待雪草と昔噺



 待ち合わせ場所に辿り着いたのは、短針がちょうど一にかかる頃だった。


 墓地の前に鎮座するそこは、ブランコ、ローラー滑り台、それから木が何本かあるくらいで、どこか寂しげだ。遊具が粗末なわけではないけれど、人から忘れられてしまったような、そんな静けさがある。


 少し錆び付いたブランコに腰を下ろし、キコ、キコと揺られていくらかした頃、約束の相手がやって来た。



「おっ待たせしました~朝さん!」



 僕を見つけた途端、顔面に笑みを貼り付けて、彼は僕の元へ駆け寄ってくる。



「大丈夫だよ。急に僕の方から呼び出したんだし」



 話しながら、ブランコに座るようジェスチャーすると、彼はそこへ腰を落とした。



「それで、俺に会いたいって仰られたのはどういった用ですか? 自殺教唆をやめろって言う話なら、いくら朝さんのお願いでも聞けませんよ。これは俺なりの信念を持ってやっていることですから。たとえ、法的に罰されることだとしてもです」



 待雪は、自殺教唆が犯罪であることを知っていて、法によって相当な罰が下されることも分かっていてもなお、やめないと言った。


 それは僕も重々承知だ。だから、僕が尋ねるのは……、



「待雪はさ、信念を持って今の活動をやってるんだよね。それってさ、〝過去にいじめられたことがあって、自殺しようとしたことがあった〟からじゃない?」



 深淵に踏み込むような問い掛けに、彼は口を閉ざした。目も伏せてしまって、その表情も窺えない。

 ただ、息苦しいくらいの静寂が流れた。



「……………………朝さんは、どうしてそう思ったんです?」



 不意に紡ぎ出された、何かに縋るようなその響きは酷く痛ましげで、些細な言葉にさえ傷付きそうだと感じた。



「えっとね……待雪がこの間、いじめの被害者に自殺教唆をするのはいじめをなくしたいからだって教えてくれたこととか、大事な人がいるって話してたこととか、椎名さんを――大事な人だって、言ってたから思ったんだ。


 待雪は幼い頃いじめられてて、それを助けてくれたのが椎名さんで、でも庇った椎名さんもいじめられるようになったから、自殺することで復讐しようとしたのかなって。椎名さんを大事だって言ってたのは…………待雪が椎名さんの弟の、深月さんだから」



 言い終えて隣へ目を向けてみると、彼は僕の方を向いていた。僕は彼の表情を見て、息が詰まりそうになった。


 救われたように、けれど儚むような目で憫笑を浮かべていたから。ただそれは、僕への憐れみではなくて、僕の目に映った彼自身への憐れみのようだった。



「はは……、当たらずとも遠からずですね」


 そう言って、彼は空笑いする。僕はその反応に、少しだけ救いを感じた。なんだ、他人の空似だったのか……そう思いたかった。



「だったら、さ。椎名さんの弟っていうのは違うよ――」


「いえ、それは正解です。いやはや、見事な推理力ですね。さすが、俺の尊敬する朝さんです」



 僕は待雪にその先を言わせまいと、矢継ぎ早に言葉を重ねた。



「じゃ、じゃあ、いじめに遭ってたっていうのは関係ないんだね? なーんだ、」


「朝さん」



 待雪は僕の名を呼ぶと、ブランコの鎖を握っていた僕の右手を優しく握り込んで、いじらしい表情をして、ふるふると首を振る。僕の願望など、海に融ける泡沫のような夢物語なのだと言わんばかりに。 



「……じゃあ、待雪は本当に、椎名さんの弟の深月さんなんだね?」



 そう尋ねると、彼は小さく頷いた。


 それから「聞いてくれますか?」とほぼ要求に近い「お願い」をされて、僕はもう腹を括るしかなかった。




「椎名早月は、俺の双子の姉なんです。でも姉さんは……俺のことを、覚えてません。というか、知らないはずです」


「知らないはずって……一緒に生活してたんだよね? それなのに、知らないなんて……」


「俺の存在ごと、消したんです。そうすることが、償いでしたから」



 あり得ない、とは言えなかった。椎名が弟の存在を覚えてないことについても、存在を消したという記憶操作紛いの発言についても。


 何も言えず困惑する僕を見て、彼は補足するように続けた。



「それでも俺は姉さんと血の繋がった姉弟です。これだけは本当です。これまで、これから、どんな嘘を吐いても、これだけは揺るぎない答えなんです。

 誰よりも大切で、かけがえのない愛しい人だからこそ、俺はこれからも死神を続けなくちゃあ、なりません。

 姉さんと真逆を行くことで、姉さんが救いきれなかったものを拾って、姉さんが少しでも傷付かないように」



 心臓を穿たれたように疼く胸元を押さえて、僕は咽んだ。


 待雪を仇と考えている椎名がこのことを知ったら、彼女の心は崩壊してしまうだろうとか、そんなことではない。僕が物悲しく感じたのは、これを今の今まで独りで抱え込んでいた待雪の惨憺たる心だ。


 どれほどの人間を傷付けることになったとしても、たった一人の心が救えるかも分からない茨の道を行く彼の孤独に、僕自身が呑まれそうになる。



「でも、どうして……待雪が存在を消さなくちゃならなかったんだ。確かに、姉弟間の恋愛は禁断のものかも知れない、でもっ……」



 彼は悩ましげに、首を左右に振る。



「違うんですよ、朝さん。順番が逆なんです――俺が姉さんを襲った〝振り〟をしたのは、そうまでして、隠したい事実があったからなんですよ。事実というのは往々にして、人が思うよりもドラマティックで、そして……残酷なものなんです」



 訳を話すと長くなると言う待雪に、僕は構わず続けるよう伝えた。


 真昼の太陽は、僕らの存在を認知していないかのように、真上の空は暗いまま。



「あれは遡ること、俺と姉さんが小学生の頃になります……」

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