椎名の考察



 夜子に頼られたこともあってか、誇らしい気持ちでいっぱいだった。まだなんにもしていないのに、僕は鼻歌交じりに階段を下り、自尊心を謳っていた。

 しかし、階段を下りきったところで思わぬものと出くわしてしまう。



「ふん、ふ、ふ~ん……っひぃ!!? ど、どうしてここに??」



 昨日別れたばかりであるはずの椎名が、餓鬼を睨み付ける仁王のごとく、立ちはだかっていたのだ。



「ふん、どうしてだと? 決まってる。お前が俺との約束を破ると確信していたからさ」



 そう口上する彼女の頬や耳は腫れ上がるように赤く染まり、芯まで冷え切っていそうだった。



「あんなに念押ししておいて、破ると確信していただなんて、酷い人ですね」


「何が酷いものか。現にお前は彼女と会っていただろう?」


「うっ……それはそうですけど、」



 ビルの名前までは明言していないはずなのに、どうしてこの場所が分かったのか。

 いつからここで待っていたのか。


 聞きたいことは沢山あったが、こんなところでもする話でもない。これ以上、彼女の身体を冷やしてはいけないとそう思った。



「とりあえずは、ここを離れませんか? コンビニでも二十四時間営業のファミレスでもなんでも、建物内に入りましょうよ」



 寒くて堪らないと身震いして見せると、彼女は「はっ」とせせら笑った。



「今の今まで屋上で逢瀬をしてた奴が何を言う。一週間以上それをやり通してきたのだから、これぐらい、今さら寒いも何もないだろうに……それとも、好きな女との逢瀬なら寒さなんていくらでも耐えられるが、こんな男か女か分からないような怪しい女との密会は耐えられないってか? 失礼な奴だな!」



 彼女は自分で墓穴を掘っておきながら、勝手に逆上して、僕を詰ってきた。なんて理不尽な仕打ちなんだ。



「誰もそんなこと言ってませんよ!」


「言っていないということは、思ってはいるということだろう? 好きな女には身体を熱くして、その他の女には心を冷たくして……やはり、男という生き物はろくでもない!」



 こいつぁ、相当質が悪い。

 被害妄想の一人ノリツッコミだなんて、誰も得しないっていうのに。



「分かりました、分かりましたよ。今日の話ですね……実は――」



 話を聞き終えた椎名はなるほどなと呟いて、考え込む仕草を取った。結局何がしたかったんだ、この人は。


 カン、カン、カン……。



 誰かが鉄の階段を下りてくる音が、夜半の街中に響き、夜の街に息吹を吹き込んだ。音もない世界は、死んでいるようだから。

 そんな息吹の音色で、目覚めた人が一人。



「――こんな長話をしてる場合ではなかったんだ! ったく、朝少年のせいで時間を浪費してしまったではないか」


「僕のせいですか!? いやいやいや、違いますよね???」 



 彼女はツッコミなどお構いなしに、僕の胸倉を掴むと、



「そんなことはどうだっていい。それよりも、俺を夜神夜子に会わせろ」



 そう言い放った。



「夜神夜子に会わせろって……どういうことです? 椎名さんは何をしようとしているんですか?」



 僕の命を救ってくれた彼女を全く信用していないわけではない。ただ、この前聞いた「自殺のススメ」活動が気掛かりなのだ。今を生きられない人たちのためが行動原理なら、僕が命を落としかけたきっかけを作ってしまった夜子は、椎名によって存在ごと消滅させられてしまうのではないかと。


 そんな懸念を掻き消すように彼女はニカッと笑った。



「夜神夜子が死神少女でないことを証明するためさ」


「はい……分かりました」



 僕が今抱える悩みさえ、全て解決してしまいそうな不敵さに惹かれていた。そうして僕は、操り人形のようにこっくりと頷いてしまう。


 カン、カン、カツン。



 音の種類が変わった、とそう思う間に、椎名は階段の方へ一歩踏み出していた。



「やあ、初めまして。夜神夜子」


「だ、誰、この人…………あ、朝くん!」



 見知らぬ人物に待ち構えられていた恐怖で、夜子の表情はみるみる強張っていくが、僕を見つけると、安心したように頬を緩めた。けれどやはり、そそくさと僕の背中に隠れてしまう。



「俺は自殺のススメを信条に掲げてる、椎名早月だ。お前さんのことを待ってた」



 僕からの紹介を待たずして、自己紹介した椎名は夜子へ手を差し出すが、警戒しているため、彼女は手を取る素振りすら見せない。



「大丈夫だよ、夜子。椎名さんはね、道路に落ちかけた僕を引き上げてくれて、介抱までしてくれた人なんだ。ここに来たのも、君が死神少女じゃないって証明するためだよ」



 頭を撫で、宥めるように言って聞かせると、夜子も落ち着いたらしく、少しだけ顔を覗かせた。



「話を聞いてくれる、みたいだな。ありがとう。早速だが、ここで長話もなんだ。行きつけのファミレスがあるからそこへ行くとしよう」




 と先陣切った椎名の後ろをついていくと、ものの五分で二十四時間営業のファミリーレストランに辿り着いた。



 店内は閑散としていたが、橙色の灯りと暖房が僕らを温かく迎え入れてくれる。



「ふぅ~、生き返りますねー……エアコンの熱風が染み渡るようです」



「とりあえず、席に着くぞ」



 店員は最小限しかいないためか、好きな席にお掛けくださいというフリースタイルだった。


 椎名はずかずかと店内を闊歩すると、入り口の手前側にあるソファ席を選んだ。奥の方はどうも、治安が良くないらしい。


 席に着くなり彼女はベルを鳴らし、ドリンクバーを三つだけ注文すると、さっさと店員を戻らせてしまう。各自で好きな飲み物を淹れるよう言われ、席に戻ってからようやく本題に入ることとなった。



「単刀直入に言わせてもらう。夜神夜子、お前さんは死神少女ではない」


「どうして、そんなことが言えるんですか? あなたはわたしのことを、どれほどご存知だというんですか?」



 自信満々に言い切る椎名を見ても、夜子は憂わしい表情を浮かべている。



「大したことは知らないさ、そこの朝少年から事情を聞いたぐらいでね。ではいくつか、確認を取らせてもらおうか。お前さん、会っていたネット友達が次々と体調を崩したと聞いたが、どれほどの頻度で会っていたんだ? ついでに会っていた期間もだ」


「人によってまちまちでしたが……最低でも週に二、三回は会っていたように思います。多い人は週五回くらいかと。会っていたのは一~二ヶ月程度だったと思いますけど……」


「つまり、ほぼ毎日か。では、年齢層は?」


「高校生か、新社会人くらいの、若い人たちばかりでした」



 椎名はあらかた質問し終えると、「やはりか」と頷いてみせた。



「これで確信できた。お前さんは死神少女ではないよ。朝少年も、ネット友達も、睡眠不足で倒れてしまったんだ」


「やっぱり……! でも、死にかけた人もいたんですよね? 僕のようにタイミング良く、信号の前で倒れることなんて、そうそうあるのかな……?」


「その点についても、ある程度説明はできる。学生ならば、授業中に居眠りをして昼夜逆転生活になったり、社会人ならば二、三時間ほどの仮眠を取ったりしていたのだろう。どちらにしても、夜にしっかり寝ないことで内蔵に負担がかかる。胃の中の物が消化されないことで食欲が減退されて、朝食もろくに摂らず、寝溜めするために夕食も軽いものばかりだったのだろうな。睡眠不足の上に、栄養失調が重なれば、最悪死に至ることもあるだろうさ」


「そ、そんなことで……じゃあわたしは、本当に死神少女じゃないんですね?」



 夜子が懇願するように、椎名を見上げる。言うまでもなく、彼女は肯定した。



「まあ、今後も朝少年と密会するつもりなら、時間帯を改めるべきだがな。せめて、日付が変わるまでに寝させてやれ」


「はい、そうします! ありがとう、ございます。ありがとうございます……」



 夜子はよほど感謝したのか、テーブルの上でお辞儀しようとする。いくら人が少ないとは言え、目立つからと彼女を引き留めているうちに、椎名がニヤリと笑った。



「いいとこを見せたかっただろうに、横取りして悪かったな」


「大きなお世話ですよ!!」



 静かな店内に僕の怒声が響き渡って、店員に叱られてしまったのだった。

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