第46話 またね。



「ふふっ、兄さん。こうして見ると、だいぶ目が赤くなったね? 嬉しいよ。今度ご褒美に、いいことしてあげる」


 あさひは舐め回すような視線で俺を見て、ニヤリとした笑みを浮かべる。


「……映画の話をするんじゃないのかよ、あさひ」


 俺は2人分のコーヒーを注文してから、そんなあさひの正面に腰掛ける。


「そうだったわね。じゃあ少しだけ、あの映画について話をしましょうか」


 あさひはそう言って、紗耶ちゃんの方に視線を向ける。


「ねぇ、貴女。貴女はあの映画を見て、どう思った? 面白いと思った? それとも、つまらないって思ったの?」


「私は、面白いと思ったよ。最後はちょっと、悲しいなって思ったけど……」


 運ばれてきたコーヒーに砂糖を入れながら、紗耶ちゃんはそう言葉を返す。


「へぇ。貴女はあれを見て、悲しいって思うのね。形はどうあれ、あの子の恋は実ったのに」


「死んだ後に結ばれても、悲しいだけだよ。私はあの2人には、生きてる時に幸せになって欲しかった」


 紗耶ちゃんは当たり前のように、コーヒーに口をつける。あさひはそんな紗耶ちゃんを見つめながら、楽しそうに笑う。……意外にも紗耶ちゃんとあさひは、普通に言葉を交わす。


「じゃあ、兄さんは? 兄さんはどう思ったの? 死んだ後に実る恋って、幸せだと思う? ……きっとこの世界で1番死んでる兄さんは、死についてどう思ってるの?」


 いきなりそう問われて、少し頭を悩ませる。けれど悩むまでもなく、答えは簡単に口から溢れた。


「死んだ後に、実る恋なんてねーよ。死んだら全て終わりで、死んだら全てなかったことになるんだから」


 俺は一度、紗耶ちゃんと心を通じ合わせた。そして莉音とも、恋人になったことがある。……でもその全ては、なかったことになってしまった。


 あの時の幸せや温かさを覚えているのは、もう俺だけ。それは仕方のないことだけど、でもやっぱり寂しいなって思ってしまう。


「そう。兄さんはまだ、死んだら全てなくなるだなんて思ってるのね。そんなこと言ってるようじゃ、答えに辿り着くまでまだまだかかりそうね」


「……どういう意味だよ? それ」


「言葉通りの意味だよ」


 あさひはそれだけ言って、またコーヒーに口をつける。


「いや、それよりあさひ。結局お前は、どうしてこんな所にいるんだ? 何が目的で、俺たちの前に姿を現した?」


「それはさっきも、言ったじゃない。わたしはただ、映画を見に来ただけよ。わたしだって……ふふっ。わたしだって人間の女の子なんだから、偶にはのんびり映画を見たいなって思うわ」


「それで偶々、俺たちと同じ時間に同じ映画を見に来たって言うのか? 俺たちがこの映画を見に行くって決めたのは、昨日の夜だぜ?」


「それはただの、乙女心だよ。偶然を装って、好きな人を待ち伏せする。それくらい、普通のことでしょ?」


「…………」


 それが普通だとは思わないけど、その感情が理解できないわけじゃない。……でも、それだけの為にわざわざ会いにくるとは、どうしても思えない。


「……貴女、お兄ちゃんのこと好きなの?」


 俺とあさひの会話を隣で聞いていた紗耶ちゃんが、そう口を挟む。


「そうよ。わたしは兄さんのことが、世界で1番大好きなの。死んだって殺したって世界が滅びたって、離してあげない。どんな手段を使っても、わたしは兄さんの隣にいたいの」


「……それは、ダメだよ。だってお兄ちゃんは、私のお兄ちゃんなんだもん。お兄ちゃんは私以外の女の子に、あんまり優しくしちゃダメなの」


「……ふふっ。あはははは! 面白いわ、本当に面白いわ! 貴女!」


 どうしてかそこで、あさひは笑う。俺の知ってるあさひなら、ここで紗耶ちゃんを殺してもおかしくない。なのに彼女は、ただただ楽しそうに笑い続ける。


「……あさひ。お前はなんで、笑ってるんだ?」


 そんなあさひの心境が分からなくて、気づけばそんな言葉を口にしていた。


「決まってるじゃない。面白いからよ。……あ。もしかして兄さん、わたしが嫉妬すると思った? でも残念。こんなの相手に、嫉妬なんてしないわ」


「こんなのって、どういう意味だよ。お前は紗耶ちゃんについて、何か知ってるのか?」


「知らないわ、そんなの。だってこいつのこの状況は、わたしが仕組んだことじゃないもの。兄さんだって、分かってる筈でしょ? たとえ目的の為でも、わたしが兄さんのことを『お兄ちゃん』なんて、呼ばせるわけがないってことに」


