命さえなくなれば、



 日暮れへと近付いていく空はだんだん闇に染まり始め、いつしかトワイライトに変わっていた。この時期の午後四時は仄暗い。



「……ちょうど話がしたかったんだ。待雪、君に聞きたいことがある」


「なーんでしょうか~。朝さんのお望みとあれば、大抵のことはお話ししますよっ」



 彼は僕の頼みを待ってでもいたのか、忠犬のように駆け寄ってきた。その弾みでフードが取れ、顔が見えるようになると思ったが、前髪も目にかかるほどで、顔立ちは分からない。けれど、口元がにまにましているのだけは、はっきり見えた。



「全部、は話してくれないんだね」


「そりゃあ、もちろんですよ。俺にだって、秘密の百個や二百個くらいあります」



 待雪なら本当に抱えていそうだと思った。もちろん、他人の秘密だろうが。



「まぁそれで、聞きたいことなんだけど……明日葉の部屋にあったっていう、あのセーラー服や女性用の下着は明日葉が買ったんじゃなくて――黒川が用意したもので合ってる?」



 待雪が全てを知っている確証も、知っていたとして教えてくれる保証もどこにもない。知らないと言われれば、それまでだ。しかし、彼が首を振ることはなかった。



「ご名答ですー。いやー朝さんってば、すごいじゃあ、ありませんか! たったあれだけの情報からそんな推論に至れるなんて。やっぱり、俺が惚れるだけのことはありますね」 



 あ、もちろんいやらしい意味じゃないですよと補足されたが、いまいち信用できない。

 そもそも、「たったあれだけ」とは、僕が知り得た情報の全てを把握しているかのような口振りである。



「まるで、僕の行動全てを観察しているような口振りだね。僕のストーカーなの?」



 皮肉ったつもりだったが、彼にその手は通用しないらしく、



「いや~そんな、そんな。全てなんて、とても把握しきれませんよー……俺はただ、囲っている情報が外部に漏れているかどうかを確認して、その結果から想像して言っただけですから」



 と謙遜した態度を取る。だが、彼の言っていることが異常なのはすぐに分かった。自分が抱える情報全ての流出を把握するなんて、とてもできない。



「……じゃあついでにもう一つ。黒川が明日葉にセーラー服や下着の着用を強要したことは、彼が死を選んだ原因に関係している?」


「ピンポンピンポンーさっすが、朝さん。なんにも知らないのに、こういうときの勘の良さはピカイチですね。おにいさんのそういうとこ、ほんっとうに尊敬してます!」



 にこにこと嫌味なくらい喜色満面な待雪。それは顔面に貼り付けられた笑顔とでも言うくらい、作り物じみていた。



「それ、嫌味だよね? それに、なんにも知らないって……どういう意味だ、」


「――朝さんは、いじめって何が悪いんだと思います?」



 待雪は僕の言葉に被せて、そう問うと、僕の返答を待つことなく、路側帯の白線部分だけを踏みしめて歩くという遊びに興じながら続けた。



「世の中、弱肉強食なのは自明の理です。弱い者が強い者に食われるのは仕方のないことですよ。徒競走で順位を競うことは悪じゃない。それなら何故、いじめは悪なのでしょう?」



 話の締めと共に、待雪はクイックターンで長ったらしい裾を翻すと、ゴキンと首を傾けてみせた。



「私的感情や私怨なんかを火種に、暴力や数で相手を陥れようとすることが道徳的に反しているからじゃ?」



 率直な意見を述べる僕に、待雪は頭ごなしに否定することもなく、肯定した。



「そうですね、それもそうだと思います。でも一番は、

〝理不尽〟で〝どうにかしなければいけない〟〝対処すべきこと〟だと誰しもが気付いているのに、〝誰も〟声を上げないこと、だと俺は思ってます。もちろん、被害者自身も含めてね」



 彼はいじめ行為そのものではなく、環境を悪だと言った。そういう汚いものを生み出すことではなく、生み出された後処理をしないことに着目している。それは何故なのか。答えを知るべく、僕は清聴することにした。 



「助けられないなら、完全に仕方ないものとして看過すればいい。そういうものだと気にも留めなければいいのに、そうしない。個人同士の喧嘩の域では留まらず、人一人の労力では覆せない状況にしてしまう……俺は、それが一番気に食わないんですよ」



 世間に染まらず、一人悠々と生きてきたであろう彼の意見は超然としていた。いじめた側だろうと、いじめられた側だろうと、傍観者側だろうと、似合わないそれを口にできる彼は、特別な存在なのだろう。だからこそ、死神の名に相応しいのかもしれない。



「……話を聞くに、待雪は被害者の味方ってわけでもなさそうだね」



 逆鱗にでも触れたのか、彼は目に憎しみを浮かべて「はっ」と嗤笑した。



「そうですねー。そもそも俺は、いじめ被害者って言葉が気に食わない。いじめられた奴だけが一方的に害を被っているって言ってるみたいで、不幸面が苛々するんですよ……刃向かう度胸も、助けを求める勇気もなかったくせに、って」



 殺意すら感じるどす黒い表情に危険を察知して、身を引いていると、それに気付いた待雪は「あ、朝さんは別ですよー。だって、ちゃんといじめてくる奴らに言い返せましたもんね」と付け加えた。

 どちらにしても、その情報を知っていることが末恐ろしいというのに。



「じゃあどうして、いじめひ……いじめられっ子側に手を貸したりするのさ? それは、君の理屈に適ってないんじゃない?」


「いえいえ、そんなことはありませんよ。だって……いじめられっ子側の方が、相手に対する劣等感が桁外れじゃあないですかー。ちょっと唆せば、身を滅ぼしてでも相手を破滅させようという気になってくれちゃうので、いじめを屠るにはピッタリなんです~」



 待雪はそう言って、にぃっこりと破顔一笑する。その瞳に希望は映らない。



「どうしてそこまでして……いじめはなくならないなんて、分かってるだろ? 待雪はいじめられたことなんてないだろ…………ぇ?」



 さきほどまで壊れるくらい笑っていた彼は、潸々と降る雨のごとく落涙させていた。



「おい、待ゆ――」



 大丈夫か、と待雪に伸ばした手は叩き落とされることもなく、掴み取られ、



「いじめ被害者を抹消しなきゃ、いじめはなくならないんですよ」



 骨を砕くように強く、握り締められる。



「消えたいなら消えたらいいんです、それを縛る権利なんて誰にもありはしないんですから……みんな、みんな、みーんな。死んで、消えて、逝っちゃえばいいんですよ――」

 


 その後も彼は何かを続けていたようだったが、聞き取れなかった。


 待雪がこれまで発してきた言動の数々の意味を、感じ取れてしまえたのだ。


 

『命さえなくなれば、魂は益体もない牢獄から解放される』


 彼はきっと、死が唯一の救いとなった生の亡者たちへ、死の救済を与える為に生きている。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る