常闇の号哭
翌日午後十時頃。僕はある仮説の下、夜子をあの雑居ビルの屋上に呼び出していた。
「話って何かな、朝くん」
ペールグレイのダッフルコートに身を包んだ彼女は、いつものように朗らかな笑みを浮かべる。だけど、一度知ってしまったら、以前のような浮き足だった気持ちにはなれない。
「……ねえ夜子。今日この場に来てくれたってことは、いつもの時間じゃなくても会えるってことだよね?」
「う、うん。その、あんまり早すぎると寝起きになっちゃうので恥ずかしいですけど……」
夜子はそう言って、手遊びを始めた。頬も赤みが差している。それに偽りはないのだろう。
「それで、なんだけど……」
「??」
僕はポケットに手を突っ込むと、あるものを彼女に提示した。
「ウォータリーランドのチケットだよ。昨日のこともあったし、たまには深夜以外で一緒に遊びたいなってさ……ダメかな?」
断りにくいよう、至近距離から見つめる。気の弱く、お人好しな彼女の退路を塞ぐためだ。
申し訳ないから、とか、私なんかが……と言ってきても、僕が行きたいからとごり押しすれば、なんとかなる……はずだった。
「……季節外れですし、また今度にしませんか」
彼女は困り眉をして、やんわりとだけれど僕の誘いを拒んだ。だが、これぐらいは想定内。
「確かにそうだけど、その分オフシーズンで安くなるし、人も少ないから初めて遊びに行くのにはぴったりじゃないかな」
夜子が提示したマイナス意見を否定する。これで嫌がる材料はなくしたはずだが、彼女の表情は晴れない。むしろ、ますます曇ってきている。つまり彼女は、明確な意図があって僕の誘いを拒否しているのだ。
「で、でもほら……プールってなると、水着とかも必要になってきますよね? ですがわたし、水着を持っていなくて……」
「それについても安心して。貸し水着も用意されてるし、結構種類もあるみたいだよ。客の使用後すぐに洗濯・除菌されてるらしいから、心配ないよ」
「で、でもやっぱり冬にプールは身体を壊すと思います……それこそ、昨日体調を崩して、お二人には迷惑をお掛けしたばかりですし……」
彼女は次から次へと否定材料を持ち込んでくる。ここまでくると、言い訳でしかないと一目瞭然なのだが、そうまでして断りたい何かがあるに違いない。
「それなんだけど、夜子が倒れたのは運動不足だからだと思うんだ。体質の問題で日光を浴びれないのは仕方ないにしても、運動しないと、免疫力も落ちちゃうよ。それに、ここのは温水プールだし、温泉施設もあって、アフターケアもバッチリできるから大丈夫!」
ただもう一つ、断りの大きな材料が残っている。先手を打たんと、さらに続ける。
「……それとも、僕と行くのは嫌だったかな。それなら女同士、椎名さんと行くのはどうかな? 椎名さんも喜ぶと思うよ」
「い、いや、そういうわけには……………………」
いつまでも続くかと思われた否定材料の上乗せだったが、ついに言い訳のなくなった夜子は押し黙ってしまう。
止めの一手を投じよう。
「ねえ、プールに行けないのってさ、」
そこまで言いかけると、夜子は瞼をの下の筋肉をヒクつかせた。さながら、水中から打ち上げられた金魚のように、痙攣して、死に怯えているようだった。
けれど僕は進むことを選んだ。
「…………女の子じゃないってバレたくないから?」
夜子はどうして!? と言わんばかりの目で僕を見上げる。僕は彼女から一切目を背けることなく、見つめ返す。
二人の間に静寂が続いた後、夜子は顔を青くして僕の問いに肯いた。
答えが分かっていたとしても、直接真実を聞かされるのとでは心のダメージが違う。
「どうして、騙してたの? 僕のことをからかいたかった?」
夜子を女子だと思い込んで、浮かれていた様は相当滑稽だっただろう。そういう皮肉を込めて言うと、彼女もとい――彼はかぶりを振った。
「……騙したかったわけじゃないんです。ただ、言えなくて……こんな姿で、男だって言ったら、引かれると思ったんです」
「だったら、二度目に会うときでも男装で来てくれたら良かったじゃないか。それなのにどうして……」
「これが、わたしのあるべき姿だからです。確かに、衣服は女性用を着用していますが、それ以外はありのままです」
僕は目を疑った。
これがありのままだって!? 服装を変えたところで、どう見ても女じゃないか……。
「それなら聞かせてほしい。君は前から夜行少女だったわけじゃないよね? だったら、それはいつからなの?」
彼女のプライバシーに一歩踏み込む質問だったためか、彼は露骨に顔を歪めた。やはり、触れられたくなかったことらしい。
「ほ、本当の死神にお願いしたから、です…………」
彼は何かに怯えるように震えていた。それでも話してくれたということは覚悟を決めたのだろう。
「その死神って、誰なの?」
「フ、フード少――」
彼の言葉を掻き消すように、トンッと物音がする。貯水槽の方からだ。そこから飛び降りてきたらしい人影には一定のリズムを刻んで、夜子に近付いていく。
「も~、簡単にバラしちゃあ、ダメじゃないですかあ」
その人影とは、待雪だった。
「ま、待雪さ――」
夜子が何か言おうとすると、待雪は彼の口を塞ぎ、僕の方を見遣る。
「いやぁ、あれだけの情報でよくここまで辿り着きましたね~おにいさん」
「君は一体何者なんだ……?」
異様な状況下でも待雪は眉一つ動かさずに、笑顔を保ち続ける。
「え~? 何って、さっきやがみんが言ってたじゃあありませんか。〝フード少年〟だって」
椎名と出会ったとき、彼女は言っていた。
『その死神と呼ばれる奴は、理不尽な目に遭った被害者を狙って、自爆テロまがいの報復をさせる。その結果が、魂を奪われる……と言われるようになったんだろうさ』
そして、フード少年と死神を同一視することも言っていたはずだ。
今までのことを思い出して、悪寒が止まらなくなった。要注意中の要注意人物。
――僕はこいつに何を話してきた?
「んもーそんなに警戒しないでくださいってば~。言ったでしょう? 俺は朝さんには危害を加えないって。むしろ、お手伝いしたいくらいですよ~。なんてったって、おにいさんは僕の尊敬する人ですからねぇ」
「僕が待雪に何をしたって言うんだ……」
絞り出した声は弱々しく、反撃にもならない。
「そ・れ・はー、内緒です。その代わりに……謎解明のために頑張った朝さんには、ご褒美をあげますね。実は、やがみんの本名は、
――明日葉水琴って言うんです」
「え……………………?」
「それでは俺はこれでお暇しますね~またの機会にっ♪」
待雪はそう言い残すと、夜子を抱き抱えて颯爽と去ってしまった。
あとに残された僕はただ、突き付けられた現実に打ちのめされ、立ち尽くしていた。
「嘘だよね……? 夜子が僕を知ってる? しかも、明日葉だって?? そんなの、そんなの、嘘だぁぁああああああああ!!!」
僕は降り始めた雪に塗れて、夜空の下、号哭することしかできなかった。
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