第12話 久しぶり。
6月5日。
雲1つない青空が広がる、土曜日の朝。俺はあの廃ビルの屋上に、やって来ていた。
「当たり前だけど、壊れてないな」
そう呟いて、前回は壊れていた屋上のフェンスに触れてみる。
「……結構、頑丈だな」
押しても引いても、壊れる気配は全くない。かなり経年劣化しているが、俺が全力で蹴っても壊れることはないだろう。それくらい、頑丈だ。
「どう考えても、あと数日であんな風に壊れるとは思えない。……紗耶ちゃんが何かやったのかもしれないけど、誰かが細工したって可能性も十分にあるな」
そんな風に、屋上を見て回る。無論、まだ殺人は起きていないのだから、証拠なんてどこにも何もない。
しかしそれでも、一度見ておきたかった。あの時の悲しみと後悔を、忘れない為に。あんな結末を、もう2度と迎えない為に。
「……いい空だな」
一通り見て回ったあと、屋上の中心で空を見上げる。
今回も前回と同じように、いじめられていた紗耶ちゃんを助けた。そしてまた莉音に付き合ってもらいながら、会話の練習をしている。
前回はそんなただ優しいだけの俺に、紗耶ちゃんは不安を感じていた。だから今回はただ優しくするだけじゃなく、ちゃんと自分の気持ちを伝えた。
君のことが気になるから、君の力になりたいと。
いきなりそんなことを言われて、紗耶ちゃんは顔を真っ赤にして驚いていた。そして少し、前より距離ができてしまった。……けれどその距離は、必要なものだと思う。大切なのはその距離を、これからどう縮めていくかだ。
「……その為にも、誰が俺たちを殺したかはっきりさせないとな」
ぼーっと空を見上げながら、そう呟く。
「やあ。こんな所で何をしているのかな? 未白くん」
するとそれに返事をするように、そんな声が響いた。
「……
音もなく姿を現したのは、
「汐見さんなんて、他人行儀は呼び方はやめてくれ。昔みたいに、奈恵と呼び捨てにしてくれて構わないよ? ……何せ君は、ボクの許嫁なんだから」
「…………」
許嫁。確かに、そんな話もあった。この人もまた俺と同じ面倒な家に産まれて、産まれた時から俺と結婚することを決められていた。
でもそれは、昔の話だ。
「ありましたね、そんな話も。でも許嫁なんて、俺のこの目のせいでとっくの昔になくなったじゃないですか」
「まあ、そうだね。そもそも君が全部、壊しちゃったしね。ボクも詳しくは知らないけど、随分と神様を怒らせたって聞いたよ?」
「……どうでしょう。というか貴女は今、
養子として久折の家にやってきた来た、海斗くん。俺の代わりにあの家に縛られることになった可哀想な彼が、今のこの人の許嫁の筈だ。
「別に彼とは、付き合ってなんかいないさ。そもそも彼は真面目すぎて、ボクの好みじゃない。……ボクは昔の君みたいに、人を寄せつけない狂気のある子が好きなんだ」
汐見さんは笑う。俺は小さく、息を吐く。
「……それで、汐見さん。改めて訊きますけど、どうしてこんな場所にいるんですか? 女の子が1人で来るような場所じゃないでしょ? 廃ビルの屋上なんて」
汐見さんは直接は関係してないが、俺が神様に願ったことで色々と迷惑を被った人の1人だ。だからもしかしたら、この人が俺を……殺そうとしているのかもしれない。
「…………」
いや、流石にそれは早計か
「どうしたんだい? そんな怖い顔して。ボクはただ、君の姿が見えたから、追いかけて来ただけだよ。こんな人気のない廃ビルに1人で行くなんて、飛び降り自殺でもするのかと思ってね」
「それは、心配をかけましたね。……でも、飛び降りる気なんてないですよ。今は昔と違って、生きる理由がちゃんとありますから」
「……へぇ。いい顔をするようになったね。昔の君はもっとがむしゃらで、怖くて、何より……不安定だったのに」
