言は教室中の関心を奪い、もう一本の短刀を振り翳した。



「そもそも、こぶし、お前が! 明日葉をいじめてたんじゃないか!! そうだ、お前だ……お前が明日葉を自殺に追いやったんだ!!!」



 強い発言力を持つ者に追随するクラスメートたち。僕はそれを見ていて、馬鹿らしいと思った。だけど、彼を信じるに足る証拠は何もない。信用できる関係もない。だから、庇ってやろうとは思えなかった。



「……そうだな、確かに俺は明日葉をいじめてた」



 クラスメートは満足そうに、ほくそ笑む。



「ほら見ろ。ヤンキー崩れが」



 しかし依然として、こぶしという男は凛然と立っていた。



「ただな、あんたらと違って、自分の罪を認めとる。償おう思うとる。それにや、明日葉には許してもろた。だからこそ俺は胸を張って言える。明日葉を追い詰めたのは俺やない!」



 それまで野次馬モード一色だった教室も静まり返り、彼の色に染め上げられた。今、この場では誰も発言されることを許されない、そんな風潮がある。


 自分の信念を吐き出したであろう彼は急に僕の肩を抱き、続けざまに宣言する。



「それとな……こいつを犯人扱いするのは筋違いや。誰が企てたか知らんが、いい加減なことするなら、実力行使も考えるぞ」



 脅しとも取れる最後の一言を念押しに、彼は僕を教室から連れ出したのだった。



「……助けてもらったのに、何も言えなくて、ごめん」



 喧騒の教室から少し離れたところで、僕は何もしなかったことを詫びた。



「別にいいさ。あいつの言っていたこともいくらかはホントのことだしな。明日葉をいじめてたのとか、ヤンキー崩れとか、さ」


「それならどうして僕を助けてくれたんだ? 君と僕はなんの関係もないのに」



 素朴な質問を投げかけると、彼は気恥ずかしそうに頬を掻き、



「そ、そのな……明日葉と、友達になったもんでな。そのときにちょいと、あんたの話を聞いたってわけだ」



 マジかよ。



「えっと……聞きたいんだけど、どうして明日葉をいじめてたのに、友達になれたの?」 



 いじめとは理解し合えない両者がいて、そのどちらかが力で相手を制圧するというもの。基本的に、分かり合えないからそうなってしまうし、いじめがあれば両者には埋められない溝が生じる。友達になるなんて、できっこないはずだ。



「それは、明日葉に説教されたからだ。『いじめたいなら、僕をいじめてもいい。でも、親に迷惑をかけるようないじめだけはしないで』ってさ。笑っちまうだろ? そこまで言う気力があるなら、なんでいじめを止めろって言わないのかって」


「恐喝、してたのか?」


「あぁ。でもな俺、いじめがしたかったわけじゃないんだわ。ただ、どうしたら周りに人を置いておけるのか分からなくてよ。そうすることで、縛り付けるしかできなかった。

 ――それでも、正直に話したら、あいつは許してくれたんだ。ボクも独りにならないために無理してきたからって。俺はそんなあいつの器の大きさに惚れて、友達志願したってわけだ」   



 明日葉のあわあわする姿が目に浮かぶ。君は優しすぎる。



「……それで、明日葉の友達の僕を助けたってことか。えらく、明日葉に心酔してるんだね」


「そりゃあな! あいつほど、心が綺麗な奴を俺は知らんよ」



 彼は快活に笑う。明日葉が学校に戻ってくるのを待っているのだろうな。



「そう、だね。明日葉は、馬鹿がつくほど綺麗だったよ……ところで、彼の友人と見込んで、一つ聞いてみたいことがあるんだけどさ、」



 僕は彼が頷くのを見て、さらに続ける。



「明日葉が死にたくなるようなことに心当たりってある?」



 彼は目をひん剥いてぎょっとさせるが、思い当たる節はあるようで、



「……本気で死にたくなるほどかは知らんが、自殺未遂のちょっと前にな、気になること言うとったわ。確かな……『母さんに知られたら、生きていけない』とかなんとか、うわごとでぼやいてたぜ」



 渋面を浮かべながら憶測を述べる。



「それ、本当なの?」


「あぁ! 明日葉のことで嘘は吐かねえよ。細かいとこ合ってるかは知らんが」



 彼からの情報提供である程度、全体像が見えてきた気がする。まだ、輪郭をなぞるような段階の域を出ないけれど。少なくとも、信用(できそうな)協力者を得たことは大きい。



「ねえ、ところでさ……名前、教えてくれない? 君は僕のことを知ってるだろうけ

ど、僕は君を知らなくてさ。明日葉の真相を解明するためにも、協力してほしいし」



 感触は良かったはずなのに、なぜか彼は狼狽え始めて僕の目を見ようとしない。何かやましいことでもあるのか――、 



「……こ、こぶしさくらだ。辛いに、蝦夷の後ろの字で辛夷。さくらは……桜の木の桜だ」



 それは厳めしい容姿をした彼の隠れた素顔だったのかもしれない。


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