第17話 お願い。



 クロの脚を揉まされた後。俺はいつも通り、夕飯の準備を進めていた。


「……にしても、クロ。約束だから文句は言わないけど、毎日焼肉だと流石に飽きないか? もう2週間以上、同じメニューだぜ?」


 あくびを噛み殺しながらそう尋ねると、クロは弾む声で言葉を返す。


「飽きんぞ。我、肉大好きだからな。向こう100年は飽きる気配なし」


「俺は3日でギブアップだよ」


「お前は愛が足りんのだ。もっと精進するが良い」


「愛だって食い過ぎりゃ、飽きるよ。何事も程々が1番だ」


「程々のものを、我は愛とは呼ばん」


「……そう言い切られると、なんだか俺が間違ってるような気がするな」


 そんな風にどうでもいいことを話しながら肉を焼いていると、ピンポーンとチャイムが鳴る。


「珍しいな、こんな時間に。……クロ、ちょっと出てくるから、そのあいだ肉を見ててくれ」


「いや、その必要はない。我が出る。きっと、我が頼んでいたゲームが届いたのだ」


「いや、待て。お前は──」


「新作〜。楽しみだな〜」


 クロは俺の制止を無視して、目をキラキラと輝かせながら玄関の方に駆け出す。


「……ま、いっか」


 クロは神様ではあるが、ぱっと見は普通の人間だ。一緒に暮らしているとおかしなところが沢山あるが、荷物を受け取るくらいなら問題ないだろう。


 そう結論づけて、肉の方に視線を向ける。


「俺は今日、何にしようかな。なんかあっさりしたものが、食いたい気分だな」


 なんて呑気なことを呟きながら、大量の豚バラを皿に移す。


「未白。お前に客だ」


 すると、とても落胆した様子のクロが戻ってくる。


「客? こんな時間に、誰だよ」


「知らん。変な小娘が、未白を出せとうるさくてな。面倒だから、放置してきた」


 クロは本当に面倒くさそうにそう言って、大量の豚バラが乗った皿を持って、さっさと自室に戻ってしまう。……ゲームだと思って期待していたから、ショックだったのだろう。


「……とりあえず、出てみるか」


 そう呟き、早足に玄関の方に向かう。こんな時間に訪ねてくる奴なんかに、心当たりはない。そもそも、前回のループの時も前々回のループ時も、誰も訪ねてなんて来なかった。



 だから少し、不安だ。



「ま、出れば分かるか」


 そう呟き、玄関の扉を開ける。するとそこには──



「あの女、誰なの? ちゃんとあたしに、説明してくれるわよね?」



 切長の目で真っ直ぐにこちらを睨む、蒼羽 莉音の姿があった。



 そうして事態は、俺の想定外の方に進んでいく。



 ◇



「まあ、とりあえず座れよ、莉音。……あ、コーヒーでも淹れようか?」


 玄関で話すわけにもいかないので、とりあえずリビングに案内して椅子に座ってもらう。……そうすれば莉音も、少しは落ち着くだろうと思っていた。


「要らないわ。それより、説明してくれるわよね? あの女について……」


 けれど莉音は、普段は見せないような鋭い目で俺を睨みつけてくる。……どうやら凄く、怒っているようだ。


「……その前に、莉音。お前どうして、こんな時間に連絡もせずうちに来たんだ?」


「……あさひに、聞いたのよ。あんたが年上の女と、同棲してるって」


「……! お前、あさひに会ったのか!」


 あさひが何を考えて、何をしようとしているのか。今の俺には、全く分からない。けれど、こんなに早く動くとは思っていなくて、思わず大声を出してしまう。


「そうよ。あの子、随分と雰囲気が変わったわね。……でも今はそれより、さっきの女について聞かせてくれないかしら? あんた前に、言ってたわよね? 今は1人で暮らしてるって。……もしかしてあんた、このあたしに嘘をついたの?」


