第35話 開けてください。

 5月24日。



「……朝、か」


 いつもと同じ時間。いつもと同じベッド。いつもと同じように、目を覚ます。……これだけ繰り返せば、部屋に広がる空気だけで、今日が何月何日なのか分かってしまう。


「クロと、話をしないと」


 今回はやけに、頭が澄んでいる。いつもは状況を把握するのにもう少し時間がかかるのに、今日は不思議と意識がはっきりとしている。


 クロが紗耶ちゃんを……殺していた。そんな現実を認めたくない俺は、クロに殺してもらいこの朝に戻ってきた。……それでもまだ俺は俺としての意識を保てているから、クロと完全に同化したわけではないのだろう。


「入るぞ、クロ」


 そう言って、クロの部屋に入る。……けどクロは、まだ眠っていた。


「……こうしてると、普通の女の子にしか見えないよな」


 布団を抱きしめて丸くなって眠っているクロは、どこからどう見てもただの女の子にしか見えない。こんな女の子が1人の人間を血溜まりに変えただなんて、誰も信じはしないだろう。


「…………」


 クロのベッドに腰掛けて、優しくクロの頭を撫でる。するとちょうど、クロの目が開いた。


「おはよう、クロ」


「……おはよう、未白」


 クロはまだ眠たそうにまぶたを擦って、大きく伸びをする。


「あ」


 そしてそこでようやく思い出したのか、クロの目が大きく見開く。


「……すまん、未白。呑気に寝ている場合ではなかった」


「別にいいよ。俺とお前は、こうして別々に生きられてる。だからまだ、一体化したってわけじゃない」


「だが我は、あの娘を……」


 クロは後悔するように、布団をぎゅっと握りしめる。


「分かってる。お前が悪意であんなことする奴じゃないって、俺はちゃんと知ってる。だからどうしてお前が、紗耶ちゃんを殺したのか。その理由を、説明してくれるか?」


「ああ。無論だ」


 そう答えて、クロは真面目な表情で俺を見る。そしてそのままゆっくりと、あの夜に何があったのかを話しだす。


「あの夜。急にあの娘が、うちを訪ねて来たのだ。……先輩に会わせろと、血走った目で叫びながら」


 クロはそこで、小さく息を吐く。


「一目で、正気ではないと思った。それほどまでにあの娘の瞳は、真っ黒な狂気で染まっていた」


「でもお前なら、紗耶ちゃん……人間を止めることなんて、簡単だろ? わざわざあんな風に殺す必要なんて、なかった筈だ」


 紗耶ちゃんがどれほどの狂気を持っていたとしても、クロからしてみれば大した脅威ではない。例え紗耶ちゃんがナイフや拳銃を持っていたとしても、クロなら指一本で止めることができるだろう。


 そんなクロが、わざわざあんな風に紗耶ちゃんを殺した。そこには何か、理由がある筈だ。



「……赤く、染まったのだ」



 クロは苦虫を噛み潰したような顔で、そう言った。


「あの娘は立ちはだかる我を殺してでも、この家に踏み入ろうとした。あの娘はそこまでしてでも、未白を殺そうとしていた。……そして、そんなどうしようもない狂気が、我にも……伝播した」


「……そんなことが、あり得るのか?」


「あり得たのだ。あの娘の声を聞いていると、視界が徐々に赤く染まっていき、気づけば我はあの娘を……」


 クロが、俺の手を握る。その手はとても、冷たかった。


「別に俺は、お前を責めたりしない。……大丈夫だよ、クロ」


 空いている手で、クロの頭を優しく撫でてやる。


「未白は相変わらず、優しいな」


「……別にこれくらい、普通だよ」


「でもあの娘は……いや、いい。お前が普通だと言うなら、そうなのだろう」


 それからしばらく、クロの頭を撫で続けてやる。するとクロの身体から徐々に力が抜けていき、クロはそのまま眠ってしまった。


「疲れてる……って、わけじゃないよな」


 そもそもクロは、神だ。そんなクロが疲れて眠ってしまうなんてことは、本来あり得ないことだ。なのにクロは、こんな風に眠ってしまった。それはきっと、それだけと俺と……。


「……今はそれより、これからのことだな」


 前回の何がダメで、紗耶ちゃんがあんな風になってしまったのか。そして他の子たちの問題を解決するには、何をしなければならないのか。



 クロの寝顔を眺めながら、それを少し考える。



 前回のループで、莉音の抱えている問題の本質に気がついた。彼女の抱える孤独は俺に起因するもので、だから俺が側にいればその孤独は簡単に癒される。


「でも俺は、莉音を愛することはできない」


 なら莉音とは、また新しい関係を築かなければならないだろう。そして、紗耶ちゃん。彼女はクロでさえどうにかしてしまうほどの、狂気を抱えている。そんな彼女から距離をとるのは、どう考えても悪手だろう。なら紗耶ちゃんともまた、新しい関係を……。


「新しい関係を築く、か」


 確か前回も、そんなことを言っていた。けど結局、そんな関係を築く前に死ぬことになってしまった。……油断していたつもりはないが、それでもまだ認識が甘かったのだろう。


「ごめんな、クロ。俺のせいで辛い思いをさせて」


 もう一度、クロの頭を撫でてやる。そしてそのまま部屋を出て、台所に向かