世界のクズ



 あの後、待雪がずたぼろになった俺を介抱し、僕の飛び降り動画とそれまでのいじめ糾弾動画を、学校専用の掲示板にアップロードしてくれた。



 僕の意識が戻った後は、学校側と教育委員会にいじめの証拠品などをまとめて提出した。


 一応公開は内部に留めておいたが、好奇心や数字のために外部へ晒す奴も少なくなく、結局はちょっとした騒ぎになってしまったのだった。



 あえて警察沙汰にはしなかったのに、校外に漏れたせいでそうもいかない。

 明日葉へのいじめ(という名の犯罪)が世間に露呈して、黒川は児童売春・児童ポルノ禁止法に抵触したために警察へ連行されていった。まだ彼は未成年だから、いくらか刑は軽くなるだろう。


 うちの学校が取り沙汰されて、世間では色々な憶測やら意見やらが飛び交って、記者やマスコミが押し寄せて。



 僕の所業なんかがバレてしまったわけだが……それでも心は、雨上がりの空のように晴れやかだった。



 始業式の日から一週間経ち、怪我は完治こそしていないものの、安静にしていれば普通の生活を送れる程度には回復し、ようやく一時帰宅許可が下りた。


 実はあの日、僕が飛び降りたのは三階の教室で、落ちたのも中二階の間くらいに位置する芝生の上だったため、猛烈な痛みこそあるが、背骨や肋骨にヒビが入った程度で済んでいた。


 さすがに僕も、いじめを払拭するためにしても命は懸けられない。

 事の顛末を知った椎名や明日葉にはさんざ泣かれたが、それでも後悔はしていない。



 とは言え、二週間振りに帰宅しようという家路を辿る足取りは重かった。



 家は「監獄」だから。僕という問題児に、これ以上何もさせない為の。


 家に帰る度に、増え続ける枷を消し去ってしまうため、僕はあんな幻を見たのだろう。



「この、人殺し、ひとごろし、ヒトゴロシ…………」


「っうるっさい!! お前に何が分かるんだよ!!!」


「お前はボクを捨てておいて、自分だけが苦しんでるみたいな顔して生きてる」


「うるさい、うるさい、うるさい、うるさい……お前なんか消えちゃえばいいんだ。そうだ、お前なんかいらない」


「とっくにボクはいないよ」


「嘘吐くな!!」 


「ほら、ボクの足下をよく見てよ」


「そう、ここは君がボクを捨てたことへの贖罪の為の場所。毎日通ってるよね?」


「……お前は誰だ? 何の為に僕の前に現れるんだよ、捨てたなら現れないでくれよ」


「そんなこと言われてもなあ。ボクは君が望まない限り、存在すらできないんだから――」



 僕は、卑怯者で臆病な僕自身を、殺したがっていたから。


 あの日、僕が〝ボク〟を捨てたことをずっと責め続けていた。

 両親という檻に閉じ込められることを良しとしないくせに、逃れるための努力もしようしとない自分を変えろ、って。そう苛み続けていた。


〝ボク〟はそんな僕に呼び掛けてくれていたのだ。

 今は僕の中で、弱々しい僕を支えてくれているけれど。



「家、か」



 地面ばかりに見つめていた顔を上げて、十七年間暮らしてきた我が家を見上げた。


 青い瓦屋根は所々塗装が剝げ、昨年の台風被害で瓦解した部分はブルーシートで補われている。次、大雨が来たら、雨漏りは免れられない。いや、その程度で済むだろうか。

 外壁にはヒビ割れが生じており、カビを帯びたそれは随分みすぼらしかった。

 ――ここは本物の監獄じゃない。



 監視カメラも、檻も、穴だらけ。僕を捕らえていたのは、


『ここを抜け出したところで行く場所なんてない。生きていく為には両親に従う他ない』


 そういう観念だった。

 でも。



「すぅ~~はぁぁ」



 息を整えて、インターホンを鳴らした。

 一分と経たずに、玄関付近が騒がしくなる。



 あの愚息が帰ってきただの、どんな懲罰を与えようかだのと、そういったくだらない会話さえ、今はコメディのように思える。


 それから、二、三分ほど経過した頃だろうか。



 玄関の戸が開けられ、面に笑みを貼り付けた母が僕を迎え入れてくれた。



「お、おかえりなさい……朝」



 表面上は取り繕う母を他所に、父は苛立ちを隠すこともなく仁王立ちで僕を睨め付ける。

 どうやら、帰って早々に懲罰を与えようとした父を、母が諫めたようだ。ギリギリそうだが。



「おじゃましますっ」



 僕は父と母の意に介さず、二人の間をすり抜けてリビングへと向かった。

 二人は困惑しながらも、僕の後に続いた。

 


 リビングに入ると、母は飲み物の用意役、父は説教役という風に役割分担したようで、それぞれの持ち場に着いていた。


 僕は父に促されるまま、椅子に腰を下ろすと、父は横柄さを前面に押し出したような態度で僕への尋問を開始した。



「……おい朝、一週間の無断外泊に加えて、あのような動画をネットに投稿して世間を騒がすとは何事だ!」



 ドスを利かせた声と捲し立てるような口調、それに……威圧感。僕はこれが怖くて、今まで逆らえないでいたけれど、大人が絶対じゃないと知った今では、ただ五月蝿く喚き散らす老害とさほど変わらない。


