第14話 おはよう。

 6月7日。



「お、紗耶ちゃんだ」


 あさひの部屋に行った、翌々日の朝。いつも通り学校に向かって歩いていると、ちょこちょこと歩く可愛らしい後ろ姿を見つける。


「おはよう、紗耶ちゃん」


「……あ、久折先輩。おはようございます!」


 俺の姿を見て、紗耶ちゃんはぺこりと頭を下げる。


「珍しいね、朝から会うの。もしかして、寝坊でもした?」


「……実は、そうなんです。最近ちょっといろいろ考えちゃって、眠れないことが多いんです」


「そうなんだ。何か悩みでもあるの? ……いや、まさかまた、いじめられてるとか──」


「い、いえ! そういうのじゃないんです! 先輩が助けてくれたお陰で、いじめられることはなくなりました!」


「じゃあ、何か悩みごと? ……相談に乗れることなら、何でも聞くよ?」


 俺がそう言うと、紗耶ちゃんは困ったように下を向く。


「……申し訳ないですけど、先輩には……話せません」


「そうなの? まあ言い難いことなら、わざわざ聞かないよ」


「はい、すみません。……あ、でも、先輩が嫌いだからとか、そんなのじゃないですよ? ただ……最近は先輩のことばっかり考えちゃって、よく眠れないんです。でもそんなの先輩に言ったら、恥ずかしいじゃないですか……」


「いや、それ……」


「……あ。い、今のは違うんです! その……忘れてください!」


 と言われても、残念ながら俺の脳みそはそんなに便利にできていない。


「分かった。忘れるよ」


 けどとりあえず、そう答えておく。じゃないと紗耶ちゃん、このまま走って行ってしまいそうだ。


「……ほっ。それなら、安心です。やっぱり先輩は、凄いです。何でもできるんですね」


「いや、それは……。まあ、紗耶ちゃんにそう思ってもらえるよう、これからも頑張るよ。それより──」




「返せよ! あれは私の、宝ものなんだ!」



 そこでふと、そんな悲痛な声が響き渡る。だから俺と紗耶ちゃんは、示し合わせたように声の方に視線を向ける。


「あの子たちは……」


 視線の先では、紗耶ちゃんをいじめていた子たちが、大声で何か騒いでいた。


「先輩……」


 紗耶ちゃんは不安そうに、俺の服の裾を掴む。


「大丈夫だよ。また何か言ってきても、俺が守ってあげるから」


 そう言って、優しく紗耶ちゃんの頭を撫でてやる。


「ふやー」


 すると紗耶ちゃんは、ふやふやとふやける。


「…………」


 けれど彼女たちは、俺たちに怒鳴っているわけでも、他の誰かをいじめているわけでもないようだ。どうやら彼女たちは、内輪で何か揉めているらしかった。


「なに怒ってんのよ、美佐子。あんな安物のキーホルダーなんかで必死になって、ダサっ」


「美佐子って、そういうところあるよね。子供っぽいっていうかさ。そういうの、一緒に居て疲れるんだよね」


「そんなの、あんたたちには関係ないだろ! いいから返せ!」


「あはははっ! 必死になって、馬鹿みたい。……そもそもあんたが理事長の娘とか嘘ついたから、うちらまで恥をかくことになったんよ? ならこれくらいされて、当然でしょ」


「そそ。つーか、これくらいで許してあげるうちら優しすぎ」


 2人は見下すような笑みを浮かべて、学校の方に歩いて行く。


「……くそっ!」


 美佐子とかいったリーダー格だった筈の女は、敵意のこもった目でその背中を睨む。……やっぱり、仲間割れしているらしい。


「行こっか? 紗耶ちゃん」


「でも……」


 紗耶ちゃんは心配するように、取り残された美佐子って子の方に視線を向ける。


「なに見て……って、お前は……」


 そして彼女も、ようやくこちらに気がついたようだ。


「おはよう。美佐子さんって言ったけ? 朝から随分と、楽しそうだったね」


「……ちっ。見てたのかよ」


「まあ、朝からあんなに大声で騒いでればね。……もしかして、今は君がいじめられてるの?」


 昨日までいじめっ子だった奴が、ちょっとしたことでいじめられる側にまわる。……彼女には悪いが、それはよくあることだ。


「お前には関係ねーよ。……くそっ。どいつもこいつも、私を舐めやがって……!」


 彼女はそう悪態をついて、学校とは正反対の方に歩き去る。


「…………」


 ……或いは彼女がいじめなんてしていなければ、俺は彼女のことも助けたのかもしれない。何かが少し違うだけで、俺の隣には彼女がいた可能性だってある。


 でも俺は正義の味方じゃないから、いじめをしていた人間まで助けようとは思わない。寧ろこれで少しは、やられる側の痛みを学べばいいと思う。


「じゃあ行こっか? 紗耶ちゃん」


 だから俺は、ゆっくりと歩き出す。……けれど紗耶ちゃんは、足を止めたまま彼女が去っていた方を見つめ続ける。


「……どうして皆んな、いじめなんてするんでしょう」


「…………」


 その答えは、とても簡単だった。けれどだからこそ、口にしたくはなかった。



 だってそれは、同じだから。



 1度目の時、紗耶ちゃんが俺を殺したのも。俺がどれだけ頑張っても、両親に認めてもらえなかったのも。あさひが、あんな風になってしまったのも。どこかの誰かが、俺と紗耶ちゃんを殺したのも。



