第15話 可愛い。

 6月8日。



「ふふっ。様になってきたの、未白」


 クロはいつも通り、楽しそうに笑う。


「……こんなことで褒められても、嬉しくないよ」


 俺は呆れたように、言葉を返す。


「ういやつめ。ほれ、頭を撫でてやろう」


「足で頭を撫でるのは辞めろ!」


 頭を撫でる足を払いのけて、大きく息を吐く。


 今日は紗耶ちゃんも莉音も用があると言って、さっさと帰ってしまった。なのでやることがなくなってしまった俺は、早めに家に帰ることにした。


 ……そしたらまあ、こんな風にクロの脚を揉むことになってしまったのだが、それは約束だから文句は言わない。


「それで、目星はついたのか?」


 クロは唐突に、そう言う。


「いきなりなんの話だよ」


「鈍い奴め。決まっているではないか。前回お前を突き落とした、犯人の目星だ」


「……残念ながら、まだはっきりとは分かってないよ」


 今のところ1番可能性が高いのは、あさひだろう。あいつは誰より俺のことを愛しているが、理由があれば躊躇なく俺を殺す筈だ。



 そしてあさひが神と同化している以上、それを防ぐ手立てが俺にはない。



「なあ、クロ。お前は気づいていたのか? あさひが同じマンションに来てるって」


「いいや。我、そういう感覚ば鈍いから全然気がつかなんだ」


「神同士なのに、分からないものなのか?」


「まあ、我もあいつも弱っているからなー。全盛期であれば気がついたかもしれんが、今の状態だとちと厳しいの」


「……そうだよな。いくらお前でも、あさひが来てるって知ってて黙ってる訳ないもんな」


 今のクロは、とても弱っている。俺が無茶なことを願って、あさひがクロとは別の神に俺と相反することを願ったから。


 2柱の神が願いを叶える為に互いを食い合い、結果……俺の願いもあさひの願いも叶わず、現存する数少ない神は2柱とも消える寸前まで力を失ってしまった。


「なあ、クロ。仮にあさひが俺を殺そうとしてきたとして、俺にそれを止められると思うか?」


「無理だな」


 クロは当たり前のように、そう言い切る。


「それはあさひが、神だからか?」


「そうだ。あやつは気に食わんが、それでもれっきとした神だ。故、人間程度ではどうすることもできん」


「やっぱり、そうか」


 あさひはこの前、言った。遊びのうちは見逃すが、本気になったら……と。そして事実、本気になった前回、俺たちはあの屋上から突き落とされた。


 そう考えるとやはり、あさひが犯人だとしか思えない。けれどあさひを止める手段が、俺にはない。というより、この世の誰でもあさひを止めることなんてできない。


「…………」


 ……それこそ、同じ神でもなければ。


「未白。お前、我にあの生意気な小娘を止めろと言うのか?」


 俺の思考を見透かしたように、クロの紅い瞳がこちらを見る。


「……いや、今のお前に無理はさせられない」


「でも我に頼らんのであれば、お前はいつまで経ってもあの娘の手を握ることもできん。そうなればあの娘も、痺れを切らして他の男のところに行ってしまうかもしれんぞ?」


「……それは、嫌だな」


 でも今からあさひのところに乗り込んでも、俺ではあさひを止められない。……そもそもまだ、あさひが犯人だと決まった訳ではない。


「なあ、クロ。やっぱりお前に1つ頼みたいんだけど、構わないか?」


「……願いではなく、頼みか。それくらいであれば聞いてやっても構わんが……って、手が止まっておるぞ? 未白」


 クロは色っぽい仕草で、自身の膝を叩く。だから俺はまた、クロの脚を揉み始める。


「知っておるか? 未白。ふくらはぎの柔らかさって、胸の柔らかさとほとんど同じらしいぞ?」


「いきなりなんの話だよ。どうでもいいよ、そんなこと」


「嘘をつけ。今の時代の男は、みな胸が好きなのだろう? 我、知ってるからな」


 クロはそう言って、揉んでいない方の脚を持ち上げて、ふくらはぎを俺の顔に押しつける。


「……お前に足蹴にされるのはもう慣れたけど、あんまりやり過ぎると怒るからな?」


「ほんとは嬉しいくせに、照れおって。可愛い奴だな、未白は」


「なんだよそれ。……でもま、お前は胸がないから、ふくらはぎで満足するしかないか」


「ふふっ。そんなこと言っていいのかな? お前、我に頼みたいことがあるのだろう?」


 クロはニヤリと、笑う。……どうやら、変なスイッチが入ってしまったらしい。


「……分かったよ、悪かった。クロ様のおみ足に触れられて、私は幸せです」


「ういやつめ。お前はほんと、可愛い奴だ」


 よしよしと、頭を撫でられる。……今度はちゃんと、手で。


「それで、頼みたいことなんだけどさ、クロ。今度のデートの時だけでいいから、あさひのこと見張っておいてくれないか?」


 今度のデート……汐見さんに渡されたチケットで、映画を観に行く時。俺と紗耶ちゃんの関係が、前に進むかもしれない。……というより、できれば俺は前に進めたいと思っている。


