内緒バナシ



 八手家を後にすると、ちょうど昼時だったため、どちらともなく誘い、昼食を共にした。調査中なだけあって、会話が弾むというまではいかなかったが、それでも椎名と食べるラーメンはいつもより美味しかったのだ。



「今日の調査で気になることができた。ついてきてほしいところがある」



 ラーメン屋の暖簾をくぐりながら、彼女はそう囁いた。



「いいですけど、どこですか? まさか、椎名さんのご実家とかじゃ、ありませんよね~」



 僕のネタ的発言に、椎名は顔を赤くした。



「そのまさかだが……つ、ついてきてもらえるか?」


「なんでちょっと頬赤らめてるんですか! そういう意味じゃないんでしょ、そういう意味じゃないって言ってください!!!」



 僕の動揺っぷりが伝わったのか、彼女ははっとしたように赤面し始めた。いや、その台詞だとそう聞こえるものだよ普通。



「そそそ、そ、そんなわけ、ないだろっ!!? おれ、俺は単純にだな……父がどうしてあれほど水琴を強く拒んだのかが、気になるんだ。嫌なら、やめさせるだとか、色々あっただろうに。父の反応は不明な点が多すぎる」



 言われてみればそうなのだ。女装している水琴を女と信じ込んでいるときは平気だったのに、花さんから息子だと紹介された途端に悲鳴を上げ、罵り、再婚ごと帳消しにする。男装や性同一性障害に偏見があるにしても、それは些か、過激な反応に思える。一時でも、結婚を考えた相手家族に対して遠慮がない。もし、本気で再婚を考えていたならば、事情を聞いてから、NOを突き付けるなり、矯正させるなりあるだろう。



「分かりました。そういうことならお供します。僕も知りたいですし。あ、でも、お父さんには誤解されないようにしてくださいよ」


「分かってるさ! そもそも、お前のような子どもと俺が恋仲に見られるわけがないだろう」



 冗談のつもりで言ったのに、椎名はいちいち本気にしすぎだ。それに、仮にも頼み事をした相手にする物言いじゃない。


 彼女の実家は八手家から徒歩で三十分以上かかる距離にあるらしく、僕はまたバイクの後ろに乗せてもらう羽目に。その際も、鈍感椎名は自分の胸部下に腕を回させたので、そろそろ腹の肉でも鷲掴んでやろうかと思うほどだった。



「あぁ! なんてことだ……あの早月に、こんな、幼い彼氏ができるだなんて……それでも父さん、嬉しいよっ……父さんは応援するからな!!」



 椎名実家に到着し、椎名が玄関を開けるなり放たれた第一声がこれだ。それはどういう意味だろうか。未成年であることを揶揄しているのか、椎名の年齢がそれほどいっているのか。



「だーれが彼氏だああっ!!! どこをどう見たって、未成年だろうが! 俺は餓鬼に手を出すほど落ちぶれちゃいないぞ!!!」



 激昂する彼女に、父親は慈悲深い目をした。多分、話を聞く気がないのだろう。



「いいんだ早月……そんな風に照れ隠しなんてしなくたって。お前に恋愛経験がないのは知ってるんだ。だから、初めての恋で戸惑ったんだろう? 父さんはそんなお前の思いを否定したりはしないさ……」



 必死に父親の誤解を解こうとする椎名の隣で、僕は忍び笑いした。



「だぁからっ、違うと言ってるだろうっっ!!!」  


「え、じゃあ何の用だ? 早月は用もなしに、盆・正月以外に実家に帰ってくるような奴じゃないだろう」



 すっとぼけたような椎名の心中を見透かすような、そういった難しい表情を弓槻さんはした。



「そうだよ……さっさとその話をさせてほしかったのに……まあいいさ。率直に言う。父さん、四年前に明日葉花さんと再婚しなかった理由を聞かせてもらいに来たんだ。彼は俺の付き添いだ、その花さんの息子の友人でね」



 彼は、どうして今さらそんなことを……、お前には関係のない話だと誤魔化そうとした。しかし、何を言われても一ミリも引こうとしない椎名に折れたようだった。



「分かった……話してやろう。その代わりでもないが、ここでする話でもない。二人とも、上がりなさい」



 通された居間では、こたつがでんと部屋の中央を陣取っており、かなりの存在感を放っていた。冬のダメ人間メーカーこたつ。その魅力に抗えず、ちらちらと横目で見ていたのがバレたのか、彼は朗らかな笑みで「こたつにでも入って、待っていなさい」と言ってくれた。


 ついさきほどまで使用されていたのか、正方形のこたつの中はぽっかぽかだ。少し待つと、椎名の父親が緑茶とみかんを持ってきてくれて、いかにも家族団欒が始まりそうなセットだったが、そういうわけにもいかない。


 ……と思っていたら、椎名が無言でみかんの皮を剝きながら口火を切った。



「父さん、もういいだろう。そろそろ、さっきの話を聞かせてもらってもいいか?」



 無表情且つ、どこにも焦点を合わせない目が少し不気味だが、それは父親への怒りを表に出さないためかもしれない。小学生の途中から男手一つで育ててくれた父親に感謝の気持ちがあるからこそ、今回の件で再浮上した疑惑については複雑な気持ちなのだろう。



