一章【自殺のススメ】
自殺未遂とS.O.S
「つい先週、君のクラスメートの明日葉水琴が自殺を図った。本人は軽傷だが、面会謝絶。我々はこの一件を、最近巷を騒がせている〝連続自殺教唆事件〟と関係があると睨んでいる。そこで彼の周辺情報を収集するため、君にも捜査の協力を願いたい」
一階の生徒指導室は四畳程度の間取りで、普段使用されていないだけに埃っぽかった。しかも換気用程度の窓しかないせいか、まだ昼間だというのに薄暗い。
だからだろうか、刑事二人とその隣で立って見守る担任の久保田の表情が重々しく見えた。
僕は、これから警察に事情聴取される。
「朝日高校二年四組、出席番号三十二番の藤原野朝くん」
話し掛けてきたのは中年男性の方だった。
彼の体つきはどちらかと言えば細身で、一見すると貧相にも見える。けれど、瞳から伝わってくる有無を言わせない圧倒感や、精悍な面構えがベテラン刑事の風格を感じさせる。
何もしていないのに、自分が罪を犯したような感覚に陥って、自然と俯きがちになってしまう。そんな感じだ。
「はい、なんでしょう」
僕は手に冷や汗を握りながらも、努めて冷静に振る舞った。少しでも緊張していることや罪悪感が生じたことを悟らせてはダメだと、本能が言っている。
「君は、明日葉水琴くんのことを、知っていたね?」
ゆっくりと噛み締めるような訥々とした口調に、些か苛立ちを覚えた。
それは保育士が幼児に話し掛けるそれに思われたからだ。それに何より、クラスメートのことを知っているか? なんて、馬鹿にしているとしか思えない。
「ええ、知っていますよ。クラスメートですからね」
当たり前でしょうと返そうとも思ったが、挑発に乗っては思う壺だし、あまり無意味な会話は避けたかった。
彼は僕の思わしくない反応を見て、ニヤッと笑う。しかし、それも束の間のことで、隣に腰掛ける新米刑事はおろか、久保田にもバレていないようだった。
いけ好かない男だ。
「では、彼がいじめに遭っていたことは……ご存知だったかな?」
含みのある言い方だ。何を言わせたいのか見え見えだった。
もちろん、素直に答えてやるつもりはなかったので質問を重ねることにした。
「それは、彼が〝あんなこと〟に遭う前、ということですか?」
「そ――」
「藤原野! 質問に質問で返すのは失礼だろう、真面目に答えなさい!!」
彼は慌てる様子もなく、答えようとしていたのに、無粋な久保田が横やりを入れたのだ。
僕はあからさまに顔を顰めただろう。刑事は微笑を浮かべていた。
こんなときだけ、教師振りやがって……。
「真摯に答えようとしているからこそですよ、久保田先生。質問の中に詳細な情報が含まれてなかったので、適切な返答をするために質問を重ねさせていただいたんです」
行儀よい優等生の顔でそう言うと、久保田は口を閉ざした。
「よろしいですよね、刑事さん?」
久保田を黙らせ、再び刑事に目を遣ると、彼はニマニマと愉悦を顔に表していた。
ここで窘められるよりはまだマシだが、それでも彼の態度はいちいち癪に障る。
「ええ、か――」
「まあ、確かに……さきほどの質問は、いつ知っていたか、というところが重要ですからね。ただ単に、今知っているだけで、ずっと前から知っていたと決めつけるのは早計です。よし、自分が許可します」
この部屋に入って初めて発した言葉がそれか。
新米刑事だろうと思われるその男性は、中年の方と違い、スーツの上からでも分かるほどの筋肉質だ。耳よりも長く切り揃えられた髪に、今流行りの端正整った塩顔+爽やかさ。
いけ好かなさは中年よりもマシだが、いかにも青春時代を謳歌していた感が否めない。
気になるのは、なぜこの空気の読めなさで警察に入れたのかってことだ。
他二人も似たようなことを考えていたのか、久保田は忍び笑い、中年刑事はやはりニヤニヤしていた。
「そうだな、高梨――ああ、それと藤原野くん。質問の意図は、それで合ってる」
「そうですか、ご返答ありがとうございます。それでしたら答えは〝はい〟です」
臆面もなく僕はそう言った。
久保田は「使えない奴」という目を僕に向け、新米刑事の高梨という男は信じられないという目で僕を見る。それでも、中年刑事一人は落ち着き払っていた。
「そうかい、君は知っていたか……」
高梨は机越しにいる僕を今にも食ってかかりそうな勢いで睨み付けている。
「それじゃあ質問の方向を変えよう――他の生徒に共通の質問をさせてもらった。〝明日葉水琴と最も親しかったのは誰か?〟というありきたりなものだ。その結果、藤原野朝くん。君が選ばれた。しかし、これは口裏を合わせればいくらでも融通が利く。そこで問いたい、君と明日葉水琴はどういう関係だったのかな?」
捲し立てるような早口の最後に置かれた鉛のような言葉。
ああ、やはり。僕は責め立てられ、詰られる運命なんだ。そう確信した。
「僕と明日葉は……」
きっとこの先を言えば、久保田と高梨は喜んで僕を追い立てるだろう。
僕が何をしなかったからと言って、お前らに何ができたわけでもないのにさ。
「きっと、友達だったんでしょうね」
これはチャンスとばかりに高梨が声を荒げる。
「つまり藤原野朝くん。君は、いじめのことを知っていながら、助けなかったんですね?」
――いじめを知っていたからって、何ができたって言うんだ。
「助けなかったんじゃありません。助けることを許されないんです。僕は、ヒーローにはなれないから」
