凄く可愛いのにとある事情で人間不信な後輩を、いじめから助けてひたすら甘やかしたらどうなるか検証してみた。

式崎識也

第1話 楽しみですね!

 6月24日。



久折くおり先輩はどうして、私なんかに優しくしてくれるんですか?」


 静かな雨が降る、蒸し暑い放課後。空き教室の椅子にちょこんと腰掛けた後輩の冬乃江とうのえ 紗耶さやちゃんは、どこか期待するような目でこちらを見る。


「特に理由はないよ。強いて言うなら、紗耶ちゃんの胸が大きいからかな」


 俺は軽い笑みを浮かべて、適当な言葉を返す。


「……え? えー! 久折先輩みたいな凄い人でも、私なんかの胸が気になるんですか?」


「いや、冗談だよ」


 という俺の言葉は聞こえていないのか、紗耶ちゃんは自身の大きな胸に手を当てて、ぶつぶつと考え込む。


「先輩みたいな人でも、私なんかの胸に興味あったんだ。もちろん私は、先輩になら……。いやでも、今日は体育あって汗かいてるし、ブラも可愛いやつじゃない。それに先輩も男の人だから、胸だけじゃ済まないかも……」


 たいへんだ。たいへんだ。と、紗耶ちゃんはしばらく、自分の世界に入り込む。


「……よしっ。覚悟は決めました。先輩には沢山お世話になったので、好きなだけ触ってください!」

 

 そして、数分後。顔を真っ赤にした紗耶ちゃんは、そう言って大きい胸をこちらに差し出す。


「じゃあ遠慮なく」


 だから俺は当たり前のように、その胸に手を伸ばす。


「…………」


 ……けど、ここで本当に胸に触れたら、きっとあいつに死ぬほど怒られてしまうだろう。



「よしよし。紗耶ちゃんは可愛いな」



 なので代わりに、紗耶ちゃんの頭を軽く撫でてやる。『実は女の子って、頭撫でられるのあんまり好きじゃねーんだぜ?』とか風の噂で聞いたことがあるが、まあ別にいいだろう。


