第25話 そういうこともあるよね。

 6月8日。



「うまいなー」


 いつもの豚バラを大きな口で頬張ったクロは、威厳もへったくれもない顔で、そんな言葉をこぼす。


「クロ様は本当に、お肉が好きですね」


 汐見さんはそんなクロの姿を見ても幻滅することなく、敬意を感じさせる声でそう告げる。


「我は肉が好きなのではない。未白が焼いてくれた肉が、好きなのだ。その辺、勘違いするなよ? 汐見の小娘」


「心得ております、クロ様。……そうだ。今度、専門店からいいお肉を取り寄せましょうか? クロ様や未白くんにはお世話になっているので、ボクがご馳走しますよ」


「いい肉! よいではないか、汐見の小娘。期待しておるから、早急に準備するがよい」


「ご期待に添えるよう尽力いたします、クロ様」


 汐見さんは恭しく、頭を下げる。クロはそんな汐見さんの姿を見て、満足そうに笑う。


「…………」


 そして俺はそんな2人の様子を眺めながら、小さく息を吐く。



 汐見さんがうちに来てから、2週間近くの時が流れた。


 その間……いや、今に至っても俺もクロも汐見さんへの警戒を、緩めてはいない。けど汐見さんがあまりに友好的だから、少し毒気を抜かれていた。


 汐見さんは朝も夜も毎日、食事の準備を手伝ってくれる。それに休日になれば、俺やクロの分まで掃除や洗濯をしてくれる。しかもそのどれもが効率的で、ずっとクロの面倒を見てきた俺よりも手際がいい。


 だからクロも、ある程度汐見さんに気を許していた。……まあそれは、殺意を見せれば容赦なく首を切り落とす程度の好意でしかないが、俺もクロも少しだけ気が抜けていた。



 このまま汐見さんは、なんの行動も起こさないんじゃないか。



 そんなことが、頭を過ぎるくらいに。



「……っと」


 そこでふと、俺のスマホから電話の着信を知らせる音が鳴り響く。


「悪い、2人とも。ちょっと外す」


 だから2人にそう断りを入れて、スマホを持って自室に戻る。


「…………」


 画面に表示されているのは、紗耶ちゃんの名前だ。紗耶ちゃんには電話番号を教えてあるから、電話がかかってくること事態はおかしなことではない。



 ……けど少し、不安だった。



 だって今までのループで、こんな時間に紗耶ちゃんから電話がかかってきたことなんて、一度もない。だからもしかしたら、俺の知らないところで何か起きたんじゃないか。そんなことを、考えてしまう。


「……考えても、仕方ないか」


 そう呟き、覚悟を決めて電話に出る。


「もしもし。どうかしたの? 紗耶ちゃん」


「…………」


 けれどどうしてか、返事が返ってこない。


「……紗耶ちゃん? 何かあったの? 紗耶ちゃん!」


 だから少し大きな声でそう言うと、今度は聞いたことがないくらい悲痛な叫びが響いた。




「……私をいじめてた美佐子さんが……自殺しちゃったんです……!」




「────」



 一瞬、言葉の意味が分からなかった。それくらいその言葉は、想定外のものだった。


「…………」


 ……いや、俺は知っていた筈だ。その美佐子って子は、前回のループの時……紗耶ちゃんに代わっていじめられていたと。


「ど、どうしましょう? 先輩! 私……彼女がいじめられてるって、知ってたんです! なのに……な、何もできなくて……!」


「……とりあえず落ち着いて、紗耶ちゃん。落ち着いて順番に、何があったか説明してくれ」


 自分に言い聞かせるようにそう言って、紗耶ちゃんの言葉を待つ。すると紗耶ちゃんは何度か深呼吸を繰り返してから、震える声でゆっくりと話し出す。


「……私、夕飯を食べたあと、コンビニに行ったんです。……最近暑くなってきたから、アイスでも食べようと思って……。それで廃ビルの前を通ったら、辺りに人だかりができてて、誰かが……飛び降りたって聞いたんです」


「どうしてそれが、その美佐子さんだと?」


「……落ちてたんです。彼女がずっと探していた、キーホルダーが。だから……」


 紗耶ちゃんはそこで、電話越しでも分かるくらい悲痛な声で泣いてしまう。……自分をいじめていた相手の為にそこまで泣けるのは、素直に凄いと思う。


 俺には到底、真似できない。


「とりあえず、紗耶ちゃん。それだけの情報で、飛び降りたのが美佐子さんだと決めつけるのは早計だ。だからまずは落ち着いて、変な噂に惑わされないよう気をつけて」


「……はい」


「大丈夫。俺の方でも調べてみるし、何か分かったら紗耶ちゃんにもちゃんと伝える。だから今日はもう、外に出ちゃダメだよ? 眠れないなら、いつでも電話してきていいから。絶対に、早まったことはしちゃ駄目だ。……分かった?」


「はい。分かりました……」


「じゃあまた電話するから、自分を責めないようにね」


 そう言って、電話を切る。


「……くそっ」


 思わず、そんな悪態が口から溢れる。


 紗耶ちゃんのクラスメイトが、自殺する。そんなこと、考えてもいなかった。……というかそもそも、今までのループの時はこんなことにはならなかったのに、どうして彼女は飛び降りたんだ?


「…………」


 ……いや、どういう理由にせよ、彼女はもう死んでしまった。なら俺にできることは、何もない。



 俺がここで死んで、彼女が自殺する前に戻る以外は……。



「何かあったのかい? 未白くん」



 そこでそんな声とともに、心配するような顔をした汐見さんが姿を現す。


「……どうやら紗耶ちゃん……俺の後輩のクラスメイトが、自殺したらしいんです。この前、汐見さんと会ったあの廃ビルから、飛び降りて」


「──。それは、なんというか……可哀想な話だね」


「はい。本当に……救われない」


「……そうだね。でも死というものは、受け入れるしかないものだ。だってボクら生きてる人間は、死んでしまった人間に何もしてあげられないのだから」


 汐見さんはとても冷たい声で、そう言い切る。その声は今までの汐見さんと別人のようで、俺は思わず汐見さんの顔を覗き込む。


「ん? どうかしたの? 未白くん」


「……いや、死んでしまった人には何もできない。それは確かに、その通りだと思います。でもそう言い切ってしまうのは、少し寂しくないですか?」



「──なら君は、彼女の為に死んでやれるのかい?」



「……え?」


 汐見さんは当たり前のように、その言葉を口にした。だから一瞬、その言葉の異常性に気がつかなかった。……でも、彼女は確かに言った。



 死んでやれるのか? と。



「汐見さん。それ、分かってて言ってます?」


「……くふっ。勿論だとも。君が神の力を使って何度もやり直していることを、ボクはずっと前から知っているよ?」


「────」


 汐見さんは、笑う。いつかの時と同じように、狂ったように大声で笑う。



 だから仮初の楽しい日常は終わりを告げ、ここからまた冷たいだけの日々が始まった。


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