三章:【昨日の夜明け】

明日葉水琴の身辺調査



 夜子は言っていた。死神に頼み事をしたから、夜行少女になったと。この姿が本物だと。


 そして……待雪のあの言葉。  



『――明日葉水琴って言うんです』



 もし、彼の言葉さえ真だというのなら、明日葉は死にたくなるほどの何かが原因でああなることを選んだことになるのだろう。



 明日葉を死に追いやった原因を突き止めてやると決意してから暫く経った。夜子と明日葉が一緒だと分かった今、僕の行動を制限するものはほぼない。一刻も早く、死の真相を掴まなくては。



 そう考えた僕は、翌二十五日の終業式後に、校内でただ一人頼れる辛夷と共に二年一組の教室へと向かっていた。



「――それで、俺を頼ったってわけか。藤原野も随分、友達が少ねえんだなあ」


「それはお互いだろ?」



 まあそりゃあな、と辛夷は苦笑した。



「でもよ、俺なんかがいたら、余計に疑われちまって調査が捗らなくなるんじゃねえのか?」


「それについては気にしないで。今僕もクラス内では、最有力犯人候補だから。その情報が他クラスに出回ってないとも限らないし、僕になくて辛夷にあるものがあるか

らさ」



 なんだよそれは、と顔を顰める彼を、まあまあと宥め、僕らは関係者の一組目を尋ねた。



「えっと、それで私は何をお話しすれば……」



 二年二組の兎之山瑞穂。眼鏡におさげという定番の優等生スタイルで、選択英語は①を受講。



「君が明日葉水琴について知っていることを話してもらいたいんだ。明日葉の悲鳴を無駄にしないためにも」 



 学年中に知れ渡っているのか、彼女も痛ましそうに眉を寄せた。やはり、隣の席だったというだけの関係でも、自殺未遂をしたとなれば感じるものもあるのだろう。



「分かりました……そうですね、明日葉くんは私が教科書を忘れたら、席を合わせて見せてくれたり、単語テストで満点を取ったら、可愛い兎のイラストを書いてくれた

りしました」



 それが密かな楽しみだったと、彼女はか細く笑った。



「やっぱり明日葉は、どこまでもお人好しだったんだなあ……他に、誰かに恨まれたりする様子とかはない?」


「うーん、なくはないですが……休憩時間中にふざけて遊んでいた子が、誰かの机を蹴っ飛ばしてしまったとき、元に戻そうとしなかったのを見て、注意したときに反感を買ったりはしてましたけど、それぐらいですね」



 確かに、それでは明日葉の精神を崩壊させるほど、何かをする動機にはならないだろう。せいぜい、学校内での地位を貶めるくらいだ。



「じゃあ一応。その生徒が何組の生徒だったかは分かる?」


「えーと確か……五組の生徒だったと思います」



 少なくとも、クラスメートではない、か。



「そっか、分かったよ。ありがとう、兎之山さん」


「いいえ、これぐらいでお役に立てたか分かりませんが、明日葉くんが戻ってこられるように……お願いします」



 彼女は深々と頭を下げると、通学鞄を持って、さっさと帰っていった。


 収穫は多くはなかったが、明日葉の帰りを待つ生徒が一人でも多くいたのは有り難い。



「なぁ、本当に俺必要だったかよ?」



 質問の機会を与えられなかった辛夷は寂しそうにそう尋ねたが、問題ない。これから会いに行く生徒たちの中には、僕の話に耳も傾けてくれないだろう生徒がいる。そのときに、辛夷が必要になると念押しすると、彼は照れ臭そうにはにかんだ。

 


 場所は生徒会室。関係者二組目、七組の生徒会書記:神宮司七瀬&一組の生徒会副会長:御崎彼方は、選択数学①を受講。彼らは学年内でも有名なカップルである。



「お二人には、明日葉水琴についてお話しを伺いたいんですが……」


「えーなになに?? みこちーについて? んーそだなー、みこちーはあんまり目立たないけど綺麗な肌質だし、線が細くて、隠れ美少年っぽいなーって思ってた。それにー、当てられた問題はほぼ全部解けてたから、ポイント高いかな? って感じ? あーでも、他の女子はそんなこと思ってないと思うよー。あの受講クラスには水無瀬ってゆーイケメンがいたから。一見すると芋々しいみこちーは圏外だったんじゃないかなー?」



 と言うと、神宮司はボブカットから垂れた二つの長い三つ編みを弄り始めた。



「なな。それ、浮気発言……」



 御崎は長い前髪で自分の顔を隠すようにしている。片眼すら出さないのは対人恐怖症故か?



