夜神夜子の告白
――ごめんなさい、椎名。
あれだけの壮絶な過去を聞かせてもらった僕だけど、あなたに言われたこと、守れそうにありません。守る気もないんです。
だって、夜子は、
誰も見てくれない僕を唯一見てくれた人だから。それに出逢ったときも、不慮の事故で死にかけた僕を引き留めてくれて、「いかないで」と言ってくれた。
それだけで十分だ、それだけが欲しかった。
一番に求めていたものを与えてくれた君を、一人にするわけにはいかないから僕はいくよ。
真夜中の二時、あの雑居ビルの屋上へ……。
屋上へと繋がる扉の磨りガラスには、彼女らしき人影が一つ映っていた。その影に僕は安堵の息を漏らす。
やっぱりここに来て良かった。
高鳴る胸を抑え、扉を開けた先にいた彼女は…………フレグランスシャドウのワンピースの上にコンクリートグレイのポンチョを身に纏っていた。いつも見ていた純白と対称的だ。
「夜子、ちゃん…………?」
しかも、その瞳からは諦観が滲み出していて、これから捨てられることを悟った人
形のようだった。
「はい。朝くん、今晩は」
彼女は何も見ないような空笑いを浮かべる。渇ききったというよりも、凍てついた笑み。
「……夜子どうしたの? いつもと様子が違うけど……」
「そうですか? そんな事はないと思いますが、それを言うなら朝くんの方こそ、元気がないですよ」
抑揚もなく、ただ一方的に押し付けるだけ。提示や共感を持たせるものではなく、こうだと決め付ける物言い。それらは夜神夜子という人物像とは異なっていた。まるで、別人と対面しているようでさえある。
それでも僕は、彼女に無用な心配をかけさせたくなかった。どれだけ平生と様子が変わっていようとも、彼女は彼女でしかない。むしろ、そんなときにこそ力になってあげたいのだ。
「そんなことないよ、僕は元気だよ」
気丈に振る舞い、笑顔を見せることで安心させようとした。だが、彼女はそれを見て肩を落とし、首を横に振る。
「そういう、気持ちの上の話ではないです……朝くん、目の下に青隈ができていますね。青隈は疲労、ホルモンバランスの乱れ、そしてストレスなどによって生じると言われています。それにその顔色、悪霊に生気でも吸われたみたいです。――朝くんあなたは、日中倒れてしまい、そしてそのせいで死にかけたのではありませんか?」
「ど、どうしてそれを……知ってる人は限られてるのに……っ!」
目を向けた先の彼女に笑みはない。それどころか、痛みを嚙み殺すように手を震わせ、目には涙をたたえている。
「さぁ……どうしてでしょうね。ふふ……どうしてだか、わたしにはそういうことが分かっちゃうんですよ」
壊れていた。彼女は自嘲的さえ越えて、自棄に満ちた笑いを零したのだ。目に見えて、崩壊が見えてしまった。
「夜子、どうしちゃったの?――いや、もういい。もういいよ。だから夜子、」
それ以上自分を追い詰めないでよ。
だけど、僕の声なんて届くことはなく、彼女は破滅への一途を辿っていく。
「きっと全ての元凶はわたしなのですから」
「それはどういうことなの、夜子」
これより先に踏み込んではいけないと決めたはずなのに、答えを訊かずにはいられなかった。
「簡単なことです。朝くんもご存知だと思います、死神少女の名を。それがわたしなのです」
黙っていてごめんなさいと作り笑いを見せた彼女は、現実を受け容れられずに悄然と項垂れる僕を見て、問わず語りを始めた――。
「あれはわたしがまだ、いくらか他人との繋がりを持っていた頃のことです。
とある事情で家から出られないわたしは、家に籠もって、ネットに浸っていました。オンラインゲームからSNSまで幅広く。オフ会に誘われることもありましたが、未成年のわたしは夜間の外出を自粛していましたし、もちろん昼間のものにも参加できませんでした。
それでも、ネットで遊ぶことはやめられず、チャットなどのやりとりも交わしていたんです。そうしたらある日、ネット友達の一人に言われました。
『誰かにそうしろって言われたのか?』って。
でも思えば、そんなことは何一つなかったんです。ただわたしが勝手に、自分の殻に閉じ籠もっていただけで。
それ以来、わたしはネット友達と会うようになりました。それで、何か叱られたり、咎められたりすることも特になくて、『あぁ良かった、わたしの思い過ごしだったんだ』って。そう思っていたんです。
それから何ヶ月かして、わたしは大きな過ちをしでかしたのだと後悔しました。
会っていたネット友達は次々に身体を壊し、死にかけた人までいると知ったんです……。
それが、わたしが死神少女と呼ばれるようになった因由です」
痛ましい過去を打ち明けた彼女はうぅ、と呻き声を漏らして、項垂れながらも続ける。
「だからどうか、わたしのことは忘れてください。本当はもっと早く、こう言うべきだったのに、苦しめてしまって……死ぬ目にまで遭わせて、ごめんなさい…………」
彼女は自分といたことで、僕を傷付けてしまった、不幸にしてしまったとそう考えているのだろう。
だけど、それは違う。
「何も謝られるようなことはされてないよ」
「えっ?」
想定外の答えを受けたらしい彼女の目には、一筋の光が、期待という希望が差し込んでいる。
「確かに、夜子といたことで僕は体調を崩した。だけどそれは、夜子だけが要因じゃない。時間や頻度……それらによって、体調を崩すことは大いにあり得るよ。僕が昏倒したのだって、睡眠不足のせいだった。つまりは、その人次第で防げたことなんだよ。君は、死神少女なんかじゃない」
「で、でも、わたしと会わなければ、そんな目に遭わなかったことは事実で……」
諭すように言っても、彼女はまだ不安そうに顔を歪めていた。よっぽど、昔のことが尾を引いているのだろう。
「そんなことないよ。少なくとも僕は、君がいなきゃ今まで生きられなかった。君と会うためなら、僕はいじめだって耐えていられたんだ。そんな君と離れたら僕は今度こそ、命を落としてしまうかもしれない。明日死んでしまうかもしれない。
――だからこそ、僕は君が死神少女でないことを証明してみせるよ。僕を救ってくれた君が、君自身を好きになれるように」
「わたしなんかに優しくしなくてもいいんですよ……放ってくれて、構わないんです」
言葉とは裏腹に、強く握り締めてきた手は、僕を手放そうという様子はない。
いつまでも、いつまでも、ここ(わたしの傍)に居て欲しいと、二人の手に霜焼けができるまでそれは離れようとしなかった。
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