待雪草からの警告


 あさぼらけの空が、徹夜した目を劈くような勢いだ。



「しっかし、椎名の『お前、LINKやってるか?』は傑作だったなぁ! あー、今思い出すだけでも腹が痛い」



 でも。夜子が倒れたのは一体なんだったのだろうか。


 まさか、彼女も僕やネット友達と同じように、睡眠不足や栄養失調を起こしていたり……いや、それにしては、身体に支障をきたすまでに時間がかかりすぎている。

 やはり、心配だけれど……。学生である僕がつきっきりで彼女の看病をするわけにもいかない。それに、両親の目もある。深夜に家を抜け出すだけならまだしも、家に連れ帰るのは容易ではない。



 全てが杞憂で終わればいいのにと祈りながらも、厭な考えが頭から離れないでいる。



「ら~ららー♪ ら~らーら~らー♪」



 心に残るあの声。



「僕の後ろに、誰かいる……?」



 不意打ちのように、それは外灯で照らされていた僕の足下の陰に、さっと陰を重ねていた。


 いつからだろう、いつからそこにいたのか。


 察することのできなかった他人の存在に、僕の心臓は鼓動を増していく。気配を消し、背後を取った行動や漂う物々しさは、一瞬の隙で対象者を抹消する暗殺者を彷彿させた。 



「誰? 僕の後ろにいるのは、誰っ!」



 相手の意表を突くように、急旋回で振り返る。そこにいたのは、「夜行少女」を知らないかと尋ねてきた待雪草だった。



「はろはろ、おにいさん♪ 俺でっせ、待雪草です。どもども、昨日ぶりっすね。身体のお加減とか……いかがでしょう??」



 口振りこそ好感なものだったが、その目から滲み出るどす黒いオーラは明確な悪意を持っている。「お元気ですか?」ではなく、「お加減はいかが」ということは、何かしら身体の調子を崩したという事実を知っていればこその発言だ。彼が知るはずはないのに。


 気付いてしまった以上は、迂闊に近付けないし、言葉も発せない。どうしたものかな。



「あれあれ~? どうされたんですか、朝さ~ん。俺のこと、忘れちゃったとかー? イヤだなぁ、寂しいじゃないですかぁ」



 依然として、待雪は笑顔を崩そうとしない。こっちからアクションをかけない限りは、正体を現さないということだろうか。



「……待、雪。お前があの歌声の主だったんだな……いや、それよりどうして僕が、体調を崩したことを知ってるんだ?」



 待雪が冷笑をたたえ、二人の間には身も凍るような静寂が流れる。君は一体何者なんだ? しかし、それも十秒とないことで、彼は瞬時に表情を切り替えた。



「ヤだなぁ、朝さんったら~。俺とおにいさんとの仲じゃないですか、それぐらい知っていて当然ですよー」



 さも、旧知の仲であるかのように、彼は僕の肩に手を置こうとした。その馴れ馴れしさと底知れない闇におぞましさすら感じて、咄嗟に手を振り払った。



「僕と待雪は、この間、偶然出逢ったばかりだ。そんな大した間柄でもなきゃ、同じ時間を過ごしていたわけでもない。君が、僕の詳細事情を知っているのなんて、おかしいんだ」



 待雪とはついこの間出逢って以来、一度も会っていない。もちろん、連絡先を交換していないので連絡の取りようもない。そんな中、彼はどうやって、僕が体調を崩したという情報を入手したのかということだ。



「……それは、朝さんから見ての話ですよね。もし俺が、ずぅぅっと前からおにいさんのことを知っているのだとしたら? それとも、ストーカーだなんてこともあるかもしれないですよ?」



 彼は、何を言っているんだ……?


 わざわざ、自分が疑われるように仕向ける言葉を挙げ連ねて、何か得することでもあるのか? 彼の思考は理解できる域を越えている……。そして、理解できないものは総じて恐怖を与えるのだ。



「そんな不安そうな顔しないでください。俺は朝さんの味方ですから。おにいさんを害するようなことは致しませんよ」



 でも、と待雪は一言付け足す。これ以上聞いていたくないのに、足がこの場を離れようとしない。



「これ以上、夜行少女には関わってはいけない」



 どうして僕が夜行少女と関わりがあることを知っているんだ。



「深入りするなら、朝さんは傷付くことになるだろう。

 ……それと、夜行少女とは別件でおにいさんは怖い目に遭うかもしれないね」


「ど、どうしてそんなことが……」



 待雪の口述は人の心を搦め取って、ヘドロに纏わり付かせたまま、底知れない沼に惑溺させてしまう魔術のようだ。一度捕らわれてしまったらもう、逃げられない。



「俺は誰よりも現実を見て、先を見据えているんですよ。それこそ、大事な大事な早月よりもよっぽど」


「待雪は椎名と知り合いなのか?」



 彼はそれには答えず、別の話題を持ち出す。



「あー、おにいさんさえよければなんですけどね、早月に言伝を頼んでもいいですかね。


『今の早月じゃ、到底俺には敵わないよ』って」



 それじゃあまた、と待雪は踵を返して、東雲の街へと消えていった。


 彼がいなくなってもなお、心は平穏を取り戻せず、覚束ない足取りで家に帰る頃には午前五時になろうとしていた。 



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