邪の権化

 


 弓槻さんに通されたのは居間ではなく、彼の個室だった。デスク、タンスに、ベッド。

 白い壁には木造の壁時計がかけられていて、午後二時三十分を指していた。それでもやはり、こたつが好きなのか、部屋の中央にはこたつが置かれてあり、シンプルながらも生活感のある部屋だった。



「こたつがお好きなんですね」



 何気ない語りぐさのつもりだったが、彼は憂いそうに眉尻を落とした。



「……息子がね、好きだったんだ」


「差し支えなければ、その辺りもお伺いしてもいいですか?」



 そう問うと、彼はそのつもりだったさと苦笑いをする。目元に刻み込まれた笑い皺が、彼の古傷を物語っているようだった。



「まずは……家族の話からしようか。俺には妻と、双子の子どもがいたんだ。上が女の子で、下が男の子だった。でもなぜか、性別とは反対に女の子が勇ましく育ち、男の子がしおらしく育った。言うまでもないと思うが、上の女の子というのが君も知る早月で……下の男の子というのが弟の深月という」



 家族構成から話すということは、それが再婚破綻の原因に関与しているということだろう。


 椎名の言っていた「失踪した弟」というのは、おそらく明日葉ではない。それでは時期が合わないのだ。そうなると、双子の弟だという深月さんになるが、その弟がどう関係するのか皆目見当もつかない。



「正反対なはずなのに、二人は一心同体なくらい仲が良かった。双子というのはそういうものなのだと聞くが、俺にはどうも、そう思えなかったんだ」



 話に区切りを付けるように息を吐いた弓槻さんは、顔の前で手を組み、深刻そうに眉間の皺を深めた。



「……それから二人が小学四年生の頃か、それは起こってしまったんだ。俺と元妻が仕事で家を留守にしたとき、なんだか胸騒ぎがして、仕事を早めに切り上げて帰宅したんだ。


 そうしたら……深月が早月に手を出そうとしていた。早月の衣服ははだけていて、深月は早月の上に跨がっていてな……暫く放心状態だったが、我に返った俺はすぐに二人を引き離して、事情を聞いた。

 すると深月が、『ずっと好きだった。我慢できなかった』と言うんだ。 


 それを機に、元妻とは離婚した。二人は引き離すべきだと思ったし、俺と彼女とで深月への考えが異なっていたこともあった。そうして離婚してから三年と経たないうちに、深月が失踪したと聞かされたよ。今はどこで何をしているのかすら分からない」



 呆けるような、遙か彼方を眺めるような、儚げな眼で彼はそう語った。


 そうすらすらと語れるような内容ではないだろうに、それでも話してくれたのは、胸に痞えた思いを誰かに伝えたかったからかもしれない。



「弓槻さんは……深月さんに大して、厳罰な処遇を望んだんですよね? でも今は、彼のことを偲んでいる。だからこそ、いつ深月さんがここを訪ねてきてもいいように、彼が好きだったこたつを居間や個室に置いているんじゃあ、ありませんか?」



 唐突な僕の追及に、弓槻さんはぼんやりと斜上を見上げた。



「さぁ、どうだろうなぁ。会いたいのかどうかは分からんが、思うところがあるのは確かだな。もう少し優しくしてやれば良かったとか、あいつなりに事情があったんじゃないかとかな。今となっちゃあ、後の祭りだがよ」



 しみじみと過去を顧みる弓槻さんだったが、今のところ、本題の再婚破綻との糸口は見えてこない。



「……ところで、それがどうして再婚の解消に繋がるんですか?」


「若い奴らはせっかちだなあ。心配せんでも、今から話してやるって。


 ……深月はともかく、急に思いを告げられて、迫られた早月の心はもうぼろぼろだった。双子の弟だと思ってた相手に、女として見られてたのが辛かったんだろう。食も細くなって、やつれてった。心配になった俺は、早月を精神病院や心療内科なんかに連れてって、弟に迫られたことはもちろん、弟がいた事実さえ忘れさせた。そうすることでしか、俺らは早月の心を守れなかったからなあ……多分深月はそれを知って、失踪したんだろう。可哀想なことをした」



 一呼吸ついた弓槻さんは、僕の視線に追い立てるような気付き、話を再開した。



「それで水琴くんを拒絶したのは、水琴くんが男だと知ってしまったからだ。もし、彼が早月の弟になるなら、弟関連で深月のことを思い出してしまうかもしれないと危惧してね」



 それなら、あの罵倒は? 胸の中に生じた思いを問い掛ける。



「じゃあ弓槻さんは、水琴くんのことを気持ち悪いと思ったわけではないんですか?」



 彼は僕の言葉で罪悪感を覚えたのか、決まり悪そうに頭を掻いた。



「……本当は、彼の女装趣味を気色悪がったわけではないんだ。むしろ、心まで女の子であるなら、ああも取り乱したりはなかったんだろう。同じ弟という立場というだけで、水琴くんが深月のように早月と……色恋沙汰になってしまうことを想像してしまったんだ。そう何度もあんなことが繰り返されるなんて、あるはずもないのになあ」



 離愁を体験したためか、弓槻さんからは深月への怒りが感じ取れなかった。離婚の原因の上に、娘にトラウマを植え付けた相手とは言え、あくまでも実の息子ということだろうか。


 当然ながらまだ子を持ったこともない僕には、理解し得ない心境だ。そのせいかは分からないが、彼の言動にはやはり、不自然さを感じた。




 姉弟間で近親相姦に手を出した息子に、姉との絶縁を約束させなかったこと。

 そんなことをした息子を今では許し、可哀想なことをしたと言ったこと。

 今では息子の帰りを待つように、彼の好きなこたつを用意していること。

 そうやって恋しく思っている息子が失踪したというのに、本気で捜索活動を行っている様子がないこと。



 弓槻さんの言動は辻褄が合わないことだらけだ。まるで、継ぎ接ぎだらけの嘘を縫い合わせて、茨に覆われた秘密を守らんとばかりに。

 僕を助けたときに椎名が話してくれたものと合致しないのも気になる。が、わざわざ面倒な作り話をしてまで隠し通そうとしたものを、そう簡単に教えてくれるわけもない。



「……そうですね。きっと、早月さんを守りたくて必死だったんですよ」



 あえて、相手に同意することで警戒されない道を選んだ。


 後々のためにも、信用を得ておくことは大事だ。



「藤原野くん……ありがとう。また何かあったら、連絡しなさい。力になるから」


「ありがとうございます、弓槻さん」



 そうして得た弓槻さんの連絡先を登録してから、椎名家を後にした。



 元々天候が悪かった空は、時間の経過と共に悪化していき、雨雲が立ち籠めている。一降りきそうだ。


 まあ、それでもこれで何かあったとき、頼れる……そう頬を緩めた僕を待ち構えていたのは、



「は~い、おにいさんっ♪ お待ちしていましたよ、あ・し・た・さん♥」



 邪の権化、待雪草だった。いつも、タイミングを見計らったようにやって来る。


 相変わらず、目深に被ったフードからその表情は読み取れない。限られた隙間から見えてくるのは、染み付いた目の下の青隈だけ。   


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