こんな僕だけど誰かの救いに、
事情聴取を半ば強引に終わらせて廊下へ出ると、真っ先に時計に目がいった。
「十時十分かー」
そういや、なんかの歌詞でこの時間を「一〇一〇時」と呼んでいたっけ。
時間的には二時間目の中頃だが。警察がいる密室から離れられたお陰で気が緩んだのか、そんなどうでもいいことが頭に浮かんだ。
「はっぐしゅん!!」
風邪か?
頭はぼーっと熱いのに、手足は冷え切っていて、僅かに寒気もする。
普段ならば、成績の(実際は厳格な親の)為、体調が悪くても欠課することはないが、今は自習中だ。保健室で休んだところでさして成績が下がるわけでもないだろう。
それに正直なところ、自分を売るようなことをしたクラスメートが大勢いる教室に戻る気はしない。
そうと決まればと、一階廊下の突き当たりにある保健室へ直行した。
**2**
「あらあら~、大丈夫? 学年とクラスと名前を教えてもらえるかしら」
これこれこういう経緯で体調不良を感じ、保健室にやってきたことを説明すると、保険医は快く僕をベッドに案内してくれた。
やっぱり保健室の先生は優しい。そうと相場が決まっている。
白いシーツが敷かれたパイプベッドに腰を下ろすと、ひんやりと冷たいのに心が和らぐような心地よさを覚えた。
「しんどいと思うけど、ごめんね。寝る前に熱、計ってね」
布団を掛けながら、先生が手渡してくれた体温計を受け取り、脇に挟んだ。
一分ほどすると、ピピピっと甲高い音が鳴り響き、小さなモニターに三十七度八分を表示した。
「微熱っぽいわねえ……気休めだと思うけど、これ貼っておくわね」
額にひやっとしたものが貼られ、僕は思わず身を震わせた。おそらく、冷却シートだろう。ぷるぷるの冷感粒がほてった身体に心地いい。
「驚かせちゃったわね、ごめんなさい。それじゃあ、ゆっくり休んでなさい」
「はい、ありがとうございます……」
簡易に仕切られた部屋の扉を保険医が閉めると、そこは静寂に包まれた。
特別何の臭いもしない部屋は安らかで、だんだんと薄れ行く意識の中、僕は懐かしい記憶を思い出していた。
「……僕は昔、ヒーローになりたかったんだよなあ」
その片鱗一つ、残さない僕だけど。
☆☆☆☆
僕は幼少期、本気でヒーローになりたがっていた。
そんなものが実在するわけがないとかそういったしょっぱい現実には目もくれず、ただ焦がれて憧れて、直向きに目指していたのだ。
多分、戦隊ものの特撮アニメでも見て、そう思うようになったのだろう。それでも、秋の空のような女心よりはよっぽど一途な思いだった。
だけど……思いとは裏腹に、僕の一番身近な現実は、それを打ち砕いた。
『ヒーローになりたい?』
『うん! 僕、みんなを守れるヒーローになりたいの』
『…………』
『でもね、ヒーローっていうおしごとはないから〝けーさつかん〟になるの。けーさつかんになってこまってるひとをたすけるんだー』
『ダメよっ!!』
『おかあ、さん?』
『そんなのダメ、絶対ダメよ……ほら? だって、危ないじゃない。血が出るし、大怪我もして死んじゃうかも知れないし……』
『それでもなりたいの!』
『いい加減になさいっ! ……あなたはただ、パパとママの言うことを黙って聞いていればいいの。そうしたらずっと幸せでいられるのよ』
『……しあわせ?』
『そう、幸せ! そうよ、みんなのためになることがしたいなら地方公務員になりなさい。もっと身近に人を助けることができるわよ。それがいいわ――』
母はおろか、父さえまともに僕の言うことに取り合おうとはしてくれなかった。子どもの言うことだからと、躱しているにしては酷い扱いだったと記憶している。
その夢が実現できないにしても、良識ある大人ならヒーローに憧れる子どもを上手くあやして、その思いを劣化させてくれただろう。壊れる前に移してあげようと。多分、それが親なりの愛情なのだから。そうしてくれれば、僕は健やかでいられたかもしれない。
親は両方とも公務員をやっている。父は市役所勤務、母は保育所勤務の保育士。
一見どこにでもあるかのように思える歪な家庭で育った僕の価値観は、物心ついてすぐ、両親に汚染されてしまったのだ。
そのせいで僕は、小学校に上がっても、クラスメートのいじめを見て見ぬ振りするような人間になった。
「か弱きものを救えるヒーローに」
なんて、口では簡単に言えてしまうけれど、実行するのはそう易くない。
手を出すことで被害が増える可能性、自分に影響を及ぼす可能性、周囲に与える影響……考え出したらキリがないほど、「救う」という行為には色んな責任が付きまとう。
助けた後の処置ができないなら、容易に手を出すべきではないのだろう。
それでも僕は今、後悔している。
あの日、あのとき、少しでも助けようとしていたなら、クラスメートを自殺に追い込むような結果にはならなかったかもしれない。
――隣の席で、いつも僕に笑いかけてくれたあの優しい彼を、僕は死なせてしまったのだろうか。信頼できる友達なんて一人もいない僕が唯一、拠り所にしていたかもしれない相手。
『ねえ藤原野くん、』
サイダーのように、軽やかな声で呼び掛けていた彼の声が脳裏をよぎる。
君の笑顔は桃のコンポートみたいに甘くて、とろりとしていた。
少し前の出来事が永遠に戻らないのだろうかと、真っ白い枕に顔を押し付けて咽び泣いた。
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