いつだってそれは唐突に訪れる




「――え、明日葉……じゃない、夜子がいなくなったんですか?」


 大晦日の日暮れ時、自室の大掃除を行っている最中にその報せはやってきた。

 相手は明日葉の叔母である棗さんからだった。



「えぇ……そうなの。朝食は一緒に食べたのよ、そのときは『叔母さんの料理はいつも美味しいよ。ありがとう』って言ってくれたばかりだったのに……」



 電話越しに伝わってくる呼気は微かに震えていて、彼女の動揺が窺えた。



「そんな、どうして……辛くなる理由なんて、もうないはずなのに…………」



 完全に全てを取り除けたわけではないが、それでも今の暮らしをしている分には平気なくらいに回復したと、そう思っていた。

 ……けれど、それは僕の思い上がりだったようだ。胸から熱がすっと引いていく。



「本当に、どうしてなのかしら……? 今は私が親代わりなのに、二回もSOSに気付けないだなんて……でも、不思議なのよ」


「どういうことですか?」



 聞いてみると、どうやらこういうことらしい。


 食事を用意したので彼女を呼びに行くと、部屋はもぬけの殻で、勉強机の上に白い封筒が一つ残されていたそうだ。その中には何も記されておらず、嫌な予感を覚えた棗さんが明日葉のスマホに電話をかけてみたところ、電源が切れているために繋がらないらしかった。



「前のときはね、部屋に書き置きみたいなものが残っていたの。

『叔母さん、ごめんなさい。迷惑かけます』って、それだけ。

 でも今回は白紙の手紙でしょう? ……それなのに、胸騒ぎがして仕方ないの。だって、普通の外出なら声を掛けてから行くでしょう? それにわざわざ、大晦日に何も言わず出て行くのも変な気がして……」



 棗さんはすっかり、精神をすり減らしていた。居候と言えど、甥っ子が二度も自殺を図ったとなれば、そのストレスは甚大だろう。自分の責を負うだけで、精一杯な子どもの僕に分かるはずもないけれど。



「そう、ですね……僕も不自然に思います。明日葉も夜子も……優しいですから。ところで、棗さんは今どちらに?」


「今はまだ、家にいるわ。もし、あの子が帰ってきたら、おかえりって言ってあげられるように」



 本当は私が探すべきなんでしょうけどね、と棗さんは零したが、そんなことはないと思う。ただの外出から帰ってきた彼女(彼)が、迷惑をかけたと自分を責めないように。

 だけど、本当に夜子が外出ではなく、意図的に行方を暗ましたのだとすれば、放っておけない。彼女は、寝起きに出掛けるのは嫌だと言っていたはずなのに。



「それでいいと思います。椎名さんにも声を掛けて、僕らで夜子を探しますので、棗さんは彼女が帰ってきたら思い切り抱き締めてやってください」



 棗さんを心配してではなく、自分の一感情からそう思うのだ。



 棗さんとの通話を切った僕は、真っ先に椎名に電話をかけて、明日葉が行方不明になった旨を伝えた。



「何っ!? それは一大事じゃないか!!! 行きそうな場所に心当たりはあるか?」


「いいえ、それらしいことは伺っていません……」


「そうか……なら、俺は目撃情報がないか、駅周辺を当たってみる。お前は、学校やバイト先なんかを当たってくれ!」


「は、はい。分かりま――」



 僕が了承を言い終えるのを待つ間もなく、電話は切られていた。それだけ、気が急いているということなのだろう。僕もこんなところでぼーっとはしていられない。


 母親が洗い物を片している隙に、僕は自室の窓から抜け出した。 



 僕は、心当たりとも言えない場所をしらみつぶしに当たっていった。

 学校、バイト先、雑居ビルの屋上。



「いない」



 辛夷に連絡を取って、家に行っていないかを確認したり、明日葉の母親の花さんにも声を掛けてみたが、見つからない。



 それらを回り尽くした頃には、すっかり日も沈み、空はスリープレスタウンカラーからムーンシャドウカラーに変貌し始めていた。


 時刻は午後十時すぎと言ったところ。



「こう暗くなっちゃあ、見つかるものも見つからなくなる……どうしたらいい?」



 独り言に返答があるはずもなく、再び捜索を開始した。が、闇雲に探して成果が得られることもない。それどころか、長時間真冬の屋外で捜索活動をしていたせいで、足が悴けて身動きが取りづらくなっていた。

 見つかれば、椎名や棗さん、花さんに辛夷からも連絡が来るようにしている。それなのに、未だスマホは着信せず。

 ――八方塞がりだ。



 足だけじゃなく、手も耳も鼻も悴みだした。


 僕は……何をやっているのだろう。

 明日葉を見捨てたことを後悔して、今度こそは救おうと決意して、奔走して。それなのに、



「何一つ、救えてやしないじゃないか……!」



 あまりの情けなさ、不甲斐なさのためか、ほろほろと涙が零れた。


 鼻の奥をアルコールの臭いが突き抜け、目頭が沸騰したように熱くなった、そのときだった。



「ねぇ、藤原野くん」



 あの、サイダーのように透き通る明日葉の声が聞こえた気がした。

 周囲を見回しても、その姿は見えないのに。

 でも確かに、この耳が、彼の声を捉えた。



 もう、悴けていた足は魔法が解けたように、動くようになっていた。

 確信はないけれど、あそこにいる気がする。


 そう思ったときには、僕は駆けだしていた。一度は探した、あの雑居ビルの屋上へ向かって。


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