修羅場(2)
明日葉が閉めてくれた教室の戸が開け放たれ、何事かとざわつくクラスメート。
僕は、その正体を知っていた。
「俺の弟をいいたぶってくれた黒川鶲という男子生徒はどいつだ?」
黒髪短髪でワイシャツとウエスト・コートにズボンというバーテンダー衣装で現れた椎名に、クラス中がどよめきだす。
外見は男なのに、女の声がするからか。はたまた、学校に教師以外の大人が現れたからか。
そんな中凜然と今宮が、教室の奥に息を潜めていた黒川を指差した。
「あいつよ」
椎名は明日葉に確認するよう目配せして彼の承認も得られると、彼女は教室の中を闊歩していき、黒川に詰め寄った。
「黒川鶲……てめえは、俺の弟に勝手に惚れて、勝手に失恋して、勝手に逆上して、勝手な思い込みでストーカーまでした挙げ句、勝手な持論で弟を陥れやがった。辱めやがった」
さらにざわつく教室内。黒川を見る目が明らかに変わっていく。ひそひそ声は、
「え、嘘、気持ち悪い……」「ホモでストーカーとかありえなくない?」など黒川を非難するものばかりだ。
「ち、違う、僕はそんなことはしてな……」
それに気付いた黒川は必死に取り繕おうと声を上げるも……、
椎名は呆れたように彼を見下した後、写真を思い切りばらまいた。
「……男を着せ替え人形にして、その上、言いなりにして身体の関係に持ち込もうとしたら拒絶されたから、今度はいじめや家族のことで脅そうとしたってか。
はんっ、嗤わせるな。ゴミクズ未成年が」
周囲の生徒が写真を拾い上げ、声を上げる。
「おい、これ見ろよ。メイドカフェの写真だぜ」
「え、マジマジ!? 見せて見せて!! ……うわ、これ黒川じゃん。めっちゃでれでれしてるし、キモ……」
「てことは、このめっちゃ可愛い子は明日葉くん? 髪も今のと同じだし……」
「誰だよ、明日葉をモサいとかダサいとか言った奴~」
「てか、女装でこんなに可愛いなら、めっちゃ美少年じゃん! なんで今まで気付かなかったんだろう……」
口々に思ったままを告げていく生徒たち。明日葉の本当の姿を知った今では、誰も明日葉をいじめようという者はいなくなっていた。これだけの美形をいじめたら、自分が妬んでいることがあからさまだと分かったからだろう。
「明日葉に謝りなよ」
ぽつり、一人の女子生徒がそう口にした。人間とは不思議なもので、方針が決まれば、瞬く間に手の平返しを決め込む風潮にある。
「そうだ、そうだ、詫びろよ」
次々と挙がってくる謝罪要求。クラス中の生徒から向けられる悪意に耐えられなくなったのか、黒川は奇声を上げ、僕に視線を向けてきた。いじめはやめようと言ったから、助けてもらえるとでも思ったのだろうか。馬鹿馬鹿しい。
「黒川のやったいじめは犯罪だからね、ちゃんと暴いて、罪を償わないと」そう笑顔で言ってやったら、彼は海の色くらい顔を真っ青に染めた。
「したって言うならなんだよ。それと、藤原野! いじめはなくそうって言ったくせに……嘘吐き。死ね死ね死ね……ぼ、ぼ、僕は悪くない。僕は悪くないんだ……あ、あいつが、男のくせに女の格好してるからだよ。悪いのはあいつだ……」
これにはさしもの明日葉も堪忍袋の緒が切れ、競歩で黒川の席に近付き、自ら引き千切ったウィッグを彼の口へとねじ込んだ。
「んむぅ!!?」
下手をすれば窒息しかねないが、拳ごと喉奥まで押し込んでいたわけではないため、黒川は噎せ返る程度で済んでいた。
「何すんだよ!!」と今にも掴みかかりそうな黒川を手で制し、明日葉は汚物を見るような冷ややかな目をして、
「ぼくが一度でも、女だって名乗ったことありましたか?」
これには彼も驚きを隠せなかったようで、「何言って……」と呆気に取られている。
「第一、あのメイドカフェのフロア店員の大半は男です。馴染みの客なら知っていることなので言う必要もありませんし、観賞するだけならそれで問題ないはずですよね?