 莉音はいつものように、優雅な仕草で髪をなびかせる。……けれど目は、本気だ。あさひのことで熱くなった頭が冷えるくらい、本気の目だ。


「…………」


 だから俺は、大きく息を吐いて少し考える。



 ここで莉音に、本当のことを言うか。それとも……嘘をつくか。



 本心から言うと、全て正直に話したいと思う。莉音には色々と世話になっているし、ここまで真剣な顔をした莉音に嘘はつきたくない。


 ……けれど神のことを正直に話しても、信じてもらえるとは思えない。それに神の実在を知ってしまうと、余計なことに巻き込んでしまうかもしれない。


「……あいつは、ただの親戚だよ。ちょっと事情があって、しばらく一緒に住んでるんだよ」


 だから俺は、そう言った。それは事実を隠した答えだけど、嘘ではないから。


「どうしてあたしに、それを隠してたの?」


「別に隠してはいないよ。……でも、あんまり大っぴらにはできない事情が、彼女にはあるんだよ」


「なるほど。つまりあんたは、あの女を助けてあげてるのね。……それならまあ、いいわ」


 莉音は思考を切り替えるように、大きく息を吐く。


「でも、未白。あたしはともかく、紗耶にも黙ってるっていうのはいただけないわ」


「それは……」


 そこで少し、言葉に詰まる。好きな子に内緒で、別の女と同棲してる。確かにそれは、ダメなことだろう。……まあ、今の関係のままなら問題はないのだろうけど、付き合うことになったら洒落では済まない。



 ……けれどそれでも、クロと離れられない事情が俺にはある。



「なに黙ってるのよ。……あんたは紗耶のこと、好きなんでしょ? だったらもっと、しゃんとしなさい」


「……悪い」


「あたしに謝ってどうするのよ、バカ」


 莉音はそのまま、黙り込む。俺も何を言えばいいのか分からなくて、窓の外に視線を逃す。


 もうとっくに日が暮れていて、辺りは夜の闇に包まれている。その景色は好きな景色の筈なのに、今はどうしてか胸が痛んだ。


「あたし、嬉しかったのよ。最近のあんたは、生きてるって感じがするから」


 莉音は唐突に、そう言った。


「なんだよ、それ。俺はずっと、生きてるよ」


「ううん。ここ最近……高校に入学してからのあんたは、死んでるのと同じだった。あんなに頑張ってた勉強も部活も辞めて、友人も作らずいつも1人で遠くを見てる。そんなあんたは、死んでるようなものだったわ」


「…………」


 確かにそれは、そうかもしれない。今はもう吹っ切れたけど、うちに養子の海斗くんがやって来た時は、酷く落ち込んだ。そして後先考えず神に願って、全て台無しにしてしまった。



 それからの俺は、死んだ後のような生き方しかしてこなかった。



「あたしはずっと、悔しかったのよ。あんたに勝つことが1番の目的だったのに、勝ち逃げされたようで、凄く……悔しかった」


「お前が悔しがる必要なんてないよ。俺は息切れして立ち止まって、お前はそのあいだ前に進んだ。それだけのことだろ?」


「……あたしはそんなのじゃ、納得できないわ。だってあんたは、ずっとあたしの目標だった。あんたがいるから頑張れて、あんたがいたから……楽しかった。なのにあんたは、急に……」


 莉音は頬杖をついて、疲れたように息を吐く。


「実はあたし、ずっと考えてたのよ。どうすればあんたが、また昔みたいに走ってくれるのか。挫折したあんたを立ち上がらせるのは、あたししか居ないってずっとそう思ってた……」


 莉音は寂しそうに、俺を見る。するとまたズキリと、胸が痛んだ。


「けどあんたは、あたしが知らないうちに勝手に歩き出した。あたしじゃどうにもできなかったあんたを、紗耶は簡単に……変えてみせた。……ほんと、ずるいよ……」


「莉音。お前……」


 莉音はそこで、涙を溢した。何かを堪えるように歯を噛み締めて、それでも堪えることができず、熱い涙が莉音の頬を濡らす。



 ……けれど俺には、その涙の意味が分からない。



「ごめんなさい……急に、泣いたりして。本当はこんなこと言う為に、来たんじゃないのに……。あたしはただ、あんたと紗耶のこと……応援したかっただけなのに。……どうしてこんなに、胸が痛いの……?」


 莉音はただ、涙を流す。俺はそんな莉音に、何もしてやれない。


「…………」


 ……いや、本当は分かってる。俺がやるべきことは、1つしかないって。分かってて俺は、逃げてるんだ。


「なあ、莉音」


 立ち上がり、莉音の方に手を伸ばす。気がついたからには、逃げるわけにはいかないから。


「俺はお前を──」



「……ごめん」



 けれど俺の手が届く前に、莉音は勢いよく立ち上がり、俺の身体に……抱きついた。



「ねぇ、未白。今からあたしを、抱いてよ。……それで全部、諦める。あの女のことも、黙っておいてあげる。……だから、お願い。あんたの優しさで、この胸の痛みを忘れさせて……」



 カチカチと秒針の音が響く、静かな夜。莉音の柔らかな唇が、俺の唇に押しつけられた。



「────」



 だから俺は、何も言うことができなかった。


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