第41話 お願いします。

 5月26日。



 汐見さんに、一緒に住まないかと提案した翌日の放課後。 俺は1人、茜に染まった廊下を歩いていた。


「…………」


 昨日はあれから、一度家に荷物を取りに戻った汐見さんを見送って、紗耶ちゃんと少しこれからのことを話をした。でも紗耶ちゃんは一貫して、汐見さんと一緒に住むのに反対だった。『あの人はお兄ちゃんを、騙そうとしてる。だから、信用できない』と。


 でももう決めたことだから、今更それを覆すわけにもいかない。だから俺は何度も紗耶ちゃんを説得して、結局、毎日一緒に寝るという条件で、どうにか汐見さんのことを認めてもらった。


 そうして、今日。紗耶ちゃんを汐見さんに任せて、久しぶりに学校にやってきた。


「少し、心配だけどな……」


 紗耶ちゃんと汐見さんはただでさえ不仲なのに、一度同じような狂気に染まって、俺を殺している。そんな2人を同じ家で2人きりにするのは、少し不安だった。


 でもクロがずっと眠ったままな以上、俺が動かないと始まらない。



「もう少し、騒ぎになってると思ったんだけどな」



 ゆっくりと廊下を歩きながら、そう呟く。


 紗耶ちゃんはもう2日も、自分の家に帰っていない。なら既に、警察沙汰になっていてもおかしくない。そう思っていたのだけど、どこをどう見ても騒ぎになっている様子はなかった。


 その証拠に、昼休みに紗耶ちゃんの教室を訪ねてみても、誰も紗耶ちゃんのことを気にしてなかった。


『ああ。そういえば、来てませんね』


 紗耶ちゃんのことをクラスメイトに尋ねると、そんな言葉が返ってきた。その冷たい言葉は、クラスでの紗耶ちゃんの立ち位置を示しているようで、なんだか少しやるせない気持ちになった。


 けどその様子からして、紗耶ちゃんが行方不明ということを、学校側はまだ知らないのだろう。教員の方にもそれとなく探りを入れてみたから、間違いない。


「なら帰りに、紗耶ちゃんの家に寄ってみるか」


 学校側に報告していないということは、紗耶ちゃんの家の方でも何かあったのかもしれない。……最悪、俺の家に来た時の紗耶ちゃんのあの狂気が、ご両親にも伝播しているのかもしれない。



 もしそうなら、もう取り返しのつかないことになっているだろう。



 そんなことを考えながら、最後に一度、紗耶ちゃんの教室の前を通る。……すると教室の中から、聴き慣れた少女たちの声が聴こえてきた。


「だからそれ、返せって言ってんだろ! ガキじゃねぇんだから、つまんねー真似すんなよ!」


「そりゃこっちの台詞だし、美佐子。あんた、普段は偉ぶってる癖にこんな子供っぽいキーホルダー大切にして、馬鹿なんじゃないの?」


「そうそう。理事長の娘とか適当なこと言って、うちらにまで恥かかせたんだから、これくらいされて当然でしょ?」


 ぎゃはははははっと品のない笑い声が響いて、何かが倒れたような音が響く。


「…………」


 俺はちらりと、教室の中を確認してみる。……どうやら教室の中では、いつかのループの時に自殺した美佐子さんが、いじめられているようだった。


「早すぎるだろ……」


 紗耶ちゃんが学校を休むようになってから、まだ2日しか経っていない。なのに彼女たちは、もう別の人間……しかも少し前まで友達だった人を、いじめている。



 いじめていた人間が、ふとしたきっかけでいじめられる側にまわる。



 そんなのは、よくあることだ。けどこんな短期間だと、どうしても違和感を覚える。……いや、或いはその辺りに、美佐子さんが自殺した原因があるのかもしれない。


「ま、どのみち放っておくわけには、いかないしな」


 彼女を助けるのは、俺の目的の1つだ。だから俺は当たり前のように、教室の扉を開く。


「随分と楽しそうなことをしてるね? 君たち」


「なんだよ、お前。うちら今、取り込み中なんだよ」


「そうそう。だから早く、どっか行けよ。じゃないとお前も──」


 そこで、少女たちの片方と俺の目が合う。するとその少女は、驚いたように目を見開く。


「そっちの子……美佐子さんと少し話がしたいから、君らはもう帰ってもらってもいいかな?」


「……なんでうちらが、お前に命令されなきゃいけないんだよ」


「命令じゃなくて、お願いしてるんだよ」


「はっ。なら聞いてやる義理はねーな」


「……はぁ。口で言ってやってる間に帰れよ、面倒くさいな。あんまり手間をとらすな」


 少女たちの方に、一歩近づく。すると彼女たちは怯えるように、一歩後ずさる。……いつもなら、これくらい脅かせば捨て台詞を吐いて帰ってくれる。けど、どうしてか今回は立ち去らず、女の1人が俺の顔を睨みつける。


「ここでうちらを、殴るって言うのか? そんなことしたら困るのは、お前の方だぞ?」


「ははっ。先生にでも言うのか? 意外と可愛いとこあるんだね、君たち」


「……! 舐めてんじゃねーよ! お前!」


 女の1人が、俺の胸ぐらを掴む。どうやら今日は、相当虫のいどころが悪いらしい。……けど今更、そんなのにビビる俺じゃない。


「舐めてんのは、お前らの方だ。……手を離せ」


 ほんの少しの敵意を、胸ぐらを掴んでいる少女に向ける。


「ひっ……!」


 するとその少女は想像以上に怖がって、その場で尻餅をついてしまう。


「…………」


 俺はもう、普通の人間ではない。それは、分かっていたことだ。でもこんな風に化け物を見るような目で見られると、少しだけ傷つく。


「……いいから、もう行け。これ以上、手間を取らせるな」


 そう言って、少女たちに背を向ける。すると彼女たちは、『やばい』『早く』なんて言いながら、一目散にこの場から立ち去る。


「君、大丈夫?」


 俺はそんな少女たちを無視して、尻餅をついている美佐子さんに手を伸ばす。


「……余計なこと、すんなよ」


 けれど美佐子さんはその手を取らず、自分の足で立ち上がる。


「そりゃ、悪かったね。……でもこれ、君のだろ?」


「……! それ、私のキーホルダー! どうしてお前が、それを持ってんだよ!」


「胸ぐら掴まれた時に、ちょっとね」


 軽く笑って、どこかで見たことがあるようなキャラクターのキーホルダーを、美佐子さんに返してやる。


「……ありがと。でもあの一瞬でこれを取るなんて、お前いったい何者だよ」


「俺は、久折 未白。君の1つ上の先輩だよ」


「──。久折……久折ってあの、有名な家の久折か?」


「ん? ああ。多分、その久折だよ」


 久折という名前は、この辺りではちょっと有名な名家だ。だから偶に、こういうリアクションをされることはある。でも美佐子さんが、ここでその名前を気にする理由が分からなくて、俺は少しだけ驚いてしまう。


「……久折。……そうか、そういうことかよ」


 美佐子さんはそんな俺の困惑を無視して、何かを確かめるように独り言を呟く。そしてすぐに答えが出たのか、彼女は一度大きく息を吐いてから、とんでもない言葉を口にした。



「久折 未白さん。お願いします。私を神様から、助けてください」



 彼女のその言葉は、夕暮れの教室にやけに大きく響いた。


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