第16話 バカみたい。



「久しぶりだね、莉音さん」



 あさひは軽い笑みとともにそう言って、目の前のアイスコーヒーに口をつける。


「────」


「────」


 紗耶と莉音の2人は、そんなあさひを唖然と見つめる。


 全く、気配がなかった。まるで瞬間移動でもしたかのように、あさひは唐突にこの場に現れた。そして、あたかも初めからこの場に居たと言うように、自然な仕草で口を開く。


「どうしたの? そんなに驚いた顔して。……あ、もしかして莉音さん。わたしのこと忘れちゃった?」


「……忘れたわけではないわ。ただ、あさひ。貴女、髪と目が……」


 莉音はそう言って、遠慮がちにあさひの真っ白な髪と真っ赤な目に視線を向ける。


 莉音は未白と幼馴染ではあるが、彼の家の事情についてほとんど何も知らない。あさひと最後に話をしたのも、もう何年も前だ。だから莉音には、今のあさひの姿が異様に見える。


「ああ、これが気になるのね。でもこんなのただの気まぐれだから、気にしなくていいわ」


「気まぐれにしては、少し似合い過ぎよ」


「似合いすぎって、何よ。莉音さんは相変わらず、変なことばかり言うわね」


「あたしは変なことなんて……いやそんなことより、とりあえず久しぶりね、あさひ。元気にしてた?」


「ええ、お陰様でね。莉音さんも元気そうで、よかった。……相変わらず兄さんに向ける想いは中途半端なままだけど、その方が仲良くできていいわ」


 あさひは、心の底から楽しそうに笑う。


「…………」


 莉音はそんなあさひに、何の言葉も返せない。


「それで、貴女が冬乃江 紗耶ね」


「……えっと、その……初めまして。私は冬乃江 紗耶と言います」


「わたしは、久折 あさひ。未白の妹よ」


「……! 先輩の妹さんだったんですか! その……先輩にはいつも、お世話になってます!」


 紗耶はぺこりと頭を下げる。……けれどあさひは眉ひとつ動かさず、冷たい瞳で紗耶の姿を睥睨する。


「兄さんは相変わらず、変な女が好きね。……ほんと、こんなのの何がいいのかしら。遊び相手って言うならこんなものかもしれないけど、わたしの代わりにしたいなら……もう少し華がないと」


「……その言葉は紗耶に失礼だろ? あさひ」


 軽い仕草で紗耶を侮蔑するあさひを嗜めるように、莉音がギロリとあさひを睨む。


「失礼って言われても、事実じゃない。莉音さんだって、似たようなこと思ってるんじゃないの? どうして兄さんは、この女にあそこまで優しくするんだって」


「……未白は紗耶を、気に入っているのよ。事実、紗耶はいい子よ? 未白が優しくしたくなる気持ちも、分かるくらい」


「なによ、それ。バカバカしい。この世にいい子が、何人いると思ってるのよ。いい子だからって優しくしてたら、きりがないわ」


「それは……」


 莉音はまた、言葉に詰まる。あさひはそんな莉音から視線をそらし、真っ直ぐに紗耶を見つめる。


「ねぇ、貴女。貴女は兄さんのこと、好きなの?」


「す、好きって、そんな……。い、いきなり言われても……」


 あさひの唐突な問いを聞いて、紗耶は顔を真っ赤にしてうつむいてしまう。


「……こんなので、黙り込んじゃうのね。兄さんがあの頭の悪い神と組んで、何か企んでるみたいだから来てみたけど、この程度なら気にする必要もないわね」


 あさひは呆れたように息を吐いて、アイスコーヒーのストローを軽く噛む。


「……あさひ。貴女いつから、人をいじめて楽しむような子になったのよ。昔はもっと、優しい子だったじゃない」


「別に、楽しんでなんかいないわ。わたしは兄さんと一緒じゃないと、楽しいって思えないの」


「ならもう少し、優しくしてやりなさい。あたしに別に構わないけど、紗耶は人と話すのがあまり得意ではないのよ」


「わたしだって好きじゃないわ。人と話すのなんて」


「なら──」



「私は、大丈夫です!」



 そこで紗耶が、声を上げる。その声はカフェ中に響くほど大きくて、莉音とあさひは思わず口を閉じて、紗耶の方に視線を向ける。……いや、2人だけじゃない。カフェ中の視線が、紗耶に集まる。


