第45話 面白かったね。



「偶然だね、兄さん。兄さんもこの映画、観たかったんだ」



 あさひは、笑う。まるで普通の少女のように、ただただ楽しそうに彼女は笑う。


「……どうして、お前がここにいる?」


 立ち上がって今にも走り出そうとしていた俺は、警戒しながら隣のあさひに視線を向ける。


「どうしてって、映画を見に来たからに決まってるじゃない」


「そうじゃない! 俺は──」


「兄さん。そんなに大声出しちゃ、他のお客さんに迷惑でしょ? それにもう始まるから、座らないとダメだよ」


「…………」


 そう言われると、返せる言葉はない。俺は警戒を緩めず、そのまま座席に腰掛ける。


「……? 大丈夫? お兄ちゃん。その人に、何かされたの?」


 そんな俺の様子を見て、紗耶ちゃんが心配するように俺の顔を覗き込む。


「大丈夫。それよりごめんな、紗耶ちゃん。いきなり帰ろうとか、変なこと言って。でももう大丈夫だから、話は映画が終わってからにしよう」


「うん、分かった。じゃあ映画、観ていいんだね」


 紗耶ちゃんはワクワクとした様子で、画面の方に視線を向ける。するとちょうど辺りは暗くなり、悲痛なヒロインの一言から、映画が始まる。



『どうして、私を愛してくれないの……!』



 この映画は、叶わぬ恋の物語だった。人気者の先輩に片想いしている、1人の少女。彼女は自分に自信が持てず、その想いを先輩に伝えることができずにいた。


 そんなある日。その少女に、奇跡が起きる。遠い存在だった先輩が、声をかけてくれた。それは、先輩にとっては大したことではなかったけど、少女にとっては奇跡のような出来事だった。



 そうしてそこから、2人の距離は徐々に縮まっていき、少女も少しずつ自分に自信が持てるようになっていく。



 けれどある日。その少女は、先輩に恋人ができたという話を聞いてしまう。少女はその実実に強いショックを受け、怒りと悲しみに任せて、その先輩を殺してしまう。


「…………」


 素直に、面白い映画だと思った。筋書きは、どこかで見たことがあるようなものだ。けど、演者の演技が真に迫っていて、引き込まれるような迫力がある。


 ちらりと隣に、視線を向ける。紗耶ちゃんはポップコーンを食べるのも忘れて、食い入るように画面を見つめている。


「…………」


 そして反対側に座るあさひもまた、とても楽しそうに笑っている。


「……くふっ」


 ……その瞳が嗜虐的に見えるのが、少し気になるが。



 でもこの様子なら、あさひもすぐに動くことはないだろう。そう考えた俺は身体から力を抜いて、そのまま少し頭を悩ませる。



 そもそもどうして、あさひはここにいるんだ?



 偶々、同じ時間に同じ映画を観に来て、席が隣になった。そんな偶然は、ありえない。でも、あさひがここにいるということは、ひとまずクロは無事だということになる。



 無論、もう既にを済ませて、俺たちを嘲笑いにここまで来たという可能性もある。



 ……いや、俺は確信していた。クロはまだ、生きていると。証拠なんてどこにもないけど、今もまだクロと繋がっているという感覚が、確かにある。



 だからクロはまだ、絶対に生きてる



「…………」


 となると、今の俺が考えなければならないのは、やはりあさひの目的だ。ずっと沈黙を保っていたあさひが、どうしてこの場に現れたのか。



  現状、考えられるのは3つ。



 俺のことを『お兄ちゃん』と呼ぶ紗耶ちゃんを、殺しに来た。


 そんな紗耶ちゃんと仲良くする俺を、殺しに来た。


 或いは本当にただの、気まぐれか。



「……終わりか」


 そんな風に考え事を続けていると、いつの間にかエンディングの曲が流れ出していた。考え事に集中していたせいで、どんな風に終わったのか全く分からない。


 ……けど最後にちらりと、主人公の少女と先輩が抱き合っているのが見えた。だからきっと、ハッピーエンドで終わったのだろう。



 そうしてエンディングの曲も終わり、辺りがゆっくりと明るくなる。



「面白い映画だったね、兄さん」


 暗くなった画面を見つめながら、あさひはそう呟く。


「……そうだな」


 俺は警戒を強めて、そう言葉を返す。


「ふふっ、嘘ばっかり。考え事に夢中で、映画なんてほとんど見てなかった癖に。……そんなにわたしが、気になるの? 兄さんってほんと、わたしのことが大好きだよね」


 あさひは立ち上がり、身体をほぐすように伸びをする。


「んー。さて、兄さん。隣のカフェで、感想戦しようよ。……隣のバカ女も、連れてきていいからさ」


「いや、俺たちはこれから──」


「じゃ、待ってるからね」


 あさひは一方的にそう言って、そのままゆっくりとこの場から立ち去る。


「無視するわけにも、いかないよな。……悪い、紗耶ちゃん。このあと……って、紗耶ちゃん? ぼーっとしてるけど、大丈夫?」


 紗耶ちゃんはまるで放心でもしたかのように、ぼーっと画面を見つめたまま、動かない。だから俺は心配になって、紗耶ちゃんの肩を軽く揺らす。


「……はっ。ごめんなさい、お兄ちゃん。ちょっと、ぼーっとしてた」


「それは別にいいんだけど、体調悪かったりしないよね?」


「大丈夫だよ。私、元気。……でもこの映画、凄く悲しい最後だったから、ちょっとだけ寂しくなっちゃった」


 紗耶ちゃんは、いつもよりずっと大人びた顔でそう言って、悲しさを誤魔化すように、残ったポップコーンを一気に流し込む。


「あれって、悲しい最後だったのか……」


「お兄ちゃんは、悲しいと思わなかったの? だってあの2人、もうずっとあのままなんだよ?」


「…………」


 そう言われても、途中までしか見てない俺には、何の話かさっぱり分からない。……いや、今はそれより、あさひのことだ。あさひは確か、隣のカフェで待っていると言っていた。


 なら、あいつが変な気を起こさないうちに、会いに行かなければならないだろう。


「なぁ、紗耶ちゃん。デートはまた今度、改めて誘うよ。だから今からさ、少しだけ俺に付き合ってくれないか?」


「さっきの女の人のところに、行くの?」


「ああ。できれば紗耶ちゃんにも、一緒に来て欲しい。……ダメかな?」


「ううん。いいよ。あの人もおんなじ映画を観てたんだから、一緒に話ができるしね。……でもその前に、ちょっとだけ寂しくなっちゃったから、ぎゅってして欲しい」


 紗耶ちゃんは立ち上がって、周りに視線を向ける。……幸い周りにはもう、人影はない。


「分かった。ありがと、紗耶ちゃん」


 そう言って、紗耶ちゃんの身体を抱きしめる。紗耶ちゃんは相変わらず、温かで柔らかい。


「ふふっ。お兄ちゃんはこうやって甘えさせてくれるから、好き」


「これくらいなら、いつでもしてあげるよ」


「えへへ。ありがとう、大好き!」


 そうしてしばらく抱きしめ合って、そのまますぐに隣のカフェに向かって歩き出す。


「なぁ、紗耶ちゃん。今更こんなこと訊くのもあれだけど、あの映画ってバッドエンドだったの? 最後、あんなに幸せそうに抱きしめ合ってたのに」


「そうだよ。だって2人とも、もう死んじゃってるんだもん」


「…………」


 思わず、言葉に詰まる。あれは、そんなに悲しい結末だったのか。


「……私、悲しい話は好きじゃないかも。やっぱり映画は、楽しい話の方が好き」


「それは俺も、そうだよ」


「……でも、どうしてか分からないけど、悲しい話の方が忘れられないよね。私、もう1回記憶喪失になっても、あの2人の悲しい顔は覚えてると思うもん」


「それは……それは少し、寂しいな」


 そんな風に話をしながら、カフェに入る。すると、美味しそうにコーヒーを飲んでいたあさひが、こちらを向かって軽く手を振る。



「早かったね、兄さん。じゃあさっそく、あのくだらない映画について、少し話をしようか」



 あさひはそう言って、心底から楽しそうにニヤリと笑った。


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