第21話 どうして……。
「ふふっ。いい夜だね、兄さん」
背後から、そんな声が響いた。
「…………」
けれど俺は、目の前の景色から目を逸らすことができない。
赤。赤。赤。クロが真っ赤な血を撒き散らして、死んでいる。昨日まで……今日の朝までは、いつも通り元気に笑っていたのに、今はもう……どこが顔かも分からない。
「なんなんだよ、これ……」
クロ。俺はお前に感謝してて、お前が居てくれたから、こうして普通の日常を送ることができた。なのにどうして、こうなった? 前回も前々回の時もこんなことにはならなかったのに、どうしてクロが死ななければならない?
「答えろっ! あさひ……!」
そう叫び、あさひの胸ぐらを掴む。実の妹だとか、大切な家族だとか、そんな感情は頭から消えていた。ただ真っ赤な怒りだけが、俺の身体を突き動かす。
「──誰に掴みかかっておる。離せよ、小僧」
あさひの口から、普段のあさひとは全く違う声が響いた。それで俺は、気がつく。……今のこいつは、あさひじゃない。
「お前、シロか?」
俺とあさひが無茶なことを願ったせいで、あさひと同一存在になってしまった神──シロ。そいつが今、あさひの身体を操っている。
「…………」
いや、そんなことはどうでもいい。そんなことより、こいつがクロを……殺したのか。
「半端な目で睨むなよ、ガキが」
そんな声が響いて、唐突に腹に痛みが走る。
「かはっ」
殴られたのか、蹴られたのか。それすら分からない。気がついたら腹に痛みが走っていて、思わずその場にうずくまる。……この人並外れた身体能力は、どう考えても人間のものではない。
「妾は白き夜を統べる神。貴様らがシロと呼ぶ神の残滓だ。崇め奉れよ、小僧」
「……う、うるせぇよ。あさひはどうした? お前がクロを、殺したのか?」
「……貴様は相変わらず、礼儀を知らんな。そこの堕落した神なら赦したかもしれんが、妾はそう甘くはないぞ?」
思い切り、頭を踏まれる。……しかし今は、そんなことどうでもいい。
「いいから答えろ、シロ。……じゃないとお前を、殺すぞ」
俺の頭を踏みにじる足を掴んで、振り払う。そしてゆっくりと立ち上がり、今度は本気でシロを睨む。
「……そうか。そういえば貴様は、忌々しいことにそこの神と繋がっているのだったな。しかしその程度で、妾とやり合うつもりか? 小僧」
「黙れ。お前がクロを殺したんだったら、俺はお前を赦さない」
「はっ。吠えるなよ、小僧。貴様ごときに……ちっ」
シロはそこでどうしてか頭を押さえて、軽く息を吐く。
「あさひの奴が、貴様を殺したら赦さないと大声で喚きよる。……故に業腹だが、今は見逃してやるよ、小僧」
「知るか。俺はお前を見逃すつもりなんてない。いいから答えろ、シロ。どうして、クロを殺した?」
俺の言葉を聞いて、シロは白くて長い髪をかき上げる。そして真っ赤に染まった魔的な瞳で、真っ直ぐに俺を睨む。
「つまらないことを聞くなよ、小僧。貴様たちが願ったからに、決まっておろう。……よもや、忘れたわけではあるまい? 貴様とあさひが、何を願ったのか」
「……あれはもう、終わったことだ」
「終わってなど、おらぬよ。妾は元よりそこの神も、終わったなどとは思っておらん。故に今宵、あの夜の続きをしたまでだ」
「…………」
中学2年の時。俺は神に願った。全てを壊してくれと。神が実在することを知っていながら、俺はそう願ってしまった。
そしてクロが、全てを壊した。
俺が大好きで大嫌いだった久折の家を、親戚縁者まとめて皆殺しにしてくれた。
残ったのは、俺とあさひだけ。
俺はその状況に、満足した。自分の家族が呆気なく殺されていく様を見て、俺はただ満足した。そして最後。俺自身も殺されて、それで終わりになる筈だった。
……けれどあさひが、願ってしまった。
兄さんを助けて、と。
それで現れたのが、もう一柱の神、シロ。彼女は俺を助ける為にクロを止めようとして、クロはそんなシロを障害だとみなし殺そうとした。
けれど神の力は拮抗していて、どちらの願いも叶えることができなかった。だから二柱の神はどちらも疲弊して、そして追い討ちをかけるように、俺がまた別のことを願って、二柱の神の争いは終わった。
結果、あさひは神と1つになり、俺はクロに取り憑かれた。そして死んだ筈の久折の人間は蘇り、騒ぎは全てなかったことになった。
……その、筈だ。
「思い出しているようだな、小僧。元は全て、貴様が招いたことだと」
「……でも、前回のループの時はこんなことにはならなかった」
「それは、貴様が前回とは別の行動をとったからだ。今回の妾は前回の妾より力が増し、逆にそこの神は力をなくすことになった。故に均衡が崩れ、妾がこいつを殺すに至った」
「どうしてクロの力が、弱まったりするんだ。いや、まさか俺が何度もループしたから……」
俺がループできたのも、元はクロの力だ。だから俺がループすればするほど、クロが弱るのは──。
「馬鹿か、貴様は。そんな訳がなかろう。貴様が千回繰り返そうが、そこの神が弱ることなぞありえん。……どうやら貴様は、何も聞かされていないようだな」
「どういう意味だよ、それ」
「自分で考えろ、それくらい。……はっ、それかもしくは、死んでみればいいのではないか? そうすればまた繰り返し、生きたそいつと会えるかもしれんぞ?」
シロは、笑う。その笑みは、真っ黒な嗜虐に満ちている。俺が困惑し苦しむ様を、こいつはただただ楽しんでいる。
「…………」
でも俺には、こいつをどうすることもできない。さっきは殺すなんて言っだが、今の俺の力では呆気なく殺されてしまうだけだ。
……なら、どうする?