「…………」


 普段の紗耶なら、顔を真っ赤にして店から出ていってしまうような状況だ。紗耶はそれくらい人に注目されるのが苦手で、大きな声を出すのも好きではなかった。


 ……なのにどうしてか今は、ただ真っ直ぐにあさひを見つめる。それこそまるで操られているように、紗耶はただ自身の想いを口にする。


「わ、私は、先輩が好きです! 好きだからこうして、莉音さんに買い物に付き合ってもらったんです! 今度のデートで、先輩に可愛いって言って欲しいから!」


「……好きって、貴女は兄さんの何を知ってるのよ。貴女は兄さんの苦しみも痛みも後悔も、何も知りはしないじゃない」


「でも、先輩が優しい人だって知ってます! 偶に見せてくれる笑顔が可愛いって、知ってます! 頭を撫でてくれる手が、凄く温かいって知ってるんです! それじゃダメですか?」


「何それ、そんなくだらない理由で人を好きになってたら、心がいくつあっても足りないじゃない。貴女ってほんと……バカね」


 あさひは呆れたように、ゆっくりと立ち上がる。


「もう帰るわ。久しぶりに外に出て、疲れちゃった」


 そして一方的にそう言って、紗耶と莉音の返事を待たずカフェから出ていく。



「あ、そうだ」



 ……けれどその途中、何かを思い出したように足を止めて、2人の方に振り返る。



「そういえば2人とも、知ってた? 兄さんって今、年上の女と同棲してるらしいの。……なんでも毎日のように脚を揉んだり頭を撫でたりして、凄くイチャイチャしてるみたいよ」



 ……ほんと、死ねばいいのに。



 2人には聞こえないようそう小さく呟いて、あさひは今度こそこの場を後にする。


「……先輩が同棲って、そんなの嘘ですよね?」


 もう冷たくなってしまったコーヒーを飲んでから、紗耶は消え入るような声でそう呟く。


「……ええ。未白は前に、言ってたわ。今は1人で、暮らしてるって。だからあさひはきっと、紗耶に嫉妬して意地悪を言ったのよ。あの子、昔からお兄ちゃんっ子だったから」


「そうですか。なら、安心ですね」


 2人はしばらく何も言わず、黙って遠くを眺める。


「……それより、紗耶。さっきはよく言ったわ。褒めてあげる」


「な、何のことですか?」


「何って、貴女。決まってるじゃない。未白が好きだって、堂々と言ったことよ。あんなの、あたしにだって真似できないわ」


「そ、それは……なんていうか、必死だったんです。あそこで黙り込んじゃったら、何か大切なものが壊れちゃう気がして、つい……」


「それでも、よく言ったわ。あとはその想いを、未白に伝えるだけね」


 その莉音の言葉を聞いて、紗耶の顔は見たことがないくらい真っ赤になる。


「そ、それは無理です! 先輩みたいに凄い人が、私なんかを好きになるなんて、そんなの……あり得ないです!」


「バカね。あいつこの前、言ってたじゃない。貴女のことが、気になるって。それに紗耶だって、あいつの態度を見て気がつかないほど……鈍くはないんでしょ?」


「……はい」


「なら、頑張ってみなさい。絶対に悪いようにはならないから。あたしが、保証してあげる」


 莉音は優しく笑って、紗耶の頭を撫でてやる。紗耶はそんな莉音の瞳を真っ直ぐ見つめて、大きな頷きを返す。



「私、頑張ってみます!」



 そうして紗耶は、覚悟を決めた。今度のデートで、未白に想いを伝えようと。



「…………」



 そして莉音もまた胸の内で、1つの覚悟を決めていた。




「……同棲、か。今から訪ねても、未白なら怒らないわよね」



 紗耶と別れた後。莉音は1人、未白の住むマンションに向かう。






「……くふっ。単純な女って、扱いやすくていいわよね」


 ……その行動が、あさひの思惑通りだと気がつかないまま。


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