第8話 違います!
「はぁはぁ」
学校中を走り回って、紗耶ちゃんの姿を探す。……けれどいくら走っても、どこにも紗耶ちゃんの姿はない。だから学校を出て、紗耶ちゃんが行きそうな場所に向かう。
……しかし結局、見つけることはできなかった。
「……俺、紗耶ちゃんのこと何も知らないな」
紗耶ちゃんの行きそうな場所なんて、全く分からない。……というかそもそも、こうやって走り回らなくても、紗耶ちゃんの家で待ち伏せてしていれば、話をすることくらいできただろう。
「いや、そういえばあの空き教室に、紗耶ちゃんの鞄置きっぱなしだったな」
だったら余計なことはせず、あそこで待っていれば紗耶ちゃんは戻ってきていた筈だ。
「何やってんだよ、ほんと」
きっと冷静にものを考えられないほど、莉音の言葉を気にしているのだろう。……理由も分からず他人に優しくて、下心なんて一切見せない。それは一見すれば聖人のようではあるけど、そんな人間が現実にいたら気持ち悪いだけだ。
だからそんな人間は、異常だ。
莉音はそう言った。そして俺も、それは正しいと思う。
「分かってた筈なんだけどな。……って、切れてるな」
走っている最中、どこかでぶつけてしまったのか、手の甲に小さな傷ができていた。
「…………」
気がつくと、ズキズキと痛みが走る。……けれどその程度では、俺の心は動かない。そもそも、監禁されてナイフを向けられても取り乱さなかった俺が、この程度で何かを感じられる訳もない。
「……戻るか」
今から戻れば、空き教室に戻ってきた紗耶ちゃんに、会えるかもしれない。……家で待ち伏せするという選択肢もあるけど、言い合いになるかもしれないから、できれば誰にも見られない場所で話がしたかった。
だから俺は、また走る。
「…………」
気づけば空は、赤く染まり始めていた。
◇
「……居ない、か」
紗耶は少し、期待していた。もしかしたらそこに、未白の姿があるんじゃないかと。けれど空き教室には、誰の姿もありはしなかった。
「はぁ」
紗耶は大きく、息を吐く。するとズキリと、胸が痛んだ。
紗耶はつい先ほどまで、いじめの主犯格である美佐子と、話をしていた。……いやそれは、話をするというほど穏やかなものではなかったが、しかしだからといって嫌がらせをされることもなかった。
この学校では有名人の、未白と莉音。その2人と仲良くしている紗耶に、美佐子も迂闊に手を出すことはできなかったから。
……けれどだからといって、美佐子の人格が変わった訳でも、彼女の中に沈澱している苛立ちが消えた訳でもない。
だから美佐子は、そんな苛立ちをぶつけるようにその言葉を吐き捨てた。
──同情で優しくされてるだけの癖に、いい気になんなよ。
「はぁ」
紗耶はもう一度、大きく息を吐く。
「……あ」
するとその直後。空き教室の扉が開いて、息を切らした未白が姿を現す。
「……ふぅ。ギリギリセーフかな」
未白はそう言って、いつものように軽く笑う。
「久折先輩。どこに行ってたんですか?」
紗耶は内心の不安を隠すように、無理な笑みを浮かべる。
「いや、紗耶ちゃんを探してたんだよ。莉音と喧嘩したって聞いたし、何より俺も……話したいことがあったからね」
「それでそんなに息を切らして、私を……探してくれたんですか?」
「まあ、そうだけど。でも大したことじゃないよ、これくらい」
未白は紗耶を気遣うように、とても優しい笑みを浮かべる。そんな未白の姿を見て、紗耶はもう……我慢できなかった。
「どうして先輩は、私に優しくしてくれるんですか?」
「…………」
その問いに、未白は言葉を返せない。
「どうして、何も言ってくれないんですか! やっぱり先輩は、ただ私に……同情してるだけなんですか! それならもう……!」
優しくしないでください! そんなことをされても、胸が痛くなるだけです!
そう言葉には、できなかった。けれど紗耶の悲痛な表情を見て、未白は何となく紗耶の言いたいことに気がつく。
「紗耶ちゃん。俺は──」
だから未白は、覚悟を決めて口を開く。……けれど紗耶はその言葉を拒絶するように、勢いよく未白に抱きついた。
そして真っ直ぐに未白の目を見て、その言葉を口にした。
「私は先輩が、好きです」
「紗耶ちゃん。それは……」
いきなりの言葉に、未白はまた言葉に詰まる。
「……別に、いいんです。先輩が同情で、私に優しくしてくれるんだとしても。だって初めから、分かってたから。先輩は私のことなんて、好きじゃないって」」
でも、と紗耶は言葉を続ける。
「でも私は、先輩が好きなんです。好きで、好きで、好きで、もう我慢できないくらい……大好きなんです」
紗耶は強く、未白を抱きしめる。そうすると未白の温かさが身体に染み込んでくるようで、紗耶の呼吸が荒くなる。
「人を好きになるのなんて、初めてなんです。だから私、恋のやり方なんて分からない。……自分が間違ってるって、分かってる。でももう、我慢できない。だって私は、先輩が好きだから……!」
それは誰がどう見ても、愛の告白だった。……けれど一度殺された未白には、それが狂気にしか見えない。
「……別に、いいんだけどな」
けれど未白は、どうでもいいことのようにそう呟く。
「────」
その時の未白の瞳はあまりに虚で、興奮した紗耶ですら思わず息を飲む。
「思えばどうしてあの時、君の気持ちを受け入れなかったんだろう……」
未白は過去を覗くように、天井を仰ぎ見る。
未白はずっと、目を逸らしてきた。紗耶に殺されそうになった時、どうして彼女の想いを受け入れなかったのか。そうすれば、殺されることはなかった筈なのに。
未白はそのことからずっと、逃げ続けていた。
だって、そこには……。
「……先輩?」
未白の様子がおかしくて、紗耶は窺うように未白の瞳を覗き込む。
「紗耶ちゃん。俺は君が思ってるような、凄い人間じゃないんだ。言い訳を重ねて逃げ続けてるだけの、ただ卑怯者なんだよ」
失望されたくないと思った。だから未白は、紗耶の想いを受け入れなかった。そして同時に、神様と繋がっている自分が死ぬ筈ないと、そう高を括っていた。
……けれど、そのことに自覚を持っていなかった未白は、死んでも同じことを繰り返した。優しくして、依存させて、自分はダメなんかじゃないと思いたかった。
そんなどうしようもない本心に気がついた未白は、呆れるように息を吐く。
「……ごめん、紗耶ちゃん。君の気持ちには、応えられない。だって俺には、それだけの価値はないから」
「な、何言ってるんですか! 私の気持ちに応えないのは、別に構いません! でも自分を卑下するようなことは、言わないでください!」
「違う。卑下なんて、してない。ようやく自分の本心に、気がついただんだ。俺は紗耶ちゃんを使って、過去の言い訳と小さな自尊心を守っていただけの、つまらない──」
「違います! ……私のせいですか? こんな私が告白してしまったから、先輩はそうやって自分を下げて──」
「そうじゃない。俺はただ──」
「うるさいです! 私の先輩を、否定しないでください! 先輩の……バカッ!」
紗耶は未白から手を離し、またどこかへと駆け出していく。
「…………」
けれど未白はもう、その背中を追いかけることはしなかった。
「……何やってるんだか」
茜に染まった空き教室に、そんな冷めた声がただ響いた。
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