 そうだ。それは確かに、分かっていたことだ。今のこの紗耶ちゃんの状況は、あさひさえ想定していなかったイレギュラーなのだと。


 だから分からないのは、どうしてあさひがそのイレギュラーを排除しないのか。そしてあんなに弱って眠っているクロを、どうして放置しているのか。



 その理由が、どうしても分からない。



「うーん。兄さんの思考って、ちょっとズレてるのよね」


「……まるで俺の考えが、分かっているかのような言い草だな」


「ふふっ、それはどうかしら。……でも兄さんも頑張ってるみたいだから、1つだけ教えてあげる。……あの眠りこけてる神はさ、弱ってなんかいないよ? 寧ろその逆、今のあいつは今のシロよりずっと強い」


「……は? ずっと眠ったままなクロが、強くなってるわけないだろ?」


「本当にバカだなぁ、兄さんは。眠ったままだからって、弱ってるとは限らないでしょ? 寧ろあいつは、急激に戻っていく力に耐えきれなくて、眠ってるんだよ。言うなれば、アップデートの最中ってわけ」


「…………」


 アップデート。本当にそうなのだろうか? 少なくとも俺が最後に見たクロは、どう見て弱っているようにしか見えなかった。


「兄さんもあのバカ神に、聞いたことがあるんじゃないの? 神はさ、人の想いを力にするんだよ。わたしとシロはお互いに無関心に近いから、こうやって心と身体を共有した今でも、大した力は戻ってない」


 でも、兄さんたちは違う。あさひは不愉快そうに、そう言葉を続ける。


「兄さんとあいつは、死んでループする度に仲が深まっていってる。だから今のシロじゃ、あのバカ神に太刀打ちできない」


「……そんなことを、バラしてもいいのか?」


「構わないわ。だって、どのみち兄さんはわたしを殺せないし、わたしを殺したくらいじゃ、もう何も解決しないもの」


 それは確かに、その通りだ。あさひを殺したからって、紗耶ちゃんの記憶が戻るわけじゃないし、他の皆んなの問題も解決するわけではない。


 ……でもだからって、それがあさひを放置する理由にはならない筈だ。


「兄さん。大事なのは、そこじゃないよ? 本当に大事なのは、もう半分以上あいつと一体化してる兄さんが、どうしてあいつの状態に気がつかないのか」


「……そしてどうしてお前は、俺ですら把握できていないクロの状態を、把握できているのか」


「ふふっ。それは簡単だよ。だってわたしは、神だから」


 あさひはそこでまた楽しそうに笑って、残ったコーヒーを味わうように飲む。


「じゃあわたしは、もう行くよ。話すことは話したしね。……バイバイ、兄さん。また一緒に、お茶しようね」


 そう言ってあさひは、音もなくゆっくりと出口の方に歩いていく。



「待ってください」



 けれどその背中を、ずっと黙っていた紗耶ちゃんが引き止める。


「なに?」


 あさひは振り返ることなく、そう言う。


「お兄ちゃんは、私のお兄ちゃんなの。だから……だから貴女には、絶対に渡さないから!」


「そ。好きにしなさい。……貴女が自分の正体に気がついた時が、楽しみね」


 最後にとびきりの笑みを残して、あさひは今度こそこの場から立ち去る。……と思ったのだけれど、あさひは最後の最後に、こんな言葉を呟いた。


「ああ、そうだ。今は確か、あのバカ神と奈恵さんが2人きりなのよね?」


「……そうだけど、それがどうしたのか?」


「いや、不用心だなっと思って。兄さんはまだ奈恵さんのことを全く理解してないのに、そんなに簡単に信用してもいいの? ……ま、どうでもいいんだけどね、そんなこと」


 それだけ言って、今度こそ本当にあさひはカフェから出て行く。



 するとまるで示し合わせたように、俺のスマホから電話の着信を知らせる音が鳴り響く。



「……偶然なわけ、ないよな」



 画面に表示されているのは、汐見さんの名前。どう考えても、タイミングが良すぎる。……けど、出ないわけにもいかないから、俺は覚悟を決めて……電話に出る。



 するとすぐに、こんな声が響いた。



「助けてくれ、未白くん! 家にやって来た莉音が、君を出せって騒いでるんだ!」



 そうして事態は、混迷を極めていく。


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