「やだなー安心してってば、かなたちゃん。ちゃあんと、本命と目の保養は分けてるから!」


「それならいい……」



 ……という、超多弁と寡黙のオセロコンビだからだ。それにしても神宮司は喋りすぎだ。



「あーごめんごめん~七瀬はいつも喋りすぎだって言われるんだけど、初対面の人だと気が緩んじゃって。で、具体的にはみこちーの何を聞きたいのさ?」



 初対面相手に気が緩むってなんだよ、と思ったが、いちいち指摘していたらキリがない。



「……明日葉が自殺した理由を調べているんです。僕は彼が、この学校の誰かから受けたいじめによって自ら死を選ぶまで追い込まれたんじゃないかと」


「「それはない」ね」 



 突然二人の目付きが変わった。僕らを見る視線には敵対心を孕んでいる。彼らは僕らに先手を打たせまいと、矢継ぎ早に言葉を重ねていく。



「いじめはないよ~。だって、七瀬とかなたちゃんのだぁいすきな学校だもん。いじめなんてあるわけないよね~? それに、みこちーが死にたくなったのだって、みこちー自身が抱えてた問題のせいかもしれないし、個人間トラブルで起きた揉め事が原因かもしれないしね~。まあなんにしても、この学校にいじめなんてないよー……あったとしても排除するから」


「なな、の、言うとおり……」


「ほらね~? かなたちゃんだってこう言ってるんだから、間違いないよ! うん、この学校にいじめはないよ!!」



 寸分の曇りなき眼で神宮司はそう断言した。それはそういう建前なのか、それとも……。

 一瞬だけ殺戮兵器のような不穏さで、一オクターブ低い声を放っていたけれど。



「……なるほど、それは心強いですね。改めてお尋ねしますが、明日葉が誰かに恨まれたり、揉めたり、そういったことは何かありましたか?」


「明日葉、ノート集め……」



 あまりに端的で僕には理解不能だけれど、神宮司は慣れっこのようだった。



「あーあれね! えとねー、同じ授業受けてる子達のノートを集める係が一人、必要になったのね。でも、そんなの正直面倒だし、遅れてる子に催促したら反感買いそうだしで嫌なこと尽くしなもんだから、誰もやりたがらなかったわけ。そしたら先生がみこちーを指名したんだけど、みこちー〆切とかそういうのには厳しいのね。

だけど、クラスに一人二人は遅れて出してくる奴っているでしょー? その子がねー、係だからってみこちーに先生に遅れた言い訳もしといてって言ったの。図々しすぎるでしょ? まあそれでみこちーも怒っちゃって、自分が遅れたんだから言い訳は自分でしなよってはっきり言っちゃってね~。気が弱いって思ってたんだろうねー、そんな相手に刃向かわれたもんだから、その子ギャーギャー喚いちゃって。うるさくって大変だったよ~」


「明日葉、生真面目」



 相変わらず、戻ったら戻ったで話が長いが、お陰で詳細が掴みやすくなったと思っておこう。

 それにしても、逆ギレか。いい予感はしないけど……。



「そのノートを遅れて出してきた子ってのは誰なんですか?」


「四組、今宮」



 これには御崎がいち早く答えた。彼も思うところがあったのかもしれない。



「ご協力ありがとうございました」



 僕らは二人にお辞儀してから、教室を後にする。


 廊下で、辛夷がしきりに「俺、必要だったか?」と様子を窺ってきたが、すぐ分かることだとあえて何もしなかった。




 今度は僕のクラス、四組の教室だ。関係者ラスト三組目、クラスメートの海原修成&田崎肇&石田啓介は、選択芸術で美術を選択。彼らは皆、スクールカーストでは二軍辺りに位置する。今の僕では相手にもされないだろう。



