第18話 あたしにも……。



「────」



 莉音が俺に、キスをした。大粒の涙を溢しながら必死になって抱きついて、柔らかな唇を俺の唇に押しつける。



「……どうして、お前……こんな──」



 そこから先の言葉は、次のキスに遮られる。熱い吐息を溢しながら、莉音は何度も何度も俺にキスをする。そしてその度に何かが、削れていく。そんな錯覚を覚えるくらい、莉音のキスは激しい。


「ねぇ、未白。このままあたしを、抱いてよ。……それで全部、終わりにするから。全部全部、諦めるから。だから、お願い……」


「……なんだよ、それ。訳が分からないよ、莉音。いきなり抱けなんて言われても、俺は──」


「理由なんて、どうでもいいじゃない。あたしはただ、あんたに求めて欲しいの。……あたし初めてだけど、どんな風にされても我慢する。だから今だけは、あたしを見て。そうじゃないと、もう耐えられないのよ……」


 莉音の大きな胸が、身体に押しつけられる。ふわっとした甘い香りが、鼻腔をくすぐる。そして、まるで誘うように何度も何度も激しいキスが繰り返される。



 ……そんなことをされると、流石に色々と我慢が効かなくなりそうだ。



「…………」



 でも俺は……。



「ごめん、莉音。お前が……お前が俺を想ってくれているのは、よく分かった。でも俺は、紗耶ちゃんが……好きなんだ」


「それくらい、知ってるわ。知っててあたしは……ううん。知ってるからあたしは、抱いて欲しいって言ってるの」


 莉音は赤くなった目で、真っ直ぐに俺を見る。


「このままじゃあたし、我慢できなくなる。こんな中途半端な想いじゃ我慢できなくなって、今よりもっと無理やり……あんたを求めちゃう。……ううん、それだけじゃない。紗耶のことも、傷つけちゃうかもしれない」


「それは……」


「あたしは、あんたのことも紗耶のことも好きなの。だから絶対に、傷つけたくない。……そう思ってるのに。そう……分かってるのに! それでもあたし、我慢できないの! あんたが紗耶と仲良くしてるのを見ると、胸が痛くて痛くて仕方ないの……!」


 莉音はまた、俺にキスをする。相手の都合も考えず、貪るようなキスを何度も何度も押しつける。


「…………」



 同じだと、思った。



 今の莉音は、1番最初の時の紗耶ちゃんと同じだ。自分ではどうすることもできなくなった想いを、無理やり相手に押しつける。それが悪いことだと分かっていながら、そうすることしかできない。



 莉音はそこまで、追い詰められていた。



 ……本当に俺は、馬鹿だ。



「……だからお願い、未白。あたしを、抱いて? それで全部、諦めるから。消えない傷を、あたしに残して。あんたが1秒でもあたしを愛してくれたら、それだけで一生……我慢できるから……」


 莉音は赤くなった瞳を隠すよう目を瞑り、少しだけ唇を突き出す。 ……そんな莉音が、可愛いと思ってしまった。


「…………」


 それに柔らかな身体を押し付けられて、何度も何度もキスされて、色々ともう限界だ。俺の身体はもう、このまま莉音が欲しいと思ってしまっている。




「……ダメだよ、莉音。それでも俺は、お前を抱かない」



 しかしそれでも、俺はそう答えた。何度問われても、そう答えるしかなかった。


「……どうして? あたしってそこまで、魅力がないの? こんなに頑張って胸を押しつけて、何度も何度もキスしたのに、それでもあたしは要らないの?」


「違う、そうじゃない。お前は、可愛いよ。正直、色々と限界なくらい、俺はお前に……ドキドキしてる」


「じゃあ、いいじゃない! あたしのこと、抱いてよ。……抱きなさいよ!」


「それはできない」


「どうしてよ! ……なんであんたは、あたしのことを見てくれないの? あたしは昔からずっと、あんたのことだけ見てきたのに! あんたの隣にいたくて、あたしはずっと頑張ってきたのに! なのにどうして、あんたはあたしを見てくれないのよ……!」


「…………」


「黙るな、馬鹿! 嫌なら嫌って、言えばいいじゃない!」


 それは確かに、そうなのだろう。ここで嫌だと言って振り払ってしまえば、それで全て終わるのかもしれない。こういう時の優しさなんて、相手を傷つけるだけだ。


 だから下手に優しくするくらいなら、抱いてやればいい。それができないなら、拒絶するしかない。……或いは莉音はそれを望んで、こんなことをしているのかもしれない。



「……でもな、莉音。そもそもお前は俺を──」



「何を言うつもりだ、馬鹿たれが」



 そんな声とともに、唐突に耳に痛みが走る。


「……クロ。痛いから、耳を引っ張るのは辞めてくれ」


「嫌だ。お前、この家には我が居るのを忘れておらんか? ……いや、絶対に忘れていた。覚えてたら、こんな所で女と抱き合うなんてできる訳ないもん」


 唐突に現れたクロは、俺の耳を引っ張りながら拗ねたような声を上げる。


「……何だよ、もんって」


 そんなクロの声を聞くと、肩から力が抜けてしまう。……けれどお陰で、気がついた。今の自分が、かなりおかしなことを考えていたことに。


「悪いけど今は取り込み中だから、黙っててもらえないかしら?」


 そんなクロを、莉音は鋭い瞳で睨みつける。


「それはこっちの台詞だ、小娘。別に未白が誰とイチャつこうと我は気にせんが、この家であんまり騒ぐと……我でも少し怒るからな?」


 クロは冷たい目で、莉音を見る。それは睨むというほど敵意が込められた瞳ではないのに、莉音の身体はビクリと震える。


「なあ、莉音。話の続きは、また明日でいいか? 明日の放課後、俺はちゃんとお前に気持ちを伝える。それで、いいだろ?」


「……分かったわ。じゃあ明日は……明日だけは、紗耶よりあたしを優先してね? 少しでいいから、あたしとも……デートしてね?」


「ああ。約束するよ」


「……うん。約束だよ?」


 莉音は最後に子供のような笑みを浮かべて、俺から手を離し部屋から出ていく。


 俺はそんな莉音の後ろ姿を、黙って見つめて続ける。


「…………」


 けれど、いつまで経っても莉音の柔らかな感触と甘い香りが消えてくれなくて、どうしてかズキリと胸が痛んだ。


「未白。お前、浮気するのか?」


 楽しそうに、クロは笑う。


「する訳ないだろ、バカ」


「でも我が割って入らんかったら、あの娘のこと……抱いておったろ? 口では嫌だとか言っておきながら、何だかんだでお前は……欲望に正直な奴だからな」


「……どうかな」


 誤魔化すようにそう答えて、髪をかき上げてから台所に向かう。


「……今日は、カップラーメンでいいか」


 けれど料理を作る気にはなれず、余っていたカップラーメンにお湯を注ぐ。……そしてその日はずっと、眠ることができないくらい莉音のことを考え続けた。



 ……それこそまるで、恋でもしているかのように。


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