第33話 ……来る?
5月26日。
「……今日も、休みか」
汐見さんと話をした、翌日の放課後。今日こそはあのメモ帳を返そうと思い、紗耶ちゃんの教室を訪ねた。……けれど紗耶ちゃんは、今日も学校を休んでいた。
「このままもう来ない……なんてことは、ないよな……」
できれば家まで様子を見に行きたいけど、今の俺と紗耶ちゃんの関係は、ただの他人だ。そんな俺が急に家を訪ねても、迷惑をかけるだけだろう。
「っと。そろそろ行かないと」
そう呟いて、早足に校門の方に向かう。今日はこれから、莉音と一緒に帰る約束をしていた。だからクロには、今日は来なくていいと伝えてある。
「…………」
あさひは言った。莉音の中には、とても大きな孤独が根づいていると。でもそれが一体どういうものなのか、俺にはまだ想像もつかない。
「けどあいつ、泣いてたよな……」
大粒の涙を流しながら、『抱いて』と言って俺に抱きついてきた、莉音のあの悲痛な姿。俺はあんな莉音、もう見たくはない。だから今回こそ、彼女の孤独に寄り添ってやりたい。
……例えその想いに、応えられないのだとしても。
「こっちよ、未白!」
靴を履き替えて昇降口から出ると、先に待っていた莉音が俺に向かって手を振っている姿が見える。
「悪い。待たせたな」
だから俺は急いで、莉音の方に駆け寄る。
「これくらいで、謝る必要なんてないわ。……それとも、私も今来たとこよって言って欲しいの?」
「なんだよ、それ。というかそれは、待ってた奴の台詞だろ?」
「ふふっ、かもね。……じゃあ、行きましょうか?」
どこか懐かしむような笑みを浮かべて、莉音はゆっくりと歩き出す。だから俺もそんな莉音に並んで、ゆっくりと歩く。
「それにしても、一体どういう風の吹き回しなの?」
「なんの話だ?」
「決まってるじゃない。あんたが『一緒に帰ろう』なんて、誘ってきたことよ。そんなこと、今まで一度もなかったでしょ?」
「……そうだっけ? まあでも確かに、俺から誘うことってあんまりなかったよな」
「あんまりどころか、一度もない筈よ。そもそもこうやって話をするのも、久しぶりだしね」
「……そうだな」
俺の感覚からすれば、莉音と話をするのは数日ぶりだ。でも今の莉音からすれば、数ヶ月ぶりになるのだろう。……それは当たり前のことだけど、どうしてか少し寂しいと思った。
「それで? そんなあんたがわざわざあたしを呼び出したってことは、何か話があるんでしょ? 遠慮せず、言ってみなさい。あんたの頼みなら、何だって聞いてあげるから」
莉音は綺麗な金髪を優雅な仕草でなびかせて、真っ直ぐに俺を見る。
「…………」
そんな目で見つめられると、少し言葉に詰まってしまう。
「どうしたのよ、黙り込んで。……なに? そんなに言いづらいことなの?」
「いや、言いづらいっていうか、ちょっと気になってさ。……なあ、莉音。お前最近、何か困ったこととかないか?」
「なによ、それ。そんなことが、聞きたいの?」
「まあな。……というか、最近あんまり話せてなかっただろ? だからちょっと、元気にしてるのか気になってさ」
「────」
莉音は、心底から驚いたと言うように俺を見る。
「なんだよ。そんなに驚くようなこと、言ったか?」
「言ったわよ。あんたがそんな風にあたしのこと心配してくれるのなんて、初めてじゃない」
「……俺ってそんなに、薄情だったけ?」
「そうよ。あんたは薄情な奴なのよ。なのに、急にそんなこと言うなんて……。なに? もしかしてお金とか、貸して欲しいの?」
「んなわけあるか。俺はただ純粋に、お前を心配してるんだよ。……お前は少し頑張り過ぎるところがあるから、無理してないかなって」
