第44話 始まっちゃうよ?

 5月27日。



「お兄ちゃん! 早く早く! 映画、もう始まっちゃうよ?」


「そんなに急がなくても大丈夫だよ、紗耶ちゃん。時間にはまだ、余裕があるから」


「ダメ! ゆっくりしてるのなんて、もったいないよ! せっかくお兄ちゃんとデートしてるんだから、楽しまないと損だよ!」


 紗耶ちゃんはそう言って、本当に楽しそうな笑みを浮かべる。


「でも早く行ったって映画は……いや、そうだな。紗耶ちゃんの言う通りだな」


 俺はそんな紗耶ちゃんの笑顔が眩しくて、小さく息を吐いて軽く笑う。



 莉音と一緒にコンビニに行った、翌日。俺は学校をサボって、紗耶ちゃんと一緒に映画館を訪れていた。……というのも、昨日はあれから莉音と長々と話してしまい、帰りがかなり遅くなってしまった。


 だから、早く帰ると約束していた紗耶ちゃんと汐見さんを怒らせてしまい、その埋め合わせとして、まずは紗耶ちゃんとデートすることになった。


 ……まあでも、紗耶ちゃんもずっとあの家に引きこもっているのは辛いだろうし、いい機会だったのだろう。


「…………」


 ちょうど俺も、訊きたいことがいくつかあったし。


「あ、お兄ちゃん。これだよ、これ! 昨日テレビで特集してた、映画! この映画、お兄ちゃんと一緒に観たいなって思ってたんだ!」


「……これ、結構重そうな恋愛映画だけど、大丈夫? 紗耶ちゃんほんとに、これが見たいの?」


「うん! お兄ちゃんと一緒に、こういう映画観てみたい!」


「そっか。なら、これにするか」


 予告映像を流しているディスプレイを眺めながら、そう言葉を返す。


「…………」


 紗耶ちゃんが観たいと言っている映画は、偶然にもいつかのループの時に紗耶ちゃんと観に行く約束をしていた、映画だった。


 確かあの時は、莉音とのことがあって、クロが死んでしまい、俺は映画を観に行く前に死んでしまった。だからこうして時を超えて約束を果たせるのは、嬉しくもあり、同時に……怖くもある。



 だって、これじゃまるで……運命みたいだから。



「……あれ? どうかしたの? お兄ちゃん。急に黙り込んじゃって。……もしかして、私と映画観るの嫌?」


「そうじゃないよ。そうじゃなくて……恋愛ものの映画ってあんまり観ないから、寝ちゃわないかなって心配してたんだよ」


「なんだ、そんなことで悩んでたんだ。でもそんなの、大丈夫だよ? 大っきいポップコーンを買えば、眠くなることなんて絶対にないから!」


「ポップコーン。買うのは別にいいんだけど、眠くなることと、関係あるかな?」


「あるよ! だって、美味しいものを食べてる時に眠くなることって、あんまりないでしょ? だから映画館には、ポップコーンが売ってるんだよ」


「……そうか。それは知らなかったよ。でも確かに、美味しいものを食べてる時に眠くなることって、あんまりないな」


「でしょ? ……まあでも、お腹いっぱいになると眠くなっちゃうから、そこは気をつけないとダメだよ?」


「分かった。教えてくれて、ありがとな」


 紗耶ちゃんの頭を、よしよしと撫でてやる。紗耶ちゃんは気持ちよさそうに、目を細める。


「じゃあ俺、ポップコーン買ってくるよ。紗耶ちゃんは、何味がいい?」


「キャラメル!」


「了解。じゃあ、チケットもまとめて買ってくるから、紗耶ちゃんはここで待ってて」


 そうして手早く、ポップコーンとチケットを買う。すると、そこでちょうどアナウンスが流れたので、早めに入って座席に座る。


「そういえばさ、紗耶ちゃん。こうやって普通に過ごしてて、何か思い出したこととかある?」


 ポップコーンと一緒に買ったコーラに口をつけてから、そう尋ねる。


「うん? ……うーん。ごめんなさい。まだ何も、思い出せてないの」


「謝る必要はないよ。でも、ずっと忘れたままだと、不安じゃない?」


「それは、大丈夫だよ。だってお兄ちゃんが、側にいてくれるから。お兄ちゃんにぎゅーってしてもらったら、嫌なことなんか全部、忘れちゃうよ」


「……そっか。それなら、よかったよ」


「うん。いつもありがとう、お兄ちゃん」


 ポップコーンを口に運んだ紗耶ちゃんは、幸せそうに頬を緩める。その仕草や言葉は、どう見ても嘘には見えない。なら少なくとも今の紗耶ちゃんには、自身が神であるという自覚はないのだろう。


 ……それか或いは、美佐子さんが嘘をついているだけか。



「…………」


 どちらにせよ、俺は少し安心していた。今の……いや、少し前のクロを見ていると、神と人間に大した差なんてないんじゃないかって、思いたくなる。でもあれは、今の俺とクロだからこそ築けた関係だ。


 だからもし紗耶ちゃんが本当に神なら、こんな風に映画を楽しみにすることも、ポップコーンを食べて笑うこともできない。だって神には、食事も笑顔も必要ないから。


「紗耶ちゃん。紗耶ちゃんのポップコーン、1つ貰ってもいい?」


「もちろんだよ。はいどうぞ、好きなだけ食べてください」


「ありがとう、紗耶ちゃん」


 ポップコーンを2、3個手にとって、口に運ぶ。それはとても甘くて、美味しい。そして紗耶ちゃんが笑ってくれると、幸せだって思える。なら俺はまだ、神ではなく人なのだろう。



 その事実に、安心する。



『始まりから7日後、神様が死ぬ』



 でもどうしてかそこで、昨日の莉音の言葉を思い出す。あれから莉音に、メモ帳についていくつか尋ねた。けど結局、その言葉の真意は分からなかった。……でも、その言葉がクロのことを指しているのなら、こうして映画なんか観ている場合では──。



「……あ」



 そこで、とある可能性に思い至る。今頃になって、ようやくそこに気がつく。クロが弱っているのに、どうしてシロが攻めてこなかったのか。


 その理由は、ずっと分からないままだった。けど紗耶ちゃんが神だとするなら、辻褄が合ってしまう。クロが弱って、倒れた。でも俺の家には、同じ神である紗耶ちゃんがいた。だからシロは、攻めてこなかった。



 そう考えれば、辻褄が合ってしまう。



「お兄ちゃん? どうかしたの? もしかして、ポップコーン嫌い?」


「ごめん、紗耶ちゃん。一度、家に戻ろう」


「え? なんで? 映画もう、始まっちゃうよ?」


「……本当に、ごめん。でも俺の予想が正しいなら、クロが──」



 そこでふと、声が響いた。



「──兄さん。久しぶりの映画ではしゃぎたくなるのは分かるけど、もう始まるんだから喋るのはマナー違反だよ」



 慌てて立ち上がった俺を諌めるように、空席だった隣の席から声が響く。……だから俺は吸い寄せられるように、声の方に視線を向ける。



 すると、そこには……。




「偶然だね、兄さん。兄さんもこの映画、観たかったんだ」



 俺の隣に腰掛けた妹のあさひは、そう言って楽しそうに口元を歪めた。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る