「あのさ、ちょっと明日葉のことで話が聞きたいんだけど……」



 彼らは僕に気付くなり、顔を顰め、そうかと思えばゲラゲラと笑い始めた。



「うわ~犯罪者に話し掛けられちゃったしー」


「やべーよ、俺らも明日葉みたいに殺されるんじゃね?」


「ちげーって! こいつ、自殺に追いやっただけで殺してはねーんだよ」


「うわ、それ、一番クズなやつじゃん? 自分の手は汚さないとか、サイテー」



 事実かどうかも定かでない噂に惑わされて、誰かを犯人呼ばわりする方がよっぽど最低だ。だけど、それを口にできない時点で僕はやはりダメなのかもしれない。



「ごたごた抜かしてんじゃねーよ」



 ドスの利いたその声に、彼らは静まり返る。顔はもう、すっかり青ざめていた。



「辛夷……」


「こいつがてめえらになんかしたかよ? してねえだろうが。何の証拠もなしにこいつを疑ってるがよ、それでこいつが犯人じゃなかったらどうすんだ?」



 さすが、ヤンキー崩れと言われても反論しなかっただけある。迫力が彼らとは桁違いだ。まさに虎の威を借る狐と、虎と言ったところだろうか。三人は虎に睨まれ、今にも漏らしそうだ。



「い、いや、その……そのときはそのときっていうか…………まあ、謝るか――」


「はぁ? 謝る?? 人殺し呼ばわりしておいて、謝るだけ、なあ? そりゃあ、都合良すぎるんやないか??」



 辛夷の威圧に、三人はもうたじたじだった。それでも納得いかない部分があるのか、勇気ある馬鹿が辛夷に喰らいかかる……。



「で、でもよお、そもそも疑われる方が悪いだろ。何もしてなきゃ、疑われることもねえし」



 仲間の反撃に同調するように、残り二人もそうだそうだと加勢する。辛夷は彼らに呆れたのか、しんと押し黙って、顔も上げようとしない。 



「…………ほいだら、てめえら、藤原野が今、自殺しよったら責任取れるんな?」


「は? 何言ってんだよ、俺ら、死ねなんて一言も言ってねえし……」


「っってめえらが言っとんのは、そういうことじゃ!!!…………てめえが言ったことの責任も取れんくせに、人様を傷付けるようなこと、言うんやねえぞ」



 バリトンよりも低い、バスの声が深く深く反響し、彼らは返す言葉もなくなったようだった。



「「「すみませんでした……」」」



 辛夷が怒ってくれて、すっきりはしたけれど、心にある黒いものが全て払拭されたわけではない。自分でも、釘は刺しておかねば。



「口先だけだったら、なんとでも言えるし……今度、犯人呼ばわりされたら、君たちの席で自傷行為でもしようかな。『海原と田崎と石田に死ねって言われたから……』って。カッターでも用意して、ね?」



 僕は含み笑いを浮かべながら、手首にカッターを当てるジェスチャーを取った。



「か、勘弁してくれぇ……」


「じゃあ、明日葉が誰かに恨まれたり、揉めたり、いじめられたり……そういったことに覚えは?」



 すると、彼らは途端に挙動不審になり、辺りをきょろきょろと見回しだした。確認を終えたのか、口元に手を当て、僕の耳元に顔を近付ける。



「大きな声じゃ言えねーけど……見たんだよ、今宮の取り巻き連中が明日葉を呼び出しに来たのをさ」


「なんだって!?」


「お、大きな声出さないでくれよ……俺ら、美術のとき、明日葉に助けてもらっててよお。そのときも、課題がむずかったから、明日葉に助けてもらおうと思ったら、でさ」


「そうそう。雰囲気も怪しかったし、こっそり後をつけたらさ……便所に連れ込んで、取り囲んでたぜ。ほら、これ……」



 ちゃっかり現場写真を収めていたらしく、石田がそのときの写真を見せてくれた。これは証拠になると、石田から半ば強引に写真のデータを受け取り、僕らは調査を終えたのだった。


 現状、今宮が犯人の最有力候補だけれど、少し引っかかる。少し調べたくらいで、露骨に今宮への疑いが浮上するのもそうだし、彼女が明日葉を追い詰めるほどの力があるとも思えない。     



 ひとまず僕らは解散し、家路を目指した。


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