俺がそう言うと、莉音は顔を赤くして明後日の方に視線を向ける。そんな莉音の仕草は、素直に可愛いなって思う。
「ほんとに、心配してくれてるのね。……でも、大丈夫よ。あたしはあんたと違って、無理し過ぎて力尽きる。なんてことはないから」
「そうか。それならそれで、いいんだけどな」
「……うん。……でも、ありがとね。未白にそんな風に心配してもらえて、その……嬉しい」
莉音は、笑う。幸せを噛み締めるように、とても優しい表情で笑う。……そんな莉音の顔を見ていると、どうしても思い出してしまう。
莉音と想いを通じ合わせた、あの時のことを。
「…………」
「…………」
どうしてがそこで、2人して黙り込んでしまう。
莉音は何かを誤魔化すように視線を逸らして、自分の髪を弄り続ける。俺も少し照れてしまって、上手く言葉を紡げない。
けど、ここで黙っていても仕方ない。だから俺は覚悟を決めて、口を開く。
「なあ、りお──」
「ねぇ、未白!」
俺の言葉を遮るように、莉音は俺の名を呼ぶ。
「その……今日は、あたしのうちに寄って行かない? どうせあんた一人暮らしで、ろくなもの食べてないんでしょ? だから今日は特別に、あたしが腕を振るってあげるわ」
莉音は真っ赤になった顔で、こちらを見る。……それで俺はまた、思い出してしまう。
莉音と想いを通じ合わせた、あの夜の幸せを。そして同時に、クロの死体を見た時の……あのどうしようもない、恐怖を。
……無論、今の俺はあの時のように莉音に恋をする気はない。だってそんなことをすれば、またクロがシロに殺されてしまう。
「……いいのか? 俺が家に行っても」
何かを誤魔化すように、俺は言う。
「大丈夫よ。今日はお父さんとお母さん、仕事で帰って来ないから」
「……いや、それはそれで……」
「何よ。あたしとあんたの仲なんだから、そんなの気にすることないでしょ? ……それともあんたは、あたしと2人きりになるのが嫌だって言うの?」
「いや、そうじゃなくて……分かった。じゃあ今日は、ご馳走になろうかな」
「やったっ! ……じゃなくて、このあたしの手料理を食べられるんだから、感謝しなさいよね」
「……ああ。ありがとな、莉音」
莉音が俺に好意を向けてくれているのは、知っている。だからこの誘いがどういう意味を持つのか、俺はちゃんと理解しているつもりだ。
しかしそれでも、俺は莉音の誘いに乗った。
だってそうしないと、彼女の孤独を理解することなんて永遠にできないと思ったから。
そうして今日は、莉音のうちで一緒に夕飯を食べることになった。
◇
同日の夜。とある廃ビルの屋上で、1人の少女が暗く染まった空を見上げていた。
「久折 未白先輩……」
その名を口にすると、少女の胸はずきりと痛む。
あの日の放課後。自分を助けてくれた、1つ上の先輩。その先輩のことを思い出すとふわふわと心地よくて、でも同じくらい胸が痛くて泣きそうになってしまう。
「…………」
……それに、そんな生温かい感情とは違うもっとどす黒い何かが、少女の胸のうちで暴れ回る。それは一目惚れなんて生優しい感情ではなく、もっとおどろおどろしい何か。
少女はそんな自分の心が怖くて、学校に行くこともできなくなっていた。
「私、どうしちゃったんだろ……?」
「──君はどうもしてないよ」
答えなんて返ってくる筈のない少女の問いに、背後からそんな声が響いた。
「初めまして。ボクは汐見 奈恵。君と同じ痛みを抱えている、か弱い少女だ。……ねぇ、紗耶さん。もしよければ、ボクと少し話をしないかい?」
月明かりを反射して、奈恵の瞳が妖しく光る。そうして夜は、ゆっくりと深まっていく。
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