待雪草が待雪草である理由
明日葉の発言に、僕は全身がわなないた。
「え…………ど、どういうことだよ明日葉。黒川にいじめられてたのが原因で、自殺未遂したんじゃなかったの?」
僕のそれは当たらずとも遠からずだったようで、明日葉はうーんと困ったように笑う。
「えーとね、黒川のせいで自殺したっていうのは、あんまり間違ってないよ。ほぼ正解なのかな。でも、それが全てじゃないから」
彼は目を細めて、何かを嘆くように地面に目を落とした。
「全てじゃないって……明日葉、聞いてもいいかな。君が、死のうとした本当の理由」
彼は小さく頷くと、僕に背を向けた。といっても、また柵の方へ近付いたわけじゃない。どちらかと言えば、屋上にある扉の方を向いて。
話しているときの表情を見られるのが嫌なのだろうと、そう感じた。
「――ぼくはね、女装が嫌いじゃないんだよ。むしろ好きだよ。可愛いものとか甘いものとか、そういうのが好き。だから、母さんに女装しろって言われたことはちっとも嫌じゃなかった。それよりも、女装した僕を見るときの、汚物でも見るような父さんの目付きの方が嫌いだった」
そう。明日葉の両親は、彼の女装がきっかけで離婚したと聞かされた。
だから僕はてっきり、
「両親の離婚がきっかけで、女装を嫌いになったりはしなかったんだ……」
吐いてしまってから、しまったと口を押さえるがもう遅い。
明日葉は眉根を寄せてしまう。
「……結構、痛いとこ突くんだね。藤原野くんは」
「い、いや、今のはつい……」
フォローしようとすればするほど墓穴を掘るようで、彼はがっくりと肩を落として、溜息を吐いた。
「……でもまぁ、それが〝普通〟なのかもね。ただ、ぼくにとってはそれが当たり前だったから、どうにも切り離せなくて。いや、違うかな。それも含めて、〝ぼく〟だから、それを捨てたらぼくじゃなくなっちゃうんだよ」
と、明日葉はゴミ捨て場に放置された人形のような視線を僕に向けた。
理解してとは言わないから、知っていて。そう言わんばかりに。
「大丈夫だよ。僕はもう、明日葉を見捨てたりしない」
彼は少し、寂しそうに笑った。
「うん、多分藤原野くんはそうだと思うよ。だけど、他の人も同じってわけにはいかないか……黒川に目を付けられるようになったのは、ぼくが働くメイドカフェに彼が偶然やって来たからなんだ」
花さんと棗さんから少し聞かせてもらったよと告げると、そうだろうねとさして驚くこともなく、彼は頷いた。
「でね、バレたくないからやりたくはなかったんだけど、空いてる子がいなかったから黒川の接客をしたんだよ。女装はバレなかったよ。ただ、すごい気に入られちゃって、ぼくがシフトに入ってる日はいつかとか、店の子にも聞いたりしてきたんだ。それでちょっとしたら、『俺と付き合ってよ』って言われて。でもぼく男だし、お店の決まりもあるから断ったら逆上されて。ちょっとしつこくて怖かったからシフト減らしてもらったら、もっとひどくなって……ストーカーされるようになって、」
話すほどに明日葉の顔色は悪くなっていった。当時の出来事はよほど、彼の精神に痛撃を与えたのだと思う。
「もしかして、それでバレたの?」
こくん、と彼は頷くというより、項垂れるように顔を伏せた。
「店長にも相談して躱してたはずなのに、バイト終わって裏口出てくるところを待ち伏せされてたんだ。そしたら黒川は、『俺のこと騙してたんだな』って。そのときの笑い方はすごく不気味で、寒気がしたよ。そんなつもりないって、店長に助けを求めようとしたけど、羽交い締めにされて、『言うこと聞かなかったら、学校の奴らにバラすぞ』そう脅されたから…………ぼくは、黒川の要求に応じちゃった。実家のぼくの部屋にあった変な衣装がその証だよ」
気持ち悪いでしょ? と自嘲的な表情で彼は僕に訴えかけてきたが、それには応じなかった。
君は気持ち悪くなんかないよ。
「でも、それだったらいじめられないはずじゃ……それにいじめが原因じゃないって言ってたよね? なら、どうして」
僕の率直な問いに、明日葉は顔を翳らせた。喩えるなら、桃のように笑う彼が、朽ちた月下美人のような脆さを見せたのだ。
