第6話 任せなさい!
6月4日。
いつもの空き教室に向かう道すがら、少し考え事をしていた。
俺は、漫画やゲームなんかが好きだ。物語の世界に没中している時は、余計なことを考えずに済むから。
けれど作品によって、合わないものもあったりする。特に清廉潔白で、気持ち悪いらくらい善人な主人公。自分を殺そうとした人間を助けたりする、あのタイプ。俺はそういうのが、好きではなかった。
「……その筈、だったんだけどな」
けれど、どうだ。今の俺は、そんな彼らと同じように自分を殺した人間を助けて、あまつさえその子の手伝いをしている。
無論、紗耶ちゃんのことは気に入っているし、可哀想だとも思う。けれど別に、命を賭けるほど好きな相手ではない。……その筈なのに、どうしてか当たり前のように彼女を助けてしまった。
だから俺は、そんな自分の心を考える。
妹に似ているから。可哀想だから。実はちょっと、好みだから。おっぱいが大きいから。笑顔が可愛いから。
……理由は色々あるけど、やはりどれも命を賭けるほどのものではない。
「相変わらず定まらないな、俺は」
結局答えの出ないまま、いつも空き教室にたどり着く。
「ま、今はいっか」
だからまた答えを先送りにして、冷たい扉に手をかける。
「遅かったわね? 未白。このあたしを待たせるなんて、いい度胸じゃない」
空き教室の扉を開けると、開口1番にそんな言葉を投げかけられる。
「なんだ。もう来てたのか、
「ほんとよ。このあたしの貴重な時間を使ってあげるのだから、今度たっぷりお礼をしてもらうわよ?」
少女はそう言って、優雅な仕草で長い金髪をなびかせる。
彼女は名前は、
……のだが、肝心の紗耶ちゃんの姿がどこにもない。
「なあ、莉音。紗耶ちゃ……女の子、見なかったか? 1年生で前髪の長い可愛い子」
「それって、あの子のこと?」
莉音はそう言って、教室の隅に視線を向ける。
「あ、いた」
するとそこには、怯えるように体を丸めた紗耶ちゃんの姿があった。
「ぶるぶる。ぶるぶる」
「紗耶ちゃん。何をして……って、あー。もしかして、莉音のことが怖いの? 大丈夫だよ。あいつは派手な見た目してるけど、悪い奴じゃないから」
「……そ、そうなんですか? 私てっきり、襲撃でもされたのかと……」
「なんだよ、襲撃って」
軽く笑って、紗耶ちゃんの手を引いて莉音の前まで連れて行く。
「こいつは俺の友達の、蒼羽 莉音。これからは彼女にも、会話の練習に付き合ってもらおうと思ってる。……俺だけと話すより、きっとその方が効果的だから」
「そ、そうなんですか。そうとは知らず怯えてしまって……その、ごめんなさい」
「構わないわ、そんな瑣末なこと。それより貴女、名前は?」
「あ、そ、そうでした。……わ、私はその……冬乃江 紗耶って言います。その、よろしくお願いします!」
紗耶ちゃんはぺこりと、頭を下げる。
「あたしは蒼羽 莉音よ。よろしくね」
莉音はそんな紗耶ちゃんとは対照的に、自信満々な態度で言葉を返す。
前回は俺は1人で、紗耶ちゃんに接し続けた。だから彼女は、俺に依存するようになってしまった。なので今回はそうならないよう、友人の力を借りることにした。
莉音はちょっとクセの強い奴だが、真っ直ぐで何よりぶれない芯がある。だから紗耶ちゃんにも、いい影響を与えてくれる筈だ。
「それで、未白。この子がちゃんと会話できるよう協力してくれって話だけど、具体的には何をすればいいの?」
「特にこれといって、決めてるわけじゃないよ。だからまずは、普通に会話してくれればそれで構わないよ。……他に何かアイディアがあるなら、それでもいいけど」
「随分といい加減ね。関わるって決めたのなら、もっと真面目に考えてあげなさい。それが責任というものよ」
莉音は呆れたように、息を吐く。……莉音は傲慢に見えて、根はとても真面目な奴だ。だから俺のいい加減で雑なやり方が、気に入らないらしい。
「……ま。どうせそんなことだろうと思って、準備してきてあげたのだけれどね」
莉音はそう言って、ポケットから小さくて可愛いメモ帳を取り出す。
