第51話 愛してるよ。
「愛してるよ、未白くん。君が信じてくれなくても、ボクのこの言葉に……嘘はない」
そう言った汐見さんは、そのまま俺にキスをした。優しく、壊さないように、何度も何度も、汐見さんの冷たい唇が俺の唇に触れる。
「……待ってください、汐見さん。俺は──」
「君はもう、充分頑張ったよ。だから逃げたって、誰も君を責めたりしない」
俺の反論を見透かしたように、汐見さんは笑う。笑ってまた、キスをする。
「汐見さん……」
俺を抱きしめる汐見さんの身体は、とても柔らかくて温かい。何度も触れる唇から、汐見さんの真っ直ぐな好意が伝わってくる。
「…………」
心地良い。
気持ちいいとか幸せとかそういうのじゃなくて、こうして汐見さんに触れていると……安心する。それこそ本当に、何もかも捨ててしまいたくなるくらいに。
でも……。
「ごめんなさい、汐見さん」
俺はそう言って、無理やり汐見さんから距離を取る。
「……ボクのキス、嫌だった?」
「そうじゃないです。汐見さんのキスは、凄く……ドキドキしました」
「ならもっと、しようよ。ボクはもっともっと、君が欲しいんだ……」
汐見さんはゆっくりと、俺の方に手を伸ばす。……けれど俺は、その手をとらない。
「ごめんなさい、汐見さん。貴女の好意はとても嬉しいけど、俺は逃げるわけにはいかないんです。それに、汐見さん。貴女は俺と1つになりたくて、あさひに協力したって言いましたよね?」
「うん。それがボクの、最初の目的だよ」
「じゃあどうして、逃げようだなんて言ったんですか? 汐見さんと2人で逃げたら、その目的が叶わないじゃないですか」
汐見さんの言動は、またしても矛盾していた。だから俺は、彼女の温かさを拒絶する。
「ふふっ、それはさっきも言っただろ? ボクは君が、好きなんだ。そして同時に、ボクは君を……君という神を信仰している」
「……信仰って、どういう意味ですか?」
「言葉通りの意味だよ。ボクは君に、畏敬の念を抱いている。君を求める愛情と、同じくらい強くね。君からすれば、ボクの言動は矛盾して見えるのかもしれない。でもボクはただ、矛盾した2つの感情を君に向けているのだけなんだよ」
「…………」
愛と信仰は、矛盾した感情なのだろうか? ……俺には、分からない。けど汐見さんは、そう言ってまた笑う。
「ボクはね、汐見の家が大嫌いだった。神に寄生し、甘い汁を吸って、ただ威張り散らすしか脳のないあいつらが、心の底から嫌いだった」
汐見さんは俺には見せないような冷めた目で、青い空を睨みつける。
「でも君が、それを壊してくれた。あのどうしようもない古びた牢獄を、君の願いが打ち壊したんだ。君はボクと違って両親を愛していたのに、一切の容赦なく彼らを皆殺しにした。……その時から君は、ボクにとっての神なんだ」
「……あの家を壊したのは、俺じゃなくてクロですよ」
「それは、違う。あの時のクロ様は、言わば剣だ。彼女自身に、何かを壊そうという意思はなかった。そうだろ?」
「…………」
汐見さんのその問いに、俺は何の言葉も返せない。
「久折と汐見。その2つを壊したのは、間違いなく君の意思と怒りだ。あの時の君の世界を染め上げるような怒りが、ボクを閉じ込める牢獄を壊した。その時からボクは、君という神を信仰しているんだよ」
「……ならどうして、俺じゃなくてあさひの所に行ったんですか? どうして神と1つになるだなんて、そんな馬鹿げたことに協力したんですか!」
別に、汐見さんに怒っているつもりはなかった。けれど気づけば、そう叫んでいた。
「そうするしか、なかったからだよ。君は気づいてなかったのかもしれないけど、クロ様はずっと君を守っていた。……いやあれは守っていたと言うより、独り占めしていたと言うべきか。だからボクは……いやあのあさひでさえ、君に近づくことができなかった」
「……だから、あさひと手を組んだ」
「そう。そしてあさひの言った通り、どうしてか唐突に君の守りは緩くなった。だから君は、紗耶ちゃんなんかに殺されてしまった。……昔の君なら、例え紗耶ちゃんがどれほどの狂気を持っていたとしても、殺されることなんてあり得なかったのに」
「…………」
確かにそれは、そうかもしれない。久折の家にいた頃の俺なら、紗耶ちゃんが俺に殺意を向けた時点で、紗耶ちゃんを……。