「汐見さんと仲良くしてたのなんて、小学生の時でしょ? そりゃ変わりますよ」
「ずるいな、それ。嫌なことは全部、ボクやあさひに押しつけて、君1人変わってしまうのかい? それは……卑怯だよ」
屋上の風に髪をなびかせながら、汐見さんはゆっくりとこちらに近づいてくる。
「……随分と背が伸びたね、未白くん。昔はボクの方がずっと背が高かったのに、ちょっと悔しいよ」
汐見さんは誘うように、俺の頬に手を当てる。……彼女の手は相変わらず、とても冷たい。
「汐見さん。俺の家……久折の家は、もう昔ほど力はありません。汐見の家だって、それは同じ筈だ。だから貴女がその気になれば、逃げることくらい簡単でしょ?」
「かも、しれないね。確かにボク1人なら、どうとでもできる。……でも君の妹、あさひはどこにも逃げられない。それに、憐れな養子の海斗くんもね」
「……あさひは、もう既に逃げたあとですよ。久折とか汐見とか、そんな小さなことは今のあいつには関係ない」
「ふーん。君はそんな風に、思ってるんだね。まあ実際、もう何年もあさひとは話してないから、詳しいことは知らないのだけどね」
汐見さんは薄い笑みを浮かべて、俺の頬から手を離す。そしてそのままその手のひらに、キスをする。
「ねぇ、未白くん。今からあさひに、会いに行かないかい? どうせ今日は、1人でこんな所に来るくらい暇なんだろ? だったら久しぶりに、3人で遊ぼうよ」
「……嫌ですよ。そもそも俺はもう、あの家と関わるつもりはありません」
「大丈夫だよ。あさひはもう、あの家には居ないから。……確か、10日ほど前だったかな? 彼女たっての希望で、一人暮らしを始めてるんだよ。……君の住んでるマンションでね」
「────」
そんなこと、全く知らなかった。……いや、俺はもうあの家とは縁を切っているから、俺に連絡しないのは分かる。けれどどうして、俺と同じマンションなんだ? それにわざわざ同じマンションに来ておいて、どうして何も言わないんだ?
……今のあさひが何を考えているのか、俺には全く分からない。
「では行こうか、未白くん」
汐見さんは当然のように、俺の腕を引いて歩き出す。
「汐見さん。その前に1つ、訊いてもいいですか?」
けれど俺は、動かない。この場所を立ち去る前に、どうしても確かめておきたいことがあったから。
「汐見さんじゃなくて、奈恵」
「……分かりましたよ。……奈恵。訊きたいことがあるんだけど、構わないか?」
奈恵。俺がそう呼ぶと、汐見さんは湧き上がる感情を抑えるように胸を抑えて、口元を歪める。
「なんでも聞いてよ、未白くん。ボクは昔から、君に頼られるのが好きなんだ」
汐見さんは真っ直ぐに、俺を見る。だから俺も真っ直ぐに彼女を見つめて、その言葉を口にする。
「貴女は俺のこと、恨んでますか?」
その質問が意外だったのか、汐見さんは目を丸くする。けれどすぐに笑みを浮かべて、囁くようにこう呟く。
「今の君を恨む理由なんて、どこにもありはしないよ」
そして汐見さんは、歩き出す。俺もその背に続いて、前に進む。
できれば今でも、あさひには会いたくない。それは好きとか嫌いとかそういう問題じゃなくて、もっと根の深い問題だ。それに今はそんなことより、俺と紗耶ちゃんを殺した犯人を調べなければならない。
「…………」
でも思えば、俺を殺す可能性が1番高いのは、間違いなくあさひだ。彼女は俺を殺す為に、俺と同じマンションに引っ越して来た。そう言われても、納得できるくらいに。
だから今は大人しく、汐見さんに手を引かれて歩く。
「……今日は暑いな」
……しかしどうしても、気が重かった。
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