手がかりはエンジェル
翌二十六日。
クリスマスが明けた今日から冬休み。有り難いような、有り難くないような。カーテンを引いて外を見渡すと、薄暗い空が広がっていた。
それにしても、昨日は助かった。あれから家に帰宅しても家には誰にもおらず、親からの指摘連絡もなかったため、叱責は免れたがやはりそれはそれで不穏だ。
ちなみに、八手家にアポなし訪問を仕掛けた椎名と言えど、初対面の相手にまでそんな無礼は働かなかったらしい。事情説明をして、きちんと会う約束を取り付けたという連絡が今し方あった。
「午前十時半に約束してあるから、十時には雑居ビルに来て欲しい」そうだ。
今まではなかったドキドキとハラハラを胸に抱え、僕は外の街に繰り出した。
「お待たせしました、椎名さ、ん……?」
到着するなり、僕は彼女の格好に目を丸くした。
「ああ、来たか。朝少年、彼の実家は少し遠いからな、後ろに乗れ」
エンジン音を鳴らして、指図する椎名はバイクに跨がっていた。なにその、男女逆転感。だが、断る理由も別段ない。言われるまま、後部座席に腰を下ろすと、彼女は難色を示した。
「お前、そんなのでいけると思ってるのか? 振り落とされるぞ。これはこうしてだな……」
そう言うと、僕の両手を掴み、自分の肋骨辺りに巻き付けさせたのだ。
「っ!!!? し、椎名さ、ん…………」
この間、ちょっとアレな抱擁に涙した人とは思えない。危機感というか、学習能力がないのかこの人は……ちょっと、柔らかいのが当たってるのだが。
僕の気苦労など知らない椎名は、これで大丈夫だなと呟き、バイクを走らせ始めた。
バイクで走り続けること二十数分、目的地に到着したらしく、椎名はバイクを止める。
表札には「明日葉」と記されていた。
彼女がバイクを駐めているうちにインターホンを鳴らすと、いかにも病弱そうな痩せ細った婦人が顔を出した。おそらくこの人が明日葉花さん。水琴の母親だろう。
「あ、あの……っ、十時半に約束していました椎名さ――」
「あぁ、水琴の話を聞きに来られた方のお連れ様ですね……。どうぞ、お上がりになって」
直後、遅れて現れた椎名に驚くこともなく、彼女は弱々しい足取りで僕らを居間へと案内してくれた。
居間はお世辞にも綺麗とは言えないものだった。部屋の各箇所にゴミが蓄積されており、シンクにはコンビニ弁当や総菜のゴミなどが積み上がっている。
「ごめんなさいね……あたし、片付けるのがあんまり得意じゃなくて……それに、すぐ汚しちゃうの。あ、飲み物は何がよろしいですか? すぐにお出しできるのはインスタントのココアくらいですけど……」
「お構いなく。昨日の今日でお伺いしたのですから、何か出していただけるだけでも有り難いですよ」
椎名が花さんの相手をしてくれている間に、僕は部屋全体を見回してみる。すると、所々に、紙切れが落ちているのを見つけた。
しかし、他人の家を物色するわけにもいかず。花さんが淹れてくれたココアを頂戴して、ようやく本題に入ることとなった。
「単刀直入に申し上げます。お宅の水琴さんが、女装されるようになった経緯をお聞かせいただけますか?」
花さんは口に付けようとしていた手をピタッと止め、緩慢な動作でマグカップを机に置くと、小さく頷いて見せた。
「そうでしたね……そのためにここへ来られたんですものね、あたしに会いに来たわけではないんですから…………承知致しました。お話ししましょう」
彼女はふぅっと息を吐くと、思い出すように天井を仰いだ。
「……あれは、水琴が生まれたときのことです。水琴は生まれたばかりの頃、それは身体が弱くて、よく風邪をこじらせたりしては、別の病気にかかったりしていました。それで、このままでは身体の弱い子に育ってしまうと、女の子の格好をさせて健康な子に育つのを願うという昔ながらの風習に倣ってみたんです。きっかけはそれだけでした」
「え、じゃあ……花さんは純粋に、明日葉……じゃない、水琴くんの健康を願って?」
自分の息子に女装を強要する母親と聞いていたから、自分勝手な人を想像していた。女装に習わしがあったなんて意外だ。
「えぇ……思春期の息子に女装を強いて、それが原因で別居させているような母親ですから、疑われるのも無理はないと思います。でも、初めは本当に、それだけだったんです……」
「〝初めは〟はということは、つまり、変わっていったんですね?」
花さんは青白い指先で不安そうにカサリ、と髪を耳にかけた。
