第9話 ずっと……。
「はぁ、はぁ……」
未白と言い合いをして、訳も分からず走り続けて、紗耶はとある廃ビルの屋上にやって来ていた。
「……もう来ないって、決めてたのに」
そこは昔から、紗耶の逃げ場所だった。
小学の時、唯一できた友達と2人でこの場所に探検にきた。解体する金がなくずっと放置されているその廃ビルは、長いあいだ誰も立ち入ることがなく、鍵も壊れていた。
だから探検だと言って、2人で何度も遊び回った。……その友達は1年もしないうちに転校してしまったが、それからもこの場所は紗耶にとって特別な場所だった。
「……いい風」
そう呟いて、空を見上げる。そこから見上げる空はとても綺麗で、家や学校で嫌なことがあった時は、いつもここで空を見上げた。
「…………」
けど紗耶も、理解はしていた。もう子供ではないのだから、勝手にこんな場所に入ってはダメだと。だから中学を卒業した時、もうこの場所には来ないと決めた。
……でも結局、また来てしまった。
だってここにくれば、誰かに傷つけられることはないから。
「……振られちゃったな」
そう呟いて、ぼーっと夜空を見上げる。そうすれば大抵の嫌なことは、忘れることができた。それくらいこの場所から見る夜空は、綺麗だった。
……でも今日は、まだ胸が痛んだ。
未白に、振られた。それは初めから、分かっていたことだ。だって未白の目はいつも優しげだったけど、温かさを感じたことは一度もなかったから。
ちゃんと目を見て話せるようになればなるほど、そんな未白の冷たい心に気づいていった。特に偶に見せる、まるで自分を監視するかのような、怖い目。紗耶はその目が、苦手だった。
「先輩はずっと、私の目を見て話してくれた。でも先輩は……私のことなんて、見てなかった……」
紗耶はずっと前から、そのことに気がついていた。……気がついていて、それでも好きになってしまった。
ちょっと手が触れ合っただけで、ドキドキする。肩に手を置かれただけで、顔が赤くなる。頭を撫でられると、気持ちよくて何も考えられなくなる。
莉音を連れてきた時は、ちょっと嫉妬した。莉音には自分に見せないような笑みを見せていて、胸が痛んだ。……莉音だって優しくしてくれたのに、もう来なければいいのに、なんて思ったりもした。
それくらい紗耶は、ただ未白に恋をしていた。
「……あれ?」
ふと、地面に滴が落ちる。だから一瞬、雨でも降ってきたのかと思い、また空を見上げる。けれど夜空には煌めく星々が広がっていて、雨雲なんてどこにもない。
「…………私、泣いてるんだ」
そう気がつくと、また涙が溢れた。
勢いで、未白に好きだと伝えてしまった。そして未白は、そんな自分の想いに……応えてくれなかった。でもそれは、初めから分かっていたことだ。
……なのに涙が、止まらない。
「……先輩。もう明日からは、来てくれないんだろうな……」
そう思うと、壊れるくらい強く胸が痛んだ。嘘でも偽物でも何だって構わないから、また明日も未白に会いたかった。
だからどうしても、涙が止まらない。
「……馬鹿だ、私。何やってるんだ、私! 好きなんて言わなければ、また先輩は……会いに来てくれたのに……! 私がずっと我慢してれば! 好きだなんて言わなければ! こんなことには……ならなかったのに……!」
紗耶は、思い出す。未白のあの虚な目と、自分を卑下する悲しい言葉を。紗耶は今の今まで、未白のその言葉は嘘なんだと思っていた。でもこの場所に来て……気がついてしまった。
あの時の未白の弱々しい声は、この屋上で弱音を吐いてる自分と、そっくりだと。
「……私はずっと、先輩に理想を押しつけてたんだ。凄い人だ、何でもできる人だって。……そんな風に期待されるのは辛いことだって、知ってた筈なのに……!」
きっと未白は、ずっと辛い思いをしていた。自分が顔を赤くして呑気に恋をしている間、未白はずっと頑張っていた。期待を裏切らないよう、相手の理想であるよう、ずっとずっと無理をしていたんだ。
そう思うと、自分が情けなくて情けなくて……仕方がなかった。