 だからあさひが余計な邪魔をしないよう、クロに見張りを頼みたい。


「見張るだけで、よいのか? あやつが本気で行動を起こせば、お前では止められんだろうに」


「止められなくても、やりようはあるんだよ。だから、頼めるか?」


「……分かった。その程度なら、引き受けてやろう。何せお前は、我のお気に入りだからな」


 クロは俺の頭から手を離し、ゆっくりと立ち上がる。そして何か求めるように、真っ直ぐに俺を見つめる。


「ほれ、何をしておる。我の生足を、縋るように抱きしめろ。それがお前の頼みを聞く、対価だ」


「……それくらい別にいいんだけど、それの何がいいんだ?」


「そんなの決まっている。生意気で神である我の言うことも聞かなんだお前が、情けなく我の脚に縋りつく。その姿に、我は興奮するのだ!」


「…………」


 相変わらず、神の性癖は理解できない。……いや、他人の趣味趣向なんてそういうものなのだろう。


「これでいいか?」


 なので大人しく、クロの脚を抱きしめる。クロの脚は、いつ触っても氷のように冷たい。


「ふふふふふっ。いい。可愛いな、未白よ」


「あんまり可愛いとか、言うなよ。……それより、デートの時は頼んだからな?」


「任せろ。神は人と違って、約束は破らん」


 これで、最悪の事態は避けられる。あさひさえどうにかできれば、後はどうとでもある。


 そんな風に、油断していた。……というより、気を抜いてしまっていた。俺が動かなければ、なにも起きない。そう思い込んでいた。



 ……俺がいない所でも、事態はちゃんと前に進んでいたのに。



 ◇



 同日の放課後。冬乃江とうのえ 紗耶さや蒼羽あおはね 莉音りおんの2人は、小さなカフェで向かい合い少し話をしていた。


「その……付き合ってもらって、ありがとうございました!」


 紗耶は莉音に向かって、ぺこりと頭を下げる。


「頭を下げる必要なんてないわ、紗耶。あたしはただ、友達の買い物に付き合っただけよ」


「と、友達……。莉音さんはその……私のことを、友達だって思ってくれるんですか?」


「当然じゃない。そうじゃなきゃ、なんだって言うのよ」


「……! あ、ありがとうございます!」


 紗耶はまた、ぺこりと頭を下げる。


 唐突に決まった、未白とのデート。紗耶はまた眠れなくなってしまうくらい、そのことを喜んだ。……でも、1つ大きな問題があった。



 来ていく、服がない。



 今まで恋人はおろか友達すら居なかった紗耶は、デートに来て行けるような服を1着も持っていなかった。だから未白以外で唯一頼れる莉音に事情を話し、洋服を買うのに付き合ってもらった。


「でも、あの未白が女の子をデートに誘うなんてね。ちょっと、考えられないわ」


 莉音は紅茶に軽く口をつけて、小さく息を吐く。


「その……別に、デートってわけじゃないんです。ただ先輩がたまたま映画のチケットを貰ったから、その……私を誘ってくれたんです」


「……? なに言ってるのよ、それがデートに誘ったってことじゃない。……あたしはもう何年もあいつと一緒なのに、そんな風に誘ってもらったことなんて一度もないのよ? だから、自信を持ちなさい」


「あ、ありがとうございます。私、頑張ります!」


「頑張る、か。……ねぇ、紗耶。貴女、未白のこと……好きなの?」


「……! そ、それは……」


 莉音の問いを聞いて、紗耶は顔を赤くしてうつむいてしまう。その態度を見るだけで、莉音には紗耶の気持ちが分かった。


「…………」


 けれど莉音は、どうしても聞いておきたかった。紗耶の口から直接、彼女自身の想いを。



 だって莉音は──。



「楽しそうな話をしているわね、莉音さん。よかったら、わたしも混ぜてくれないかしら」



 唐突に、そんな声が響いた。だから2人は吸い寄せられるように、隣の席に視線を向ける。



「久しぶりだね、莉音さん」



 するとそこには、未白の妹であるあさひの姿があった。



 ……そうして未白の知らないところで、事態は前に進む。


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