「脅せば、従順に言うことを聞く犬だとでも思ったのかな。黒川はね、今度は俺と付き合えって言ってきたんだ――男だって、知ってるのにね。従わないと、変な衣装着て男誘ってるってことを母親に言うって言ってきたんだよ。さすがにそれは聞けないって断ったら、いじめられるようになって。やめてほしかったら……って言うんだ。もう辛いの通り越して、気持ち悪いなって思っちゃったよ」
笑っちゃうでしょ? と同意を求めるような仕草に、胸が萎れるような思いを抱いた。
そんなことないって否定したかった。けれど、彼が欲しているのはそんなものじゃない。
彼はきっと、
「いいよ、続けて」
ただ聞いてほしいだけなのだ。
あのとき聞いてもらえなかった苦しみを、痛みを。分かち合ってくれなくてもいいから、受け止めて欲しいのだ。
明日葉は涙ぐみながら、うんと呟いた。
ビル風が吹き付けて、僕らの湿った頬を濡らすけれど、それでも僕らはこの場からどこかへ行こうとはしなかった。
きっと、この場所だけが僕らを冷たい世間から隔離してくれるから。
「黒川は、ぼくの存在を否定した。メイドカフェで働いていた姿こそが、本当のぼくで女になるべきだと言ってきた。でもぼくは、女の子になりたいわけじゃないんだ。ただ、女装が好きなだけなんだよ。だから、男の僕を否定されるのはもやもやしたなぁ……」
ぼやくようにそう語る彼だが、その内容は相当酷だ。生まれた性別を否定されて、感情も否定されて。
一体、彼が何をしたっていうのだろう。因果応報には時がかかりすぎる。だから、弱き者たちはやっていけないのだ。見切りを付けるのだ。そうして捨て去ってしまうのだ。
「でも、明日葉が死にたいって思ったのはそれじゃないんだよね?」
彼はまた、静かに首肯した。
「黒川のいじめに限界を感じ始めてたある日、ぼくは母さんに会いに行ったんだよ。そしたらね、女装用の衣装なんかがダンボールに仕舞われてた。それを見て思ったんだ、黒川が言ったんだろうって。
それで母さんは、〝そんな気持ち悪いぼく〟を見捨てたんだなって、思っちゃった。
……母さんはぼくを男として扱ってこなかった。そんな母さんが女装の衣装を捨てるってことは、もうぼくは不要品だってことでしょ?」
違う、とは言えなかった。それが慰めにもならない、ただのまやかしだと分かったから。
「明日葉水琴は、ぼくの性格と夜子の性格を合わせて、一つなのに。みんなはそれを切り離そうとするから。勝手に、ぼくと夜子を分けちゃうんだ。ぼくも夜子も明日葉水琴の思いなのに」
だから、消えようとしたのだと彼は言った。
二度目も同じ理由。明日葉水琴を必要としてくれる人はいても、夜神夜子を必要としてくれる人はいなかった。大事にしてくれるのは、器の明日葉水琴だからと。そう感じたそうだ。
「でも、少なくとも僕は、明日葉水琴も夜神夜子も必要としてるよ」
「それはさっき、体感させてもらったよ」
明日葉は苦笑しながら、唇をなぞう仕草をした。
「……ところで、明日葉が二度目の自殺をしようとしたのって、本当に自分だけの意思? 誰かに唆されたんじゃないの?」
問い詰めるように強い語気で尋ねると、明日葉は観念したように口を開いた。
「……うん。藤原野くんが考えた通りだよ。死神――フード少年に言われたんだ、
『自殺未遂で、少し負傷したぐらいじゃ、キミを傷付けた奴は変わらない。何も思わない』
『それなら本当に心が壊れる前に、誰にも必要とされなくなる前に、死んだ方がいい』
『そしたら、少なくともキミをいじめた奴の人生を、半分壊すくらいはできる』
って。
――ぼくだって、聖人じゃない。黒川に一矢報いたかったんだよ」
「…………」
「幻滅、したよね?」
その目には、恐怖が宿っていた。拒絶されたくないと、受け止めて欲しいと。
「しないよ。僕だって、黒川たちに報復を考えてるからさ。それにさ、それより気になることがあるんだ」
「気になることって?」
待雪の正体。彼の深淵が、垣間見えてきたような気がする。
「待雪が、自殺を教唆する理由。いじめ被害者のためだって言ってたけど、もっと別の何かがあるんじゃないかって思うんだ。そうじゃなきゃ、自殺教唆に人生を費やせないでしょ?」
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