「貴女……いえ、紗耶。これはあたしから貴女への、プレゼントよ。有り難く、受け取りなさい」
「え? ……その、え? わ、私がもらっても、いいんですか?」
「そう言ってるじゃない。……でも貰ったからには、ちゃんと活用しなさいよ」
「は、はい。その……ありがとうございます!」
紗耶ちゃんは緊張しながら、莉音からメモ帳を受け取る。
「わざわざ悪いな、莉音。でもメモ帳なんて、何に使うんだ?」
「相変わらずバカね、未白は。メモ帳なのだから、メモをするに決まってるじゃない」
「いや、それくらい分かってるよ。じゃなくて、何をメモするかって訊いてんの」
「……ああ、そっち? でもそれも、愚問ね。好きなことを、好きなように書けばいいのよ」
莉音はそんなよく分からないことを言って、切長な目で紗耶ちゃんを見つめる。
「紗耶。そのメモは、貴女の好きなように使いなさい。普通のメモ帳として使ってもいいし、日記にしてもいい」
「……は、はい。分かり、ました」
「でも1つ条件。読み返した時に、元気になれるようなことを書きなさい。知らない人に話しかける時、勇気をもらえるように。話す内容に困った時、いい話題を出せるように。そうやって意識しながら、そのメモ帳を埋めていく。そうすれば友達くらい、簡単にできるわ」
だから頑張りなさい。と、莉音は言う。……なんていうか、素直に凄いなって思う。言葉に妙な説得力があって、こっちまで頷いてしまいそうになる。
「は、はい。頑張ります!」
紗耶ちゃんもそんな莉音の言葉に何か感じたのか、さっそく何かメモし始める。
「昨日頼んだばかりなのに、色々と考えてきて凄いな。莉音は」
「別に。これはあたしが普段からやっていることだから、大したことではないわ。……でも、まあ……ほ、褒めてくれるなら、素直に受け取っておいてあげるわ」
莉音は顔を隠すように、窓の方に視線を向ける。……けれど赤くなった頬と、ニヤニヤとしている口元が見えてしまう。
莉音は昔から自信満々な奴だけど、褒められるのに凄く弱い。だからこうやって少し褒めただけで、すぐに照れてしまう。……そういうところは、ちょっと可愛いなって思う。
「……っと。もう結構、いい時間だな。じゃあ今日は、この辺で終わりにしようか」
「は、はい。その……今日も、ありがとうございました! 久折先輩。それに……莉音さんも」
「別にお礼を言われるようなことは、何もしてないわ。……でも、これからも暇な時は手伝ってあげるから、今度は目を見てお礼を言えるようになりなさい」
莉音はまた優雅な仕草で髪をなびかせて、これまた優雅な仕草で教室から立ち去る。
「なあ、莉音」
けれど俺は、ずっと気になっていたことがあったので、その背中を引き止める。
「何かしら? お礼ならまた今度2人きりの時に、あたしの……」
「いや、そうじゃなくて。なんでお前、左右で色の違う靴下を履いてるんだ?」
白のニーソと、黒のニーソ。頑張ればオシャレって言えなくもないけど、莉音はもっときっちりとした服装が好きな奴だ。だから疑問に思い、そう尋ねる。
「……ぬばっ!」
莉音は自分の脚を見て、変な声をあげる。そして隠すように、靴下をクルクルと丸めていく。……どうやら、間違えて履いてきてしまったらしい。
莉音はいつも自信満々だから、誰も注意できなかったんだろうな。
「では、ご機嫌よう」
莉音は何もなかったようにそう言って、また優雅な仕草で歩いていく。けれど教室から出た瞬間、凄いスピードで駆け抜けて行った。
……どうやらかなり、恥ずかしかったらしい。
「やっぱりあいつ、あと一歩足りないんだよな」
でもだからこそ、あいつは皆んなに慕われているのだろう。
「凄くいい人ですね、あの人」
「まあな。だから怖がらず、ぐいぐい行くといいよ。きっといい友達になれるから」
俺は軽く、笑う。
「はい。頑張ります!」
紗耶ちゃんも、笑った。
そうして少しずつ、元の世界からズレていく。……けれど俺はまだ、1番大切なことに気がついていなかった。
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