クズとして去ぬ



 ――そして、桜も見頃になった今。

 僕は、感慨深いあの雑居ビルの屋上に待雪と二人でいた。



「ふ~ん、そうなんですか。じゃあ朝さん、今幸せの絶頂期じゃないですか~ヒューヒュー」



 待雪はわざとらしく、口笛を吹いてみせる。それが意外と上手かったりするのだ。



「からかわないでよ、待雪。僕は確かに今幸せだけど、これが頂点じゃ困るんだよ」


「はは~ん。さては、明日葉水琴とハッピーエンドルートを求めてますね。ダメですよ~、いたいけな男の子を薔薇色に染めちゃあ」



 待雪は僕の方を向くと、ピストルで的を撃ち抜くような仕草を取った後、したり顔を浮かべた。



「上手いこと言えた、みたいな顔しないでよ! ……ていうか、エンドでも困るんだ」


「強欲ですねぇ。何がそんなに不満なんですか、ハッピーエンドでしょ。何もかも」



 僕はふざけていた待雪の手を取った。

 頬を上気させた彼は、上目遣いに僕を見上げる。



「え、まさか……」


「そのまさかだよ。僕は君を幸せにしたい。他でもない僕の手で。それが僕なりのヒーロー性だか――」


「やだぁ、朝さんったら、いくら俺が朝さんを尊敬してるからって、そっちのルートに進んじゃあダメですってばぁ……」



 彼は無駄に女らしいしなを作って、妙な声を出した。



「いちいち茶化さないでくれる?? っていうか、まんざらでもないみたいな反応されたら、今からの真剣な話やりにくくなるんだけど!!!」



 待雪はやれやれといった風に首を左右に振り、僕の方を向いた。



「……仕方ないですねぇ、真面目に聞きますよ、用件はなんですか。プロポーズじみたことを言っておいて、大したことじゃなかったらはっ倒しますよ」


「椎名と待雪についての話。僕が弓槻さんの家の子にしてもらうお願いをしに行ったのもそれが元だよ。

 ――椎名も待雪もさ、お互いのことでずっと悩み続けてる。それは、会えば解決するとか簡単なことじゃないってことも理解してるつもり。


 でも、それでも、僕は姉弟に戻れるのを願ってる。

 北極の氷が融けるくらい時間がかかるかもしれない。だとしても僕は、二人ともが笑える生活を取り戻して欲しい。

 そのためにも、今の椎名には弟が必要だと思う。

 ……だからさ、もし、椎名が待雪のことを思い出せたそのときは、彼女に会ってくれないかな。深月として」


「そんなの、無理ですよ……俺はもう、椎名早月の仇として認識されてます。今さら双子の弟だなんてこと、言ったら姉さんはきっと……」



 頭を抱え、悲愴感を漂わせる待雪の肩に、僕はそっと手を乗せた。



「一年もあれば、見かけなんていくらでも変えられるさ。

 ……それに、死神の過去なんて、隠せばいい。話さなくていい。秘密にしてていいよ」


「俺は多くの人を殺めたのに、そんな都合いいこと……」



 罪悪感を背負い続けている待雪。何年もそんな柵に捕らわれ続けた彼だからこそ、気付いていないことがある。



「世の中って案外都合いいもんだよ。多くの人が、色んな事をなかったことにして生きてる。

 あと、殺めたなんて言っちゃダメだ。最後の最期は、自分自身で決めたことなんだから、その人たちの判断と責任まで奪っちゃダメだよ。

 ……それにさぁ、待雪は椎名さんを守るために待雪になったんでしょ。

 いい加減覚悟決めたら?

 ――あ、そうそう。


『待雪草』ってスノードロップの和名で、花言葉は〝あなたの死を望みます〟がメインらしいね。でも、別の解釈もあったんだ。

 それはさ、〝死の希望〟ってやつ。一見すると、さっきと同じに聞こえるけど、誰かさんと似たようなこと言ってるんだよね。〝自殺のススメ〟って、とどのつまり……、

 死を前提に考えたら人間なんでもできるってこと言ってるようなもんなんだよ。

 別に、解釈が僕の憶測だっていうなら、否定してくれてもいいけど、どうする?」


「いいえ、完敗です。朝さんは、やっぱりすごいですね。俺は到底敵いそうにありません」



 待雪は驚いたように、けれどどこか清々しそうに、苦笑していた。



「じゃあ、今から電話で椎名さんをここに呼び出してもいい?」


「それはやめてください」


「あはは、即答だ」



 待雪は口をきゅっと固く結ぶと、



「それは……俺のこの隈が治ったとき、自分自身でやりますので」



 彼の瞳に嘘偽りは感じられない。



「お、言ったな。誓ってよ?」


「誓いますとも! この待雪草の名にかけて」


「…………もしさ、待雪と椎名、二人が姉弟に戻れたそのときは――」


「いなくなったり、しないでくださいね朝さん。たとえ、戻れたとしても俺と姉さんの関係はどこかぎこちないものだと思います。だからですね、おにいさん。

将来的に、俺らの兄弟になってくださいよ」



 彼は花の綻ぶような柔い笑みを僕に向けると、小指を絡ませてきた。



『僕が待雪になるよ』



 そんな決意さえ、戯言に思えてしまうほど、待雪の答えは愛おしいものだった。

 僕と待雪は指切りを交わし、未来のことを誓った。



「ふふ……じゃあ僕は、今日から待雪のことを〝深月兄さん〟って呼ばせてもらおうかな」


「えっ、それはちょっと……!」



 たじろぎつつも、潤んだ瞳も上気した頬も隠せてやしない。



「世界のために、〝藤原野朝〟はクズとして去ねたかな」



 空を仰ぐと、僕らの門出を祝うかのように、小さな虹がかかっていた。


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世界のためにクズとして去ね 碧瀬空 @minaduki_51

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