 きっと全て、同じ理由で説明できる。




「そんなの、決まってるじゃないか。人とは、そういう生き物だからだよ」



 黙ってしまった俺の代わりだというように、そんな声が響く。そして曲がり角から、1人の少女が姿を現す。


「汐見さん。どうして貴女がここに……」


 その少女──汐見さんは俺の言葉を聞いて、楽しそうにニヤリと笑う。


「奈恵、だろ? 未白くん」


「……そうでしたね。それよりこんな時間にこんなところで、何してるんですか? 汐見さ……奈恵の通う高校は、ここから3駅ほど離れてる筈でしょ?」


「わざわざそれを、ボクに言わせるつもりかい?」


「どういう意味ですか? それ」


「ふふっ。分かってるくせに」


 汐見さんは楽しそうに、ただ笑う。


「…………」


 前回も前々回の時も、俺は汐見さんと話すらしていない。なのにたまたまあの廃ビルの屋上で出会っただけで、こうして彼女との関係が動き出した。



 ……俺はそれが、少し怖い。



「先輩。この人……」


 紗耶ちゃんは怯えるように、俺の背中に隠れる。


「怖がらなくても、大丈夫だよ。この人は、汐見 奈恵さん。……まあ、莉音と同じ幼馴染みたいなものかな」


「くふっ。そういうわけだ。よろしくね、紗耶ちゃん」


 汐見さんは当たり前のように、紗耶ちゃんに向かって手を差し出す。


「は、はい。私は、冬乃江 紗耶っていいます。その……よろしくお願いします!」


 だから紗耶ちゃんも、俺の背中から顔を出してその手を握る。


「それで、何か用でも……って、もう時間がないな。奈恵、悪いけど話はまた今度でもいいですか?」


「構わないよ。別に、何か用があって来たわけじゃないからね」


「そうなんですか?」


「ああ。だって学校なんかに行っても、どうせ全て無駄になる。それなら今のうちに、未白くんがご執心の紗耶ちゃんの顔でも、見ておこうと思ったんだよ」


 汐見さんのその言葉に違和感を感じたが、俺が何か言う前に紗耶ちゃんが口を開く。


「私に会いに、ですか? ……というか、先輩が私に、その……ご執心とか、そんなの──」


「まだそんなこと言ってるんだね、君は。……気に入らないな。好かれてるなら、もっと堂々としなよ。じゃないと、張り合いがないよ」


「え? あの、それは……」


「汐見さん。あんまり紗耶ちゃんを、いじめないでもらえますか? というか、わざわざそんなことを言うために来たのなら、俺たちはもう行きますよ?」


 俺は紗耶ちゃんの手を引いて、歩き出す。紗耶ちゃんも困惑しながら、俺について来てくれる。


「そんなに怒らないでくれよ、未白くん。それに、紗耶ちゃんも。昔の許嫁が別の女に取られそうで、ちょっと嫉妬しちゃったんだ。許してくれ」


「い、許嫁! それ本当ですか! 先輩!」


「……本当だけど、もうとっくに解消されてるよ。……汐見さん。貴女、俺に嫌がらせしに来たんですか?」


「まさか。こんなの軽いジョークだよ。……ただ君も分かっているだろうけど、ボクと違ってあさひは本気だ。だからあんまり、本気にならない方がいいと思うよ?」


 汐見さんは、笑う。まるで自分の真意を隠すように、楽しそうに笑い続ける。


「……まあ、確かにあさひは、本気でしょうね。でも俺は妹に怯えて恋を諦めるほど、臆病じゃないですよ」


「今のあさひに怯えない人間なんて、いやしないよ」


「今も昔も、あさひはあさひですよ。……行こう? 紗耶ちゃん。あんまりゆっくりしてると、遅刻しちゃう」


「……いいんですか?」


「ああ。あの人は昔からああだから、適当なところで切り上げないと、いつまでも──」


 と。そこで学校の方から、授業開始を知らせるチャイムが鳴り響く。……どうやら、間に合わなかったらしい。


「おっと。ボクのせいで、遅刻しちゃったみたいだね。ごめんね、未白くん。それに紗耶ちゃんも」


「……汐見さんを責めるつもりはないですよ」


「だから、ボクのことは奈恵と……って、いいや。それより、これあげるよ。変なこと言って君を困らせた、お詫びだ」


 汐見さんはそう言って、映画のチケットを2枚俺に手渡す。


「これは……」


「見ての通り、映画のチケットだ。友達を誘おうと思っていたんだけど、断られてしまってね。だからそれは、2人で使うといいよ。……どうせまだ、デートにも行ったことがないんだろ?」


 汐見さんは俺ではなく、紗耶ちゃんの方を見て笑う。


「というわけで、紗耶ちゃん。今度の休み、未白くんがデートに誘ってくれる思うから、楽しみにしておくといいよ」


 汐見さんはそれだけ言って、この場から立ち去る。……本当に、嵐のような人だった。


「…………」


 ちらりと、渡された映画のチケットに目を向ける。


「…………」


 紗耶ちゃんはそんな俺を、どこか期待するような目で見つめてくる。


「なあ、紗耶ちゃん。今度の休み、一緒に映画に行かないか?」


「……はい! 行きます! その……行かせてください!」


 そうして、紗耶ちゃんとのデートが決まった。







「くふっ。……未白くんも紗耶ちゃんも、単純で可愛いな」


 そして事態はまた一歩ずつ、悪い方へと進んでいく。


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