 ……うちのクロは、頭撫でるとすげー喜ぶし。


「ふやー」


 それに紗耶ちゃんも、気持ちよさそうにふやけてる。


「……って、違います! 私は胸を、触って欲しいんです!」


「え? 触って欲しいの?」


「はい! 女の子だって人間なんですから、エッチなことに……って、違います! 今のは全部、忘れてください!」


 と、言われても、俺の脳みそはそんなに便利にできていない。


「分かった。忘れるよ」


 けどとりあえず、そう答えておくことにする。


「……ふぅ。それなら、安心です。……って、あれ? 結局、なんの話をしてたんでしたっけ?」


「多分、俺がどうして紗耶ちゃんに優しくするかって、話だと思うよ」


「そうでした。先輩の巧みな話術のせいで、すっかり誤魔化されてしまいました」


 困ったもんです。と、紗耶ちゃんはプンスカする。


「それで、先輩。先輩は本当に、私のこの大きな胸が目当てで、私に優しくしてくれるんですか?」


「いや、違うよ」


 これ以上からかったら可哀想なので、とりあえずそう否定しておく。


「……なんだ。違うんだ。そうですか」


 けど、紗耶ちゃん。ちょっとだけ、不服そう。


「まあ実際のところ俺は適当な奴だから、その辺はあんまり深く考えない方がいいよ」


「そうします。先輩と話してると、胸がいくつあっても足りません」


 その言葉の意味は分からないけど、突っ込むのは辞めておく。


「それより、紗耶ちゃん。ちゃんと目を見て、話せるようになったね。この1ヶ月、付き合った甲斐があるよ」


 俺が紗耶ちゃんをいじめから助けて、だいたい1ヶ月。放課後はずっと一緒に、会話の練習をしてきた。その甲斐あってか、最近はちゃんと目を見て話せるようになってきた。


「先輩にそう言ってもらえると、ちょっと嬉しいです。……えへへ」


「うんうん。紗耶ちゃん可愛いし、これならすぐに彼氏とかできちゃうかもね」


「それは、ないですよ」


 急に真面目な顔で、そう言い切られる。


「……ないの?」


「はい。ないです。……変なこと言わないでください。いくら先輩でも、怒りますよ?」


「あ、ごめん」


 どうやら少し、怒らせてしまったらしい。


「私は別に、彼氏とかそういうのはいいんです。……私はただこうやって先輩と……ううん。こうやってふざけて合いながら話せる人が居るだけで、満足ですから」


「……そっか」


 その気持ちは、分からないではない。だからこれ以上、余計なことは言わないことにする。


「じゃあそろそろ、帰ろ……って、ごめん。電話だ」


 ポケットから、スマホを取り出す。……けれど表示された名前を見て、そのまま電源を切る。


「……あれ? いいんですか? 先輩」


「うん。バカからだったから、大丈夫。どうせ大した話じゃないし」


 どうせまた、夕飯は焼肉が食べたいとかそんな話だ。なので、まともに取り合う必要はない。


「……先輩」


「なに? 紗耶ちゃん」


「もしかして今の、女の人ですか?」


「よく分かったね。そう。面倒な女からの電話だった」


「そうですか。……そうですよね。私には先輩しかいないけど、先輩には私以外の人が……たくさんいますもんね」


 紗耶ちゃんは寂しさを誤魔化すように、無理に笑う。


「先輩」


「なに?」


「やっぱり胸、触ってくれませんか?」


「……いきなり何を、言い出すんだよ」


「だって私には、これくらいしか長所がありませんから」


「いや、他にもいっぱいあると思うよ? 可愛い笑顔とかさ」


 というかそもそも、なんの話をしてるんだ?


「……そうですよね。やっぱり先輩は、私なんかの胸に興味ないですよね」


 紗耶ちゃんは大きく、息を吐く。……紗耶ちゃんがどうして急に落ち込んでしまったのか、俺にはよく分からない。


「それでは、今日も付き合って頂き……ありがとうございました」


 紗耶ちゃんはぺこりと頭を下げて、そのままふらふらと教室から出て行こうとする。


「…………」


 このまま見送ったら、きっと紗耶ちゃんのことだから、1週間は引きずってしまうだろう。だからどうにかして元気づけてあげたいと思うけど、流石に本当に胸を揉むわけにもいかない。


「……はぁ。私はほんと、ダメダメです」


 でもこの落ち込みようだと、頭を撫でてもふやけてくれないかもしれない。




 なら──。



「元気だしなよ、紗耶ちゃん」



 紗耶ちゃんを後ろから、抱きしめる。それはもしかしたら、胸を揉むよりやばいことかもしれない。けど、『寂しそうな女の子がいたら、迷わず抱きしめてやれ』それがうちの神様の、教えだ。


 ……なのでまあ、最悪引っ叩かれるくらいで、許して欲しい。



「……え? え? 先輩。どうして、抱きしめてくれるんですか……?」


「いや、紗耶ちゃんが寂しそうに見えたから」


「でも……え? 抱きしめるってことは、そういうことですよね? ……じゃあやっぱり、先輩が私にばっかり優しくしてくれるのは、私のことが……」


 紗耶ちゃんは自分に言い聞かせるように、ごにょごにょと何か呟く。……その声はとても小さいから、俺にはよく聞こえない。けどまあ、元気になってくれたのなら、それでいいだろう。


「じゃ、帰ろっか? 紗耶ちゃん」


 手を離して、紗耶ちゃんの隣に並ぶ。


「……はい。2人で一緒に、帰りましょう。先輩」


 紗耶ちゃんはそんな俺を、蕩けるような目で見つめる。



 ……俺がこの少女に殺されるまで、残り3日。




 楽しい楽しいラブコメが、始まった。


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