推し以外はデリカシー皆無です


 夜子には、今日一日は家で安静するように言いつけて、僕らは八手家を後にした。



 陽の光の眩しさに誘われて空を仰げば、入相の鐘が鳴っている。そろそろ帰宅しなければ、母に怪しまれるだろう。それでも確認しておかなければならないことが一つ残っている。



「ん? なんだ?」  



 椎名は説教時の毒吐きモードではなく、柔和な表情を浮かべていた。今の状況なら、警戒されずにすんなり通るかもしれない。



「大事な話があるので、二人きりになりたいです。できれば、人目に付かないような所で」



 彼女の頬に紅が差す。僕はにこやかに微笑んだ。



「そ、それは……どういう意味で、だ? 人目に付かない所というのはどのような……」



 僕に説教垂れたときとは比べものにならないほど、椎名はしどろもどろだ。目は泳ぎ、口はだらしなく開いてしまって、簡単に付け入れられそうだ。些かチョロすぎるように思うが、僕としては結構なので放っておくとしよう。



「そうですねー……椎名さんの自宅でもいいですか?」


「お、俺、俺の家かっ!?」


「ダメですか?」


「い、いや、ダメじゃない、ダメじゃないさ。ただ、その……お前は構わないのか?」



 そういうことを期待するような眼差しを向けられるも、僕の態度は変わらない。



「はい。そのつもりですから」


「わ、分かった。それならついてこい、少し歩くが構わないな?」



 そんなやりとりの末、僕は椎名の自宅だというマンションの一室に案内された。



 最新のデザイナーを起用したのか、内装はシンプルながらも黒と茶色を基調としたスタイリッシュな赴き。テレビCMのような華やかさこそないもの、清潔さは保たれていた。



「と、とりあえず、ここにかけてくれ。今、飲み物を用意してくるから……」



 まだ緊張が解けていないらしく、椎名の言動はぎこちなさが残る。たかだか、男子高校生に誘われたくらいでこれほど動揺するなんて、どれだけ恋愛経験がないのだろうか。



「いえいえお構いなく。すぐに済む用ですから――抱き締めさせてください」



 僕は言い終えないうちに、腕ごと彼女の身を抱き寄せた。そして、流れるようにその胸へ顔を埋める。



「ん、ひゃぅっ……!!」



 珍しく女らしい声を漏らす椎名にちょっぴりドキッとしたが、昂ぶる気持ちを抑えて、それに集中した。



「ぁ、朝少年……そんな風に、背中を擦らないでくれ……」



 椎名の背筋は引き締まっていながら、皮膚の柔さは男とは比べものにならなかった。いくら、美男顔でも身体は女ということだろう。


 今度は胸に埋めていた顔を動かしてみた。



「ひぁぁ!! 顔で胸をまさぐるなぁぁぁ……」



 タートルネックの薄い布越しにブラジャーとシャツだけの境目が感じられる。そこへ集中的に頬擦りしていくと、彼女の口から漏れる息が多く、小刻みになっていく。


 そろそろ十分かな。



「ありがとうございます。確認は終わりましたので」


「ぇ? ど、どういうことだ……」



 パッと手を放すと、椎名は戸惑いながらも惚けた目で僕を見遣った。悪いが、僕にその気はない。

 ……思いの外いい匂いがしたり、柔らかかったり、ちょっとは興奮を禁じ得なかったがそれは生理現象的なものだから仕方ない。



「椎名さんって、柔らかい割に胸ないんですね」



 デリカシー皆無発言がダメ押しとなり、椎名は噴火した。顔がぐらぐらと煮上がっていく様は、傍目から見れば面白かっただろう。



「っこんの、糞餓鬼ぃぃぃぃいいいいい!!!!」



 言動とは裏腹に、目を潤ませた彼女を見たときは、さすがに申し訳ないと感じたけれど。

 ただ一つ言えるのは、抱き着いているときに椎名は抵抗できたはずなのに、僕の手を振り払うほどは抵抗しなかったということだ。


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