第23話 来ませんか?

 5月24日。



「やあ、いい天気だね。未白くん」



 廃ビルの屋上で俺を待っていた汐見さんは、そう言って楽しそうに笑う。


「…………」


 当たり前のことだが、その表情には俺を殺した時の面影なんて、微塵もない。彼女の笑顔はどこまでもはつらつとしていて、見ているこっちまで笑みを浮かべたくなってしまう。


 ……でも確かに、彼女は俺を殺した。狂ったような笑みを浮かべて、背中から俺にナイフを突き立てた。その姿が今も、この目に焼きついている。


「あれ? そんな苦虫を噛み潰したよう顔をして、どうかしたのかい? 未白くん」


「……いや、なんでもないです。それより久しぶりですね、汐見さん」


 余計な思考を振り払って、笑う。汐見さんもそんな俺を見て、また笑う。


「ああ、久しぶりだね。……でも未白くん。汐見さんじゃなくて、奈恵だろ?」


「そうでしたね、奈恵」


 そう言って、小さく息を吐く。


「それで、奈恵。いきなりこんな所に呼び出して、すみません。でもどうしても、話しておきたいことがあるんです」


「だろうね。真面目な君が学校をサボってまでボクを呼び出したんだから、余程の理由があるんだろう?」


 汐見さんは軽い仕草で、フェンスにもたれかかる。……けれどやはり、フェンスは壊れない。


「そのフェンス、古くなってるから危ないですよ?」


「大丈夫だよ。このフェンスは、これくらいで壊れたりしない。それより、話があるんだろ? ボクは君に頼られるのか好きだから、なんでも聞くといい」


「…………」


 その言葉を聞いて、少し頭を悩ませる。


 ここで馬鹿正直に、『貴女はどうして、俺を殺そうとしてるんですか?』なんて聞いても、彼女は答えてくれないだろう。


 そもそも、汐見さんが俺を殺そうとしていることを知っているのは、俺のアドバンテージだ。なら、それをみすみす手放す理由もない。



 なら、まず話すべきことは……。



「汐見さん。あさひ……俺の妹が、俺と同じマンションに引っ越して来たの、知ってますか?」


 俺のその問いを聞いて、汐見さんは驚いたように目を見開く。


「あさひは君に隠れて準備を進めていたのに、よく気がついたね。やっぱり君は、優秀だよ」


「……別に、褒められるようなことじゃないですよ。偶々、気がついただけですから。でもそれでちょっと、汐見さんと話がしたいなって思ったんです。あいつが何の為に、俺と同じマンションに引っ越して来たのか。汐見さんは知ってますか?」


「くふっ。それは、言うまでもないことだろ? あさひはただ、大好きなお兄ちゃんのそばに居たいだけだよ」


「……じゃあシロの目的は、なんだと思います? あれは元々、汐見の家の神様でしょ?」


 汐見さんはそこで一度、空を見上げる。そして空に視線を向けたまま、ゆっくりと言葉を返す。



「ねぇ、未白くん。ボクに聞きたいことって、本当はそんなことじゃないんだろ?」



 まるで、こちらの思考を見透かしたような言葉。けれどその程度で、俺も動揺したりはしない。


「それ、どういう意味ですか?」


「ふふっ。言葉通りの意味だよ。……でもまあ、君が言いたくないなら、無理には聞かないよ。だって君は、ボクの恩人だからね」


「恩人? なんのことですか、それ」


 汐見さんはそこで、何かを確かめるように自身の手のひらに視線を向ける。


「忘れたとは言わせないよ? 未白くん。君と……そしてあさひは、長らく続いた久折と汐見のくだらない風習を、終わらせてくれた。……神様を利用して甘い汁を吸っていた連中を、他ならぬ神の力で皆殺しにしてくれた」


 俺はクロに願って、久折に関係する人間を皆殺しにした。そして汐見の家は、久折の家と親戚関係にある。だから汐見さんとその家族は、一度クロに殺されている。


「…………」


 ……でも、それは全てなかったことになった。その時の痛みや恐怖は、俺の願いで全て消えてなくなった。だから彼らが知っているのは、ただそういうことがあったという、他人事のような認識だけだ。


「でもね、未白くん。たったそれだけのことで、彼らは変わったんだよ」


 俺の思考を見透かしたように、汐見さんは言う。


「神に取り憑かれていた一族は、神の恐ろしさを知ることで身の程を知った。……君はあのあと早々に家を出たから知らないだろうけど、久折の家と汐見の家はまるで別の場所のように平和になったんだ」


「……そうなんですか。でももう俺は、彼らのことは愛せない」


「君は、変わったね。……昔の君は、ただひたすらに愛に飢えていたのに」


「…………」


 俺は、言葉を返さない。


「ボクは物心ついた頃には、愛されるのなんて無理だと諦めていた。彼らはボクになんて興味がなくて、ボクのことを人形としか思っていなかったから。……でも君は、ボクなんかとは比べ物にならないくらい冷たい場所にいたのに、ただがむしゃらに走っていた」


 汐見さんは、まるで自分のことのように誇らしげに、俺の過去を語る。


「ボクはそんな君が眩して羨ましくて、同時に凄く……怖かった。必死に走っている君が、この世にはゴールなんてないと気づいてしまったら、とんでもないことになると思ったから」


「……話が逸れてませんか? 汐見さん。今は俺のことなんて、関係ないでしょ?」


「ああ、そうだね。でもボクは昔の君が大好きだから、ついついその話をしてしまうんだよ。……無論、変わってしまった今の君も、嫌いではないけどね」



 ならどうして、俺を殺したりしたんだ?



 そんな疑問が、頭を過ぎる。けれど今、それを口にするわけにはいかない。


「でもまあ、久折の家が幸せなのはいいことですね。神がいなくなった今が幸せってことは、彼らもようやく自分たちの愚かさを理解したってことですから」


「……君は、気に入らないとは思わないのかい? 君がどうしても欲しかった親の愛情を、養子である海斗が存分に手に入れているんだよ?」


「どうでもいいですよ、そんなこと。俺はもう、親に甘えるような歳じゃないですから」


「なるほどね。つまり彼らは、君にとってはもう過去のことなのか。……ずるいな」


 汐見さんはゆっくりと、俺の方に近づいてくる。そして冷たい手で、優しく俺の頬に触れる。


「ねぇ、未白くん。君はボクやあさひを置いて、1人変わってしまうのかい?」


「誰だって、変わる時は1人ですよ」


「そういう話が、したいわけじゃないんだよ。……確かに久折と汐見は、狂気から解き放たれた。でもね、だからってあそこが、ボクにとって幸せな場所にはならないんだよ」


「じゃあ、家を出ればいいじゃないですか。今の汐見さんになら、それくらいできるでしょ?」


「家を出て、縁を切った気になって、それで逃げられたと思うのは浅はかだよ。人の業とは、生きている限りついて回るものなのだから」


 汐見さんはそこで、何かを諦めるように目を細める。……けど俺には、汐見さんが何を言いたいのか、いまいち理解できない。


「…………」


 ただこの人の胸の内には、薄暗い何かが渦巻いている。そしてきっとその中心には、俺がいる。こうやって話していると、それがよく分かる。……でもここでこれ以上話をしても、彼女の真意は理解できないだろう。



 なら……。



「汐見さん……いや、奈恵。そんなに家に居るのが嫌なんでしたら、うちに来ませんか?」



「………………は?」



 俺の唐突な言葉を聞いて、汐見さんは初めて心底から驚いたと言うように、目を見開く。



 そうしてここから、また運命が動き出す。


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