クロが死んでしまった今、俺が死んでもタイムリープできるとは限らない。……そもそも繰り返して、どうにかなることなのか?
紗耶ちゃんの想いも莉音の想いも踏みにじって、俺に一体なにができる?
「兄さん」
ふとそんな声が響いて、柔らかな身体に抱きしめられる。
「……あさひ、なのか?」
「うん。そうだよ。今のわたしは、あさひ。シロがあんまり兄さんを虐めるから、代わってやったの。……それより、ごめんね? 兄さん。本当はこんな無茶苦茶なことするつもりじゃなかったのに、シロの馬鹿が聞かなくて」
「いや、お前は──」
「本当はね、兄さん」
あさひは俺の言葉を遮って、心底から楽しそうに言葉を続ける。
「わたしはね、兄さんにはもっともっと何度も繰り返してもらうつもりだったの。それであたしの大切さを、知ってもらおうと思ってたの。どんな女と一緒になっても、結局は辛いだけだ。やっぱり俺が一番好きなのは、あさひなんだって。そう思って欲しかったから」
「…………」
言葉が、ない。
「でもシロったら、今なら殺せるなんて勝手なこと言って、わたしの身体を乗っ取って勝手にそこの虫けら……ううん。神を殺しちゃったの。……まあわたしも、スカッとしたんだけどね。だってこいつ、兄さんに自分の汚い脚を揉ませて笑ってた、最低の奴だからね」
……ああ、そうだった。あさひはこういう奴だった。だから俺はこいつを置いて、家を出たんだ。あさひは昔から、俺しか見ていない。俺以外の存在を、虫けらとしか思っていないんだ。
「……悪い、あさひ。少し1人にしてくれ」
「あ、兄さん!」
あさひを振り払って、家を出る。そして当てもなく、ただ走る。
気づけば、大粒の涙が溢れていた。しかしそんなことは、どうでもいい。……ただ、もう二度とクロに会えないという現実が、胸に痛かった。
「……くそっ」
当てもなく走り続けて、どうしてか前回のループで俺と紗耶ちゃんが突き落とされた、廃ビルの屋上にやって来ていた。
「…………」
屋上のフェンスに、触れてみる。けれどそれは、前回の時のように壊れたりしない。……でも乗り越えようと思えば簡単で、飛び降りようと思えば簡単に……飛び降りることができる。
「…………」
でも飛び降りて、どうなる? 今ここで飛び降りて、またループできる保証なんてどこにもない。それに莉音とだって、恋人になったばかりだ。
「……くそっ。くそっ!」
どうすることもできず、フェンスを蹴り飛ばす。けれどそれでもフェンスは壊れず、苛立ちと哀しみだけが胸に積もる。
「……クロ」
もう一度、クロに会いたかった。脚なんていくらでも揉んでやるから、またあいつの笑顔が見たかった。あいつには色々と苦労させられたけど、それ以上に俺はあいつが好きだった。
「…………」
ここから飛び降りれば、もう一度クロに会える。そう思いたい。……けどそれは、ただの願望だ。クロが死んだ以上、もう繰り返せないと考えるべきだ。
……だからそれは、単なる悪意だったのだろう。
「……え?」
背中から、ナイフで胸を刺された。
「どう、して……」
けれど今回は、ちゃんと振り返りその顔を確認した。だから次があるとするなら、絶対にこんな結末にはさせない。
「ふはっ。あはははははははははははははっ!」
彼女の高笑いを聞きながら、そう心に決めた。
そうして今日、6月9日。俺──久折 未白は、当たり前のようにこの世を去った。
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