四章:【家族の形骸】

惚れた弱み

  

「せっかくのクリスマスですし、家で食べて行かれませんか?」  



 棗さんの提案により、僕と椎名はご相伴に預かることになった。


 一度は彼女も断ろうとしたのだけれど、夜子の「友達とクリスマス会なんて、夢みたいだなぁ……」というぼやきに負け、承諾していた。僕もなんとかして親に誤魔化しておいた。



 待望の弟(仮)にそんなことを言わせてしまっては、なんとかしてあげたくなったのだろう。 料理が出来上がるまでそれなりに時間を要すると思われたが、昨夜から仕込んであったビーフシチューやポテトサラダの作り置き、バターオムレツなど、時短料理を連発し、炊きたての白米を合わせても、三十分とかからなかった。


 我が家では、お目にかかることのない豪勢な洋風料理に感動を覚えながら、四人での夕食が始まる。もちろん、いただきますは言った。



「んんー!! このビーフシチュー、めちゃめちゃ美味しいですね!!! こんなに美味しいの初めて食べました!!!!」


「あら、そう? そう言ってもらえると、作った甲斐があるわ」



 手料理を褒められたのが嬉しかったらしく、棗さんは頬を上気させていた。


 家で出てくるのは、総菜や十分もあればできる肉野菜炒めや焼き魚などが大半を占めている。普段の食事にそれほど不満を抱いていたわけではないが、こんなものを食べたら、興奮を禁じ得ない。


 ほろほろと崩れる牛頬肉もさることながら、一緒に煮込まれた野菜の甘みがすごい。デミグラスソースという、濃厚且つ強烈なインパクトを与えるベースの中にいても、味が消えていない。肉の旨みと野菜の甘みとソースの酸味の為せる三重奏が、僕の身体を優しく労ってくれる。



「……それにしても、どうして明日葉は夜行少女になることを選んだんだろう。こんなに優しい叔母さんがいて、料理も美味しいのに……」



 生活はそれだけに留まらないとしても、これは大きな利点だ。少なくとも、冷めた家庭で育てられた僕にとっては。


 すると、気にでも障ったのか、棗さんは浮かぬ顔をした。その隣の夜子へと目を移しても、物憂い表情だった。



「そうねえ…………藤原野くんは知らないものね。夜子、いえ、水琴がどうして家にやってきたか。あなたたちには色々お世話になったし、これだけ心配してくれてるんですもの。お話しするわ」



 棗さんはすっかり腹を決めたようで、真剣な顔付きを見せた。



「本当ですか!? それなら有り難いです、けど……夜子はいいの? 僕らに知られても」



 正直、それが一番気掛かりだ。明日葉のためであっても、夜子を傷付けたら意味がない。



「いいの。棗叔母さんから聞いて……それにね、むしろ、知ってもらいたい気がするの」



 夜子の承諾を受けて、棗さんは首を縦に振った。


 これからまた、人の過去を知る。大事な核かもしれないそれを知って、僕は何を返せるかな。



「水琴の両親が既に離婚してるのは、さっきの椎名さんのお話でご理解いただけたわよね? その、水琴の両親が離婚するきっかけになったのは、姉さん……つまり、水琴の母親が、水琴に女装させだしたことらしいの」



 棗さんの言葉に夜子は顔を顰めた。それでも、堪えると決めたらしく、唇を噛み締めていた。



「初めは良かったの、水琴もまだ幼くて、可愛いの一言で済んでいたのだけれど……それも小学生に上がるまでよね。姉さんは水琴に、女装のまま学校に行かせたの。私服の学校だから、自由ではあるけれど……義兄さんはそうは思わなかったみたい。世間体とか、噂とか、そういうものをよく気にする人だったもの。水琴は男なんだぞ! とか、何を考えてるんだ! とか、ちゃんと子どものことを考えてるのか!? とか、色々言われたらしいわ」