「まあなんにせよ、ボクは君と1つになりたかった。そうなれば永遠に、君と一緒にいられるからね」
汐見さんはそこで小さく息を吐き、またいつもの笑みを浮かべる。そしてそのまま、俺の身体を抱き寄せる。
「でも、気づいたんだ。君と1つになると、こうやって君を抱きしめることもできない。この温かさを、感じることができなくなってしまう……」
そして汐見さんは、また俺にキスをする。
「────」
今度はさっきまでとは比べものにならないくらい、激しいキス。まるで捕食するかのように、汐見さんの唇が俺の唇を貪る。だから俺はさっきみたいに振り払おうと、身体に力を込める。
「あ、れ……?」
……けどどうしてか、身体が上手く動かない。
「……未白くん。このままボクと一緒に、逃げよう? ボク、何でもするよ? 君が望むなら、この身体に何をしてもいい。君が過去のことを思い出さなくて済むよう、ボクが全力で愛してあげる。こんなキスなんかじゃなくて、もっともっと気持ちいいこと……沢山してあげる」
「おれ、は……」
「だからさ、未白くん。お願いだから、ボクと一緒に来てよ」
頭が、真っ白になる。どうしてか、意識が霞む。
「…………」
そして俺は、思ってしまう。このまま汐見さんと逃げるのも、悪くはないかもしれないと。汐見さんの心境を理解した今、その選択は間違ったものではない筈だ。
だって今さら何をしても、あさひの策略からは逃れられない。
みんなを助けると、みんなは俺と同化してしまう。でも放置すると……いや、俺が彼女たちのそばにいる限り、放置できないような問題が起き続ける。
そうなれば結局、俺は彼女たちを助けるのだろう。そしてその代償として、彼女たちは
そんな運命から逃れるには、誰もいない遠くに逃げるしかない。きっと紗耶ちゃんや莉音は凄く悲しんで、もしかしたら……死んでしまうかもしれない。
でもそんなの、神と同化するよりずっとマシだ。
「…………」
だから俺は大きく息を吐き、覚悟を決める。そして気持ちが変わらないうちに、その言葉を口にした。
「すみません、汐見さん。貴女が……貴女がちゃんと俺のことを想ってくれているのは、分かりました。でも俺は、逃げるわけにはいかないんです」
「……どうして?」
「汐見さんは知らないかもしれませんけど、クロの奴……意外と寂しがり屋なんですよ。だから、目を覚ました時に俺がそばに居ないと……あいつ、泣いちゃうと思うんです」
これから先、誰と恋人になって誰と愛し合ったとしても、俺の帰るべき場所はクロの隣だ。……それだけは絶対に、変わらない。
だってそれは、俺とクロが結んだ最初で最後の約束だから。
「……そっか。そんな顔をされると、何も言えないね」
汐見さんはそう言って、優しく俺の頭を撫でる。
「ごめんなさい、汐見さん。貴女はちゃんと俺のことを想ってくれているのに、俺は──」
「いいよ。だってボクの帰るべき場所は、君の隣だから。君がここに居たいと言うなら、ボクもここに残る。……愛してるよ、未白くん」
俺は、汐見さんの誘いを断った。なのに汐見さんは、変わらず愛を囁く。
「強いですね、汐見さんは」
「ボクだけじゃないよ、強いのは。恋する女の子は、皆んな最強なんだ。だから未白くん。これからはさ、もっと自分のことを考えなよ。君に守ってもらわなければならないほど、ボクたちは弱くないからさ」
「…………」
神と同化するということが、どういうことなのか。汐見さんはきっと、分かっていない。分かっていないから、そんなことが言えるんだ。
あれは、あさひだから耐えられることだ。普通の人間が完全に神と同化したら、その瞬間……。
「さて、気を取り直してデートの続きをしようか? まだまだ日は高いし、今日くらいは嫌なことを忘れて遊ぼうよ。それくらいなら、構わないだろ? 未白くん」
「……ですね。今日くらいは思いっきり、はしゃぎましょうか」
そうしてそれからは、汐見さんと一緒にただ楽しいだけの1日を過ごした。……けれど、これからどうすればいいのか。それは全く、分からないままだった。
凄く可愛いのにとある事情で人間不信な後輩を、いじめから助けてひたすら甘やかしたらどうなるか検証してみた。 式崎識也 @shiki3
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