「えぇ……小学生のときは水琴の女装が可愛くてって感じでしたが、夫と別れてから固執するようになってしまったんです。夫に女装を否定されたからこそ、男の水琴を上書きしたかったのかもしれません……あたしを罵って、あたしを庇おうとしてくれた水琴まで捨てた元夫と同じ男であって欲しくなかったんです……」
彼女の言い分も、少し分かるような気がした。自分を否定する誰かと、大事に思う人が同じカテゴライズに分けられるだけで嫌な気持ちになることがある。だからと言って、許されることではないだろうが。
「……そうですか。では、水琴さんと別居するようになった理由についてもお聞かせ願えますか?」
こくりと頷くと、花さんは項垂れるように目を伏せた。
「あれは…………再婚相手に振られてから、あたしは自分を信じられなくなったんです。夫も失ったあたしにとって、水琴は全てでしたから。その水琴を否定されたあたしは、自分の人生そのものを否定された気になってしまったんです……精神も病んでしまって、水琴にも色々当たってしまいました。仕事も家事もろくにできなくなっていって、あの子には本当に迷惑をかけてばかりです。母親としての勤めも果たせていませんでした。だから、妹に水琴を預けたんです。その方が、あの子にとっても幸せだと思いますから……」
「違いますよ! 水琴くんはあなたが好きだから、女装も受け容れたんです。大好きなお母さんの言うことだから、嫌じゃないと言ったんですよ。ちゃんと見てあげてください」
僕の説教で、花さんは目を覚ましたように目を見開いた。
「……言われてみればそうですよね。あの子のためにも早くマトモな母親にならないと……」
しんみりとした空気が漂い、ココアに口を付けると、椎名が口火を切った。
「水琴さんが八手家に居候するようになったのは、いつぐらいのことでしょうか?」
「確か……、七月末頃だったと思います……」
「あと、もう一つ質問したいのですが、水琴さんは放課後によく出掛けたりはしていませんでしたか?」
「ええ……水琴はバイトをしていたので、週に何回は。名前は、angelusだったと……でも、その店、どうも怪しいお店のようなんです」
そう言うと、花さんは足下に用意してあった紙袋から、露出の高い衣装を取り出した。
「これは……えらく、布地面積が少ないと言いますか……」
「あの子もあたしに付き合わされて女装してたって気付いて、もうやめようと水琴の女装用の衣服を片付けていたら、偶然こんなものを見つけて……忘れていったんだと思いますが……」
彼女が言葉を濁すのも無理はなかった。
胸元がぱっくり開いている上に、太腿の中間くらいまでしかないエロミニメイド服や、猫耳&尻尾、チャイナ服に、ナース服、セーラー服なんてものもあった。どれもがコスプレショップで購入できそうなクオリティの高いものだ。その中には、女性ものの下着セットも含まれていた。花さん曰く、こんなものを与えた事は絶対にないという。
その光景に違和感を覚えた僕は、彼女に許可を得てスマホの写真に記録しておいた。
用件も終えた僕らは、話もそこそこに明日葉家を後にする。
椎名も僕と同じ考えだったのだと思う。バイクに跨がった彼女は何も言わずに、八手家に向かってくれたのだから。
再び、突然の来訪にも関わらず、棗さんは僕らを温かく迎え入れてくれた。
「あら、今度はどんなご用かしら?」
「何度も申し訳ない……話は水琴のバイトのことなのだが、彼のバイト先の制服は確認できるだろうか?」
ああそれなら、と棗さんは早足で奥へ駆けていくと、清楚なメイド服を手に戻ってきた。
「暫く休むことになるだろうからと、クリーニングに持っていって欲しいって水琴に言われてたんですけれどね、ついうっかりしていて……」
そのバイト先の制服は露出度も控えめで、スカート丈も膝下とロングだった。いわゆる給仕や女中という意味でのメイド服である。
「拝見させてもらう」
椎名はそう断ると、遠慮なく、スカートの中を弄り始めた。いくら女性だとは言え、絵面的にダメだろそれは……。
「あと、その……明日葉はメイドカフェか何かでバイトしていたんですか?」
僕の純粋な疑問に、手持ちぶさたな棗さんは笑顔で答えてくれる。
「ええ、そうよ! 水琴のメイド服姿、とっても可愛いの」
夜子として認識していたときだったら、喜んで通い詰めただろうと妄想するが、虚しくなっただけだった。
「……あったぞ」
棗さんの惚気に埋もれるようにそう呟いた椎名の手元を除くと、タグが握られていた。そしてそこには、「angelus」と記されている。
「さっきの衣装らにはなかったものだ」
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