第42話 嘘だろ……。
「久折 未白さん。お願いします。私を神様から、助けてください」
美佐子さんはそう言って、さっきまでとは別人のような顔で頭を下げる。
「ごめん。言葉の意味が、分からない。神様から助けてって、それは一体どういう意味だ?」
俺は美佐子さんから一歩距離を取り、慎重にそう言葉を返す。
「……そっか。いや、そうだよな。いきなりこんなこと言われても、分からねーよな。悪い」
「いや、謝る必要はないよ。それよりまずは、君の名前を聞かせてもらってもいいかな?」
無論、俺は彼女の名前を知っている。けど今回は初対面なので、一応そこから尋ねる。
「あ、そういやまだ名前を言ってなかったな。私は、
「美佐子さん、ね。よろしく。……いや、いきなり名前で呼ぶのは失礼か。じゃあ──」
「別にそんなの、気にしねーよ。呼びたいように呼べばいいさ。……一応あんたは、先輩だしな」
「そ。なら、美佐子さんって呼ばせてもらうよ。……その名前は紗耶ちゃんからよく聞いてるから、そっちの方が呼びやすいしね」
紗耶。その名前を聞いた瞬間、美佐子さんはまるで痛みを堪えるように、手をぎゅっと強く握りしめる。
「紗耶……。そうか。あんたがこの教室に来たのは、偶然じゃないってわけか」
「そりゃ、ね。まさか君がいじめられているとは、思わなかったけどね」
俺の言葉を聞いて、美佐子さんは苦虫を噛み潰したような顔で、窓の外に視線を逃す。……どうやら紗耶ちゃんのことは、よほど話したくないらしい。
「……悪いことをしたっていう、自覚はある。でも……」
「過去の話にするのは、まだ早いんじゃないの?」
「分かってるよ。……分かってるんだよ! でも仕方なかったんだ! あいつをいじめないと、私は……!」
心に爪を立てられたような悲痛な叫びが、茜色の教室に響く。
「……その様子からして、さっきの2人に無理やりいじめを強制させられてたりするの?」
自分たちとは関係ない人間を、いじめの主犯格に仕立て上げる。そうすれば、いじめが問題になったとしても、その子をスケープゴートにして逃げることができる。そういう小狡いことを考える奴らも、いるにはいるのだろう。
……けど悪いが、あの2人にそこまでのことを考える頭があるとは、思えない。
「そうじゃない。あいつらなんか、問題じゃない。……あいつらは、自分たちが特別だって思い込みたいだけの、ただの馬鹿だ。あんなのに……私は負けたりしない!」
「じゃあ一体、何が仕方ないって言うんだよ?」
「……だから、言ってるだろ? 神様なんだ……」
美佐子は何かを諦めるように、大きく息を吐く。するとちょうど、下校時間を知らせるチャイムの音が鳴り響く。でも美佐子さんはそれに構うことなく、言葉を続ける。
「私、おばあちゃんっ子なんだよ。両親は2人とも忙しい人だから、昔はよくおばあちゃんの家に預けられてた。……このキーホルダーもさ、おばあちゃんがくれたんだよ。だからこれは、私の宝物なんだ」
赤い日差しが、美佐子さんの頬を染める。俺はそんな美佐子の姿を見つめながら、黙って彼女の言葉に耳を傾ける。
「……でもそのおばあちゃんが、先月……倒れんだよ。倒れて、病院に運ばれて、寝たきりになっちまった……。私は毎日のようにお見舞いに行ったけど、おばあちゃんはいつまで経っても目を覚まさなくて……。だから私は、神様に祈ったんだ」
祈ったところで、神は人を救わない。少なくとも俺の知ってる2柱の神は、そういう存在だ。
「…………」
でもきっと、彼女には奇跡が起きたのだろう。だから彼女は、こんなにも辛そうな顔をしているんだ。
「……赤。あんたと同じ赤い瞳の女の子が、私のところにやって来た。そして彼女は、言ったんだ。『私の願いを叶えてくれたら、貴女の願いも叶えてあげるよ』って」
「それで君は、その誘いに乗ったのか? ……いや、そもそも君はそんな言葉を信じたのか?」
「ああ。信じたさ。だってあの子は……いや、あれはあんたと同じ、人とは違う雰囲気を纏っていた。……ううん。あれはあんたより、ずっとずっと怖い瞳をしていた。それこそ、一目で人間じゃないって分かるくらいに……」
赤い夕焼けが、夜の闇に飲まれる。だから辺りには冷たい夜色が広がって、校舎から音が消える。
「そして、次の日。おばあちゃんは目を覚ました。倒れたのが嘘みたいに、元気な顔で笑ってた。私はそれで、神の存在を完全に信じた」
「それで君は、あさ……その神に、何を頼まれた?」
俺の今の、この状況。この一連の事件は、紗耶ちゃんに殺された時から始まった。そしてその紗耶ちゃんと関わることになったのは、いじめられている彼女を俺が助けたからだ。
……もしそこからの全てがあさひの計画なら、紗耶ちゃんがいじめられるようになったのも、あさひのせいだということになる。
「…………」
胸のうちに、冷たい怒りが広がる。でもその怒りを美佐子さんに向けても、意味はない。だから俺は大きく息を吐いて、怒りを逃す。
そしてそのまま、美佐子さんの方に視線を向ける。すると彼女は、何かに怯えるようなとても小さな声で、その言葉を口にした。
「あいつは、言ったんだ。私を、いじめてくれって」
「────待て。私をって、どういうことだ。君のところに来たのは、まさか……」
「そうだよ。私の目の前に現れたのは、真っ赤な目をした……」
どくんと、心臓が跳ねる。人の気配を感じない夜の校舎には、そんな小さな音さえ響いてしまう。それくらい静かな空気が、この場には沈殿している。
だからその美佐子さんの言葉は、何より大きく……この場に響いた。
「──冬乃江 紗耶だった」
「────」
冷たい月光が、音もなく俺の頬に触れる。それは今までの常識が全て壊れたような衝撃で、だから俺はただ呆然と美佐子さんを見つめることしかできなかった。
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