第3話 ずっとずっと、大好きです。

 6月27日。



「せ〜んぱい」


 そんなとても甘い声と、身体中を覆う柔らかな感触で目を覚ます。


「……っ。あ……」


 口が上手く、回らない。思考が霞む。両手と両足が縄か何かでベッドに繋がれているから、立ち上がることもできない。


「起きましたね? 先輩。じゃあこれは、おはようのチューです」


 俺の上に覆い被さった紗耶ちゃんは、熱い吐息をこぼしてから、俺にまたキスをする。深く長く激しく、頭が真っ白になってもキスは終わらない。


「はぁはぁ。キスって凄く気持ちいいから、いくらでもできちゃいます。……でも今はこれくらいにして、朝ごはんとってきますね?」


 1時間以上キスし続けたあと、紗耶ちゃんは立ち上がって部屋から出て行く。


「…………」


 俺は黙って、その背を見送る。


 端的に言うと、俺は紗耶ちゃんに監禁されていた。手足をベッドに繋がれて、薬か何かのせいで上手く声も出せない。そんな状況が、もう2日も続いている。


 紗耶ちゃんが何を思って、こんなことをするのか。それは未だに、分からない。……けれどこの用意周到さから考えて、かなり前から準備を進めてきたのだろう。



「お待たせしました、先輩。朝ごはん、持ってきましたよ?」


 お盆を持った紗耶ちゃんが、部屋に戻ってくる。……けれど朝ごはんを食べる前に、紗耶ちゃんはまた俺の上に覆い被さる。


「幸せですね。こうやって2人で、くっつくの。……愛し合うって、こんなに幸せなことだったんですね」


 紗耶ちゃんは、笑う。とても無邪気に、ただ笑う。


「あ、先輩。して欲しいことがあったら、何でも言ってくださいね? この唇も、このおっぱいも、この太ももも。もう全部……先輩のものなんです。だから遠慮せず、私に甘えてください」


「さや、ちゃん」


 きっと朝ご飯には、また薬が混ぜられている。だからそれを食べさせられる前に、口を開く。


「何ですか? 先輩。もしかしてまた、チューしたいんですか? ……それとも昨日みたいに、また2人で愛し合いたいんですか? 昨日はあんなにたくさんしたのに、先輩はエッチですね……」


「……ちがう。そうじゃなくて、ききたいんだ。どうして、こんなことをするのか」


「そんなの、決まってるじゃないですか。好きだからです。私は先輩が、大好きなんです。だからこうやって、ずっと2人でいられるよう……準備してきたんです」


「でもこんな生活、長くは……続かない」


 いずれ紗耶ちゃんの両親も、この家に帰ってくる。それに俺と連絡が取れないと分かれば、多少は騒ぎになるだろう。そうなればきっと、この場所を見つけてもらえる筈だ。


「だから、引き返すなら──」



「絶対に、逃しませんよ」



 紗耶ちゃんは瞳孔の開いた目で、そう言い切る。


「そんなこと言って、先輩。他の女のところに、行くつもりなんでしょ? そうやって私を、1人にする気なんだ。……そんなの嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だっ! 先輩は私のことが好きじゃないと、ダメなの!」


 紗耶ちゃんはまた俺に、キスをする。さっきより乱暴に顔中に唾を垂らしながら、ただただ俺を貪る。


「……いいじゃないですか、私で。私、頑張りますよ? 先輩の為なら、何だってします。……だからずっと、ここに居てください」


「でも、紗耶ちゃん。凄く悲しそうな顔、してるよ?」


「……そんな顔、してません。私は……私は本当に、幸せなんです」


 紗耶ちゃんは泣きそうな声でそう言って、強く強く俺を抱きしめる。


「ようやく、夢が叶ったんです。ずっとずっと好きだった先輩を、こうやって抱きしめることができた。何度も何度も妄想したみたいに、先輩とキスすることができた。だから私は、幸せなんです」


「でも、紗耶ちゃん。スカートのポケットに……ナイフ、隠してるでしょ?」



「────」



 それはきっと、言ってはいけないことだったのだろう。俺のその言葉を聞いた瞬間、紗耶ちゃんの瞳から色が抜ける。


「どうして、気がついたんですか?」


「勘かな」


「……そうですか。勘ですか。先輩はやっぱり……凄い人ですね」


 紗耶ちゃんは、呆れたように息を吐く。そしてどうしてか、そのまま俺の耳たぶに噛みつく。……強く強く噛みついて、できた傷口に舌を這わせる。


「痛いよ、紗耶ちゃん」


「でもこうやって舐めてあげれば、その間は痛みを感じずに済みます」


「…………」


 俺は答えを、返さない。


「先輩が私にしたことは、それなんです。先輩は、いじめられてた私を助けてくれた。そして私に、優しくしてくれました。……私は先輩といる時だけ、痛みを感じずに済んだんです」


「……何を、言ってるんだ。紗耶ちゃんはもう、いじめられなくなった筈だろ?」


「そうです。でも私は弱いから、その時の痛みまで……忘れられない。……先輩がそばに居ないと、怖くて怖くて仕方ないんです」


 紗耶ちゃんはもう一度、俺の耳たぶに噛みつく。そしてゆっくりと、立ち上がる。


「このナイフは、保険なんです。もし……ううん。絶対にあり得ないことだけど、先輩が私の想いを受け入れてくれなかったら……。これで先輩を、永遠にするんです。……そうすればもう、胸が痛むこともなくなる」


 カーテンが締め切られた、薄暗い部屋の中。紗耶ちゃんの瞳だけが、妖しく光る。


「私は先輩が、好きです。何より誰より絶対に、先輩だけを愛してます」


 紗耶ちゃんはポケットから、ナイフを取り出す。それはキャンプで使うような、とても小さなものだ。……けれどそんな小さなナイフでも、人を……殺せてしまう。


「先輩。好きって、言ってください。私を好きだって、ちゃんと言葉にしてください。昨日はあんなに愛し合ったんだから、先輩はもう私のことが好きな筈です。だから言ってください。私が好きだって。そうすればこれは、使わなくて済みます」


「…………」


 俺は少し、頭を悩ませる。……いや本当は、考えるまでもないことだ。俺の気持ちがどうであれ、今は紗耶ちゃんの想いを受け入れる。そうやって時間を稼げば、いつか誰かが助けに来てくれる筈だ。







 ……そう分かっているのに、どうしてか俺はそんな言葉を口にしていた。




「ごめん、紗耶ちゃん。俺は君の気持ちには、応えられない」




「……そうですか」



 きっと俺はどこかで、自分は特別なんだって思っていた。だからこうやって、紗耶ちゃんを拒絶した。



 俺は特別だから、きっと誰かが助けてくれる。俺は特別だから、この状況から抜け出すことができる。



 そんな風に勘違いしていたから、こんなことになってしまったのだろう。



「────」



 ナイフが身体に、突き刺さる。それは真っ直ぐに心臓に穴を空けて、赤い血が溢れ出す。



 痛みや、恐怖や、後悔。そんな感情が、頭の中を駆け巡る。……けれどもう、全てが遅い。



「……先輩が、悪いんです」



 最後にそんな言葉が聴こえて、俺の意識は冷たい闇へと消えていく。




 そうして今日、6月27日。俺──久折 未白は、当たり前のようにこの世を去った。


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