記憶の片隅にある悲しみの欠片。きっと僕がこんなのになってしまったのはその頃からだろう。高梨は僕の意味不明な発言に眉間を寄せる。
「ヒーロー? 君はこの期に及んで、ふざけているんですか!? いじめられている友人がいて、助けないことを、何が〝ヒーローになれないから〟だ!!」
……これだから、熱血系は嫌いだ。そういう発言こそがヒーローなのに。
「いじめを助けないことがそれほど悪いことですか。僕はそうは思いませんね。誰だって、自分が可愛いんです。それに、下手に手を出したせいで、いじめがエスカレートしたらどうするんです? それじゃ、救えないですよね??」
露骨な煽りに高梨は苛立ちを隠しきれず、机をバンっと叩き付けた。
「そ、そのせいで彼は自殺まで図ったというのに、罪悪感はないのかっ」
いよいよ彼の台詞に反吐が出そうになる。
お前は「いじめ」を何も分かっちゃいない。
「嫌ですね、警察はいじめを起こした加害者を庇うんですか? どうしていじめを無視しただけの僕が、彼の死の原因になるんです? いじめた奴が最も悪いに決まってるじゃないですか。彼は一度も――僕にS.O.S.を出しませんでした。それをどうやって助けるんでしょう。それともあなたがた警察は一一〇番もしない被害者を助けることができるんですか?」
高梨からして見れば、減らず口を叩くクソガキだっただろう。彼の顔は真っ赤に染まり、さながら鬼の形相に変化していく。
「ぐ、ぐぉぉ……き、きさまっ――」
今にも飛びかかりそうだった彼を、中年刑事が片手で制する。
「やめなさい、高梨。彼の言っていることは事実だ」
「それに、」
高梨の顔から怒りが薄れる。きっと僕の表情が豹変したからだろう。
「どう答えても、結果は変わらないじゃないですか。彼は――明日葉くんは自分を嫌って、自分ごと滅ぼした。躯が生きてるからって、失われなかったわけじゃないんですよ」
いやしかし、と高梨が口を挟んだ。そこに感情で暴論を吐き散らす鬼の姿はない。あるのは、迷子の子どもを迎えるおまわりさんの姿だった。
「彼が自分を嫌って、命を絶とうとしたとは限らないはずです。それに、躯が生きていれば、心はいつか再生する」
「ふはっっ」
彼の表情は真剣そのもの。だからこそ、笑わずにはいられなかった。
「な、何がおかしい!?」
「いや……そんな御仏みたいな台詞を言えるあなたは、きっと白くって、素敵な人生を歩んできたんだろうなって。いじめられる側の気持ちなんて、微塵も理解できないんだろうなって」
そう。いじめられる人なんてほんの一部。一割にも満たないかもしれない。それを経験したこともない奴が世の中の大半を占めている。
なんて、素晴らしきディストピアなんだろうか。
「そ、そんなことはない!! 人は痛みを分かち合うことで――」
「ああ、そう言えばあなたはさきほど、いじめは助けない奴も同罪みたいなこと言ってましたよね? だったら、いじめを止めさせるために加害者を殺して見せしめに磔にしたら良かったですかね?」
久保田辺りが怒声を浴びせるかと思っていたが、猟奇的な発言に危機を感じたのか、我関さずといった風に目を逸らしていた。その肩は小刻みに震えている。
加えて、怒りに震えていた高梨はもういない。その顔は恐怖で色を失っていく。
「そ、そこまではやりすぎで――」
「何故です? あなたが言ったのはそういうことでしょう? 何もしないで殺したことになるなら、せめて救うために殺した方がいいじゃないですか」
「すまなかった……」
高梨の謝罪に、大した喜びは感じなかった。
「もういいですか? これ以上話していても埒が明かないと思いますし」
椅子から腰を上げる僕を誰も咎めることはしない。行動を阻害することで暴れられることを怖れているのだろうか。しかし、そこで中年刑事が動きを見せた。
「……藤原野朝くん。君は、本当はこの場にいる誰よりも憤りを覚えているんじゃないか?」
「誰にです?」
「彼をそこまで追い詰めた、いじめの加害者と、死を選んだ彼自身に」
彼を含む三人が、期待の眼差しを僕に向けた。
この子も大事な友人を傷付けられた被害者だから、悪態を吐いていたのだ……そんなドラマティックに塗れた酷い眼だった。
やめてほしい、僕を本当は心優しい子みたいに位置づけるのは。
「さぁ、どうでしょうね? ご想像にお任せします」
だから意味深に笑ってやった。
それから僕は、慈悲を顔にたたえる中年刑事や残り二人に背を向け、戸に手を掛けたところで立ち止まる。
「あ、それと。僕、どうして彼が自殺なんてしたのか、本当に分からないんです。あのいじめだけで死を選ぶような人間ではなかったはずですから」
「待ちなさい! 話はまだ――」
「いいんだ、やめなさい高梨」
僕を取っ捕まえようとする高梨を制し、中年刑事はもういいという所作を僕に見せた。
「さよなら、刑事さん方」
それだけを置き土産に、僕は生徒指導室から立ち去った。
「……彼は犯人じゃない。少なくとも、明日葉水琴を追い詰めた人間は他にいる。だが、だからこそ、彼が何か変な気を起こさないのか心配だ――」
そんな話し声が、遠ざかる生徒指導室から聞こえてきたけれど、僕は聞こえない振りをした。
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