「ああ、そうだったな。改めて、自己紹介だけ。俺は、早月の父親の椎名弓槻という」


「僕は藤原野朝といいます。椎名……じゃなかった、早月さんにはお世話になっています」



 お世話になっていますという言葉に弓槻さんは微笑んだが、本題に戻らんと彼は皺を深めた。



「再婚しなかった理由、だな。あの親子には悪いことをしたと思っている……それでも、再婚しようとはどうしても思えなかったんだ」



 それは、個人的主観によるものだと、彼は語り始めた。



「元妻と離婚してから、男手一つで早月を育ててきた俺は、屈強さと忍耐強さなどが身に付いていた。俺には早月を育て上げる義務があると思っていたからな。だが、子育てはそんなに簡単なものじゃない。特に、父親と娘は難しいんだ。男の俺は、思春期の娘の気持ちを分かってやれないし、身体のことも分かってやれない。結婚するときだって、母親がいてくれた方が何かと心強いだろう。それに、早月を育て上げたら俺は一人になるのかと思ったら……途端に寂しくなってな。


 そう思い出した頃に出逢ったのが、明日葉花さんだった。彼女は気が弱いところがあったが、思いやりもあるし、女性としての魅力もあるし……母親としてもいい人だと思っていた。だから、再婚したいと思ったんだ。でも、あのとき、」



 彼は言葉を詰まらせたかと思うと、渋面を浮かべた。



「初め、水琴くんを見て、ホッとしたんだ。なんだ、話に聞いた通り、可愛い子どもじゃないかって。でも、食事会の最後に花さんが言った言葉で俺は凍り付くしかなかった。


『可愛いでしょ、うちの息子』


 とな。俺は騙されていたと感じた。でも、彼女は一言も娘だなんて言ってなかった。俺の早合点だったわけだ。それでもな、どうしても耐えられなかったんだ。水琴くんは、息子だと報せていなかったのを驚いていたようだし、息子に女装を強要させる花さんも受け容れられなかった。男手一つで早月を育ててきた俺には、あんな可愛らしくて、ひよっこい息子は許容できなかったんだ。

 ――すまん、早月……兄弟ができるってあんなに、期待してたのにな……」



 彼はひとしきり話を終えると、こたつから身体を出し、椎名に向かって深々と頭を下げた。だが、花さんや明日葉のその後を聞いてしまった彼女の発憤を堪えることはできなかった。



「そんな、謝罪一つで許されることじゃない……っ! そもそも、謝る相手が間違ってるだろう!? 俺はいいさ。それよりも花さんに、いや――誰よりも傷付いた水琴に謝れ! 謝れ、謝れ、謝れよ…………謝って、くれよ」



 椎名は感情のままに泣きじゃくりながら、弓槻さんに拳を当てた。大して力も入っていないようだったが、父親は娘の悲痛な叫びに、心を痛めていることだろう。



「早月さん、落ち着いてください」



 感情的になって、弓槻さんを殴る椎名の肩に手を置く。



「だが、父さんは……!」



 さりげない言動では理性を取り戻せないだろう椎名に、僕は低い声音で聞かせる。



「弓槻さんに謝ってもらったところで何になるんです」


「え……だが、」



 彼が心を痛めたところで、たとえ、明日葉に謝ったところで。



「再婚話が戻ってきますか? 夜子ではなく、明日葉が目を覚ましてくれますか?」



 家族の再構築ともなる再婚が戻ってくることはない。そんなもので明日葉の心が戻ってくるわけもないのだ。


 責め立てるような僕の言葉に、彼女は項垂れて、閉口してしまう。どれだけ残酷だろうと、それは逃れようのない現実だったから。



「すみません、言い過ぎました……そろそろお暇させていただきます」



 これ以上ここにいても、苛立ちをぶつけるだけだろうと、僕は無理やり彼女と共に家から逃げ出した。それに、もう彼女には彼に憤る気力も残っていなかっただろう。


 椎名は僕を後ろに乗せると、雑居ビルまで送り届けてくれて、その場で別れた。



「さてと……」



 僕はバイクを走らせる彼女の背中を見届けて、家に自転車を取りに戻った。


 彼女には話さなかったが、まだ弓槻さんには疑問点が残っている。おそらく、椎名に悟らせないために、そうなってしまったのだろう。けれど僕は、それを解明しないことには帰れない。多分それは、椎名の深淵を覗くようなものなのだろう。そして、明日葉水琴の自殺の鍵となることは間違いない。



 椎名家からの帰り道を引き返すように道を辿り、目的地に辿り着いた僕は躊躇なく、インターホンを鳴らした。



「早月さんには内緒で来ました。弓槻さんと二人きりでお話ししたいことがあります」



 玄関の戸を開けた弓槻さんは僕の姿を見て、目を剥いた。しかし彼はほどなくして、何か勘付いたように「……入りなさい」と再び家に上げてくれたのだった。


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