 彼女は一休みがてら、焙じ茶を飲むと、目を伏せしながら続きを話し出した。



「確かに、姉さんの行動は常識的ではなかったけれど、私は姉さんには姉さんなりの考えがあると思ってるわ。でも、義兄さんは頭ごなしに姉さんを叱りつけると、水琴にも牙を剥いたの。『こんな格好して恥ずかしいと思わないのか』ってね。小学生の子に言う台詞じゃないわ。だけど、水琴ははっきり答えたそうよ。『ぼくはすきだから、はずかしくないよ』って。

 そうしたら、義兄さんは水琴にも愛想を尽かして、出て行ってしまったわ。元々、家庭を顧みない人だったから、いずれはそうなっていたのかもしれないけれどね」



 立て続けに重なる悲しい過去に、僕は何も言えなくなっていた。有り体に言って、

どれだけ自分が恵まれていたのか、その上で悲劇の主人公を気取っていたのかを思い知らされたからだ。



「……でも、これはまだほんの序章みたいなものよ。自分のせいで両親が離婚したと思い込んだ水琴はその日を境に、自分の意思で外での女装をやめたの。


 そうして月日は過ぎていって、水琴は中学生になった。さきほど椎名さんがお話しした再婚話が浮上したときのことよ。外では女装をしていない水琴だったけれど、姉さんの機嫌を損ねないためにも、家での女装は続けていたそうなの。そんなある日、姉さんが交際相手である男性を家に招いた……分かるかしら? 自宅では女装していなければいけなかった水琴は、女だと誤解されて、罵られて、再婚は破談になった。


 せっかく決まりかけていた再婚が水の泡になって、姉さんは発狂したわ。徹底して、水琴を女として育てようと躍起になったみたい。スキンケア用品、化粧品、ぬいぐるみ、ふりふりの洋服。お菓子作りや、お料理、裁縫に、編み物まであらゆるものを教え込んでいたわ。水琴が素直に受け止めていたのもあってか、姉さんの行動は日に日にエスカレートしていって、果てには女物の下着や制服もセーラー服を……。


 水琴からSOSを受けた私が慌てて駆けつけた頃にはもう、姉さんは疲れ切っていたわ。色々なことがありすぎて、心が参ってしまっていたのに無理していたんでしょうね。とても、子育てができるような精神状態じゃなかったわ。だから、家で水琴を預かることを名乗り出たのよ。『落ち着くまで、姉さんは休んでて』って。そういう経緯よ」



 話から伝わってきたのは、どれだけ無理を言われても、明日葉は母親の愛が欲しかったのだろうということ。お前はもう要らないと、捨てた父親よりもどんな形であれ、自分を可愛がってくれた母親が大好きで仕方なかったのだ。この話を聞いたからこそ思う。


 明日葉が人に優しかったのは、自分がしてほしいことの裏返しだったのだと。



「あの、差し支えなければお願いしてもいいですか?」


「ええ、いいけれど……何かしら?」


「それは――」



 夕食も平らげ、少しの世間話を楽しんだ後、僕と椎名は二人に見送られながら八手家を後にした。



「なかなか複雑な家庭事情でしたね……それにしても、椎名さんと明日葉がそういう関係だったとは考えもしませんでしたよ」


「世間とは、広いように見えて案外狭いものだ。それよりもお前、明日出られそうか? ついてきてほしいところがある」


「行き先は明日葉の実家ですか?」



 僕の問い掛けに、椎名は鼻を鳴らした。



「ふん、白々しい。あんな質問、誘導したようなものだ」


「ちょっと気になることがあったもので。仕方ないじゃないですか」


「まあ、そうか……だが、放課後出られるのか? お前の家は相当厳しかったろう?」



 僕の放課後に自由はない。それはそうなのだが、椎名や夜子がいるなら、いくらでも抜け出せるような気がするのだ。僕が入れられていた鳥籠の鍵は案外簡単に、開けられたのかもしれない。



「明日葉や夜子のために頑張るって決めましたから」 


「惚れた弱みだもんな」


「それは言うなぁああああああああ!!!!」  



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