それに、ぼくが女装しようとどう生きようと、あなたに批判する権利はありません」
想いながらも、それが叶わないために見下し続けてきた相手から公衆の面前でぴしゃりと言い放たれ、黒川に為す術はなかった。それでも往生際の悪い彼は、死なば諸共といった風に明日葉の悪口を喋ろうとした。
が、
「散れっ、こんのクズ男がっっ!!!」
バッチィィンという爽快な音と共に豪快な平手打ちが、黒川の左頬に炸裂していた。椅子には腰掛けていた黒川だったが、その勢いで薙ぎ倒され、地面へと落ちていった。
「今宮、なんで……」
左頬を押さえながら、動揺を露わにする黒川。今宮に裏切られたことが相当意外だったようだ。それに対し、今宮は彼を張り倒したことで少しはせいせいしたのか、明るさを取り戻しつつあった。
「あーあ、いくら売春目当ての変態おっさんから助けてもらったからって、あんたなんか……好きになるんじゃなかった。恩で好きになっちゃいけないわ。
それに好きだからって相手の言うことホイホイ聞いてるようじゃ、ポイ捨てされるに決まってる。本当に好きなら、止めてやれば良かったんだ。
……もう諦めなよ。明日葉のことも、やっちゃったこともさ。取り返せないことだよ」
今宮の諭すような言葉に、黒川も観念したのか、くそっと切れながらも項垂れた。
僕は追撃にと、止めの質問を投げかける。
「いじめと脅迫行為、それから、未成年のポルノ写真の所持なども認めるってことだね?」
黒川はやはり力なく「うん」と肯いた。
これで全てが終わるのだと、そう思ったのだ。
「じゃあ、明日葉に謝って。心の底から詫びて、罪を償って。君は一生消えない罪を背負ったんだから」
床に転げる黒川に上から物を言うと、彼はケッと顔を背ける。
「マジでうざいんだけど……たかだか、いじめやコスプレ写真くらいで罪を償うとかわけ分からないし……未遂なのにここまでされるとか、マジで死んでほしい」
周囲は、「こいつ、まだほざくか」というような目で黒川を蔑んでいた。彼の往生際の悪さは明らかだった。だからこそ僕は。
「うん、分かった」
「は?」
予想だにしていなかったであろう僕の返答に、黒川は間抜けな声を漏らした。
「君に死ねって云われるのは二度目だ。この前は印刷した紙で、だったね。お陰様で、クラスのみんなからは犯罪者だとか人殺し呼ばわりされたし、すっご~く生きづらくなっちゃったから、今から死ぬよ。
ここから飛び降りるから、ちゃんと見ててね」
僕は窓際に駆け寄った。椎名や明日葉までもが顔面蒼白で、こちらを見ている。それもそのはず、二人にこのことは伝えていなかった。伝えたら、絶対止められると思ったから。
「ちょ、嘘だろ?? おい、ふじ――」
「バイバイ」
地面を背に、僕は宙に身を放り投げる。
束の間の浮遊感の後、全身に激しい打撃と圧迫が襲いかかってきた。
上の方からいくつもの悲鳴が上がる。
起き上がろうと思ったが、そうもいかなかった。肋骨の一つや二つ、それから内蔵もやられていそうなくらい痛い。口から肺が飛び出しそうなくらい気持ち悪い。
僕はまだなんとか動かせる状態にある四肢を駆使して、スマホを操作した。
「待雪……あとは、頼んだ、よ」
薄れゆく意識の中、誰かが僕の頭を撫でてくれた気がした。
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