 それに、ネットに投稿したのは僕ではなく、僕が待雪に頼んで学校の掲示板にアップロードしてもらったものを転載した誰かだ。

 他人がやったこと、間接的にそれを手伝ったくらいで怒られる謂われはない。



「何って、心の赴くままですけど」


「そういうことを聞いているんじゃない! お・ま・えは! 何をしたのか分かっているのかと聞いているんだ!!」



 説得させるだけの話術を持っていないから、怒鳴り散らして相手を威嚇する。チワワが敵わない相手に吠えるのとほぼ同義だ。



「分かっていますとも。父さん、僕はもう、物事の善し悪しが分からないほどの子どもではないんですよ」


 臆しすらしない僕に、父は歯軋りしだした。今まで自分の意のままに操れていた子どもが、急に自分の思うようにいかなくなったことで、相当なストレスを感じているのだろう。ただ、そんなもの、僕が喪失してきたものに比べたらなんてことはないのだが。



「……なら、なぜあんなことをした? 飛び降りの動画なんてネットに上げたら、自分の周囲にマスコミが殺到して、迷惑をかけるとは考えなかったのか?」


「……まどろっこしい言い方はやめにしませんか? 本当はあなた方が、責任問題を問われたり、世間から糾弾されたりとそういったものから逃れるため、世間の目に晒されることや注目を浴びることをを怖れているのでしょう」



 父の顔色は真っ赤を通り越して、土気色に変色していった。怒りに狂っているというよりは、目の前にいる息子が、自分の知っているそれではないことに気付いてしまったからだろうか。



「親に向かって……なんだ、その口の利き方は。お前、本当に朝か?」



 あえてその問いには答えず、



「……親というのは、息子が一週間以上の長期入院することになれば、一度でも面会に来たり、看病してくれたりする人のことを言うのではないでしょうか。少なくとも、あなた方はどちらにも当てはまりませんが」



 張り倒される覚悟で皮肉を言ってみたのだが、二人とも思うところがあったのか、歯を食いしばったり、目を伏せたりして、激情は見せなかった。



「……い、忙しかったんだ。仕事が色々と立て込んでいてな」


「九時五時終わりですよね? 面会は八時までだったんですけど、病院は職場から徒歩十五分くらいですし……相当残業が長かったんでしょうね」



 父が否定されたことで焦りを感じたのか、母も口上しだした。



「わ、私が残業で忙しいのはいつものことだから……ほら、遅くまで働いてるところの子どもを預かってないといけないから」



 言い訳でしかない詭弁に、僕はにぃっこりと作り笑いしてみせた。



「そうですね。教育者ですものね……教育者なら息子が建物から転落したとしても、自分のしでかした過ちなのだから、身を案じるより先にお説教するべきですよ、ね?」



 わざと語尾を強調してやると、母は青ざめた顔で僕を見上げた。


 所詮、そんなものは言い訳にしか過ぎない。母も分かっている。だからこそそんな顔をする。

 まともな職場なら、子どもが入院するほどの怪我をしたと言えば、いくらか融通を利かせてくれるはずだ。そうでなきゃ、人でなしだろう。



 時計の秒針が響くほどの静寂。沈黙。秒針は三度ほど、頂点に至った。


 暫く黙り込んでいた父だったが、渋い顔をして、口を開いた。



「……お前、それだけの口答えをしておいて、ただで済むと思っているの――」


「思ってませんよ」



 食い気味に返答した。いや、水を差すように遮ってやった。



「僕、十二年前の自分を取り戻したんです。全部ではなくて、不完全で、不鮮明でも。

 ヒーロー願望を抱いた僕はここにいます。

 個性と無謀に満ちた僕がいます。

 だから、あんなこともしました――でも、無知なわけじゃない」



 父はあんぐりと口を開け、母は化け物でも見るかのような目付きで僕を見ている。


 ――あぁ、なんだか覚えがある。そうだ、確かあの日、家に帰った僕はこんな目をした母に泣かれて、自分を殺そうとした。そのときはまだ、母が好きだったから。悲しませまいとして。



「それじゃあお前は……マスコミに騒がれて、周囲に迷惑をかけることも分かってて、これから自分が、生きづらくなることも分かってて、あんなことをしでかしたのか?」


「はい、そうです」



 僕はしゃんと姿勢を正して、断言した。その間、一刹那も父から目を逸らさなかった。その堂々たる態度に、父は「そうか」と曖昧に言葉を漏らした。



「そこで、です。父さんも母さんも、今回のことで僕には失望し、見切りを付けたと思います。

 だから――絶縁してください。戸籍も外させてください」



 両親は絶句していた。僕は構わず、弁論を続けた。



「あなた方は僕の養育費は稼いでくれて、生きていくのに困らないようにはしてくれました。ですが、それ以外の自由は全て奪われ、物心ついた頃から、一つも愛はもらえませんでした。


 確かに僕が十二年前したことは、子育ての気力を失わせ、愛情も喪失させるものだったのかもしれません。けれどそれなら、放っておくなり、見切りをつけて里子に出すなりしてくれれば良かったんです。でもあなた方は、体裁のためにそうしなかった。


 これも立派な虐待ですよ。

 ……、……ですが、僕は二人を訴えるつもりはありません。それでもここまで育ててもらった恩義はあるので。

 だからこそ、最後のお願いです。

 ――どうか、僕と絶縁してください」



 母は泣き崩れ、父は眉間に皺を寄せたまま押し黙ってしまう。


 ここが正念場だ。根負けだけは絶対できない。



「……………………これからの生活はどうする? 行く宛なんてないだろ。二十歳になれば、自由にしていいからそれまで我慢するんだ」


「嫌です」



 父は瞠目し、椅子から立ち上がった僕を見上げた。


 誰かが人生は道だと言っていた。

 人生が道だと言うのならば……、



「だって、〝普通の道〟から逸脱したところで、僕らは生きていけるんですから」



 ついでに行く宛があることを補足しておいた。

 それから僕はくしゃくしゃに顔を歪めて、



「それなら僕は、そういう人たちの為にクズとして去にたい」



 世界のクズらしく、

 両親に、最初で最後の心からの笑顔を贈った。



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