「……こんな私、死んじゃえばいいんだ……」
紗耶はふらふらとした足取りで、フェンスの方へと歩いていく。フェンスは紗耶の胸の辺りまであるが、乗り越えようと思えば──。
「……あ」
けれど乗り越えようとフェンスに触れた直後、音を立ててフェンスが勝手に壊れてしまう。
「神様が、私に死ねって言ってるみたいだ……」
風が吹く。夏を前にした生暖かい風が、紗耶の背中を押すように、強く強く吹きつける。
「……ごめんなさい、先輩」
だから紗耶は、踏み出した。
……満天の、星空へ。
◇
「……何やってんだよ、俺」
自嘲するように、息を吐く。けれど胸の中の苛立ちは、収まるどころか増していく。
「くそっ」
紗耶ちゃんの狂気にさえ気をつけていれば、全て上手くいく。そんな風に、思っていた。紗耶ちゃんが自分のことを好きになると知っていて、彼女が勘違いしてしまうと分かっていて、そんな風に……思っていた。
そうやって現実から、目を逸らし続けてきた。
「……でも、こんな俺を好きになる奴なんて……居るわけないんだよ」
昔から、どこにも居場所がなかった。くだらない風習と、世間体を守ることを第一に考える家で産まれ俺は、産まれた時から1人だった。
オッドアイ。目の色が、左右で違う。
たったそれだけのことで、俺は出来損ないだと言われた。ようやく男が産まれたのに、これではダメだと。
……それでも昔は、信じていた。頑張れば、愛してもらえると。必死になって努力すれば、お父さんとお母さんも俺のことを見てくれると。
テストで100点をとった。誰も俺を、見てくれない。運動会で、1位になった。誰も俺を、見てくれない。何をどれだけ頑張っても、誰も俺を見てくれない。
なら、もっと。もっと。もっと。もっともっともっともっともっともっともっと……!
大した才能もない癖に、ただがむしゃらに頑張って、でも中学生になった時……気づいてしまった。
どんなに頑張っても、意味なんてないと。
家に、養子がやってきた。彼が俺の代わりを、してくれるらしい。お父さんとお母さんは、本当に幸せそうに彼を迎え入れた。
……別に、悲しくはなかった。
ただ身体が動かなくて、頭が真っ白になって、頑張ることが……できなくなった。成績は徐々に、落ちていった。勉強を辞めたのだから、当然だ。それでも誰も、俺を見なかった。そもそも誰も、俺に興味なんてなかった。
こんな世界は、クソだと思った。皆んなみんな死ねばいいと、本気で思った。
だから俺は、神に願って。
そして──。
「……置きっ放しだな、これ」
そこで、ふと気がつく。この前、莉音が紗耶ちゃんに渡したメモ帳。猫みたいなキャラクターが書かれたそれが、空き教室の机の上に置きっぱなしだった。
「……紗耶ちゃんは、莉音に任せよう。その方が絶対に、紗耶ちゃんの為になる。そうすれば……こんな俺を好きだなんて、そんなバカみたいな勘違いを……しないで済む」
大きく息を吐いて、そのメモ帳を手に取る。そして何の気なしに、そのメモ帳を開いみる。紗耶ちゃんには悪いけど、今までの俺の行いの成果を確かめてみたかった。
「……なんだよ、これ」
……けれどそこには、ただ想いが綴られていた。
今日は先輩に、褒めてもらえた。頑張れって言ってくれて、嬉しかった。先輩の言った通りにしたら、授業で当てられた時、ちゃんと答えることができた。先輩はやっぱり、凄い人だ。いつか私も、先輩みたいになりたい。
「…………」
そんな想いが、どこまでも綴られている。どれだけページをめくっても、俺のことしか書かれていない。そこには狂気なんてどこにもなくて、胸が痛くなるような真っ直ぐな想いと、泣きたくなるくらいささやかな愛情が、ただ綴られていた。
そして、最後の1ページ。そこはまだ、空白だった。けれどその前のページに、こう書かれていた。
──明日もまた、先輩に会えたらいいな。
「……くそっ!」
だから俺は、走り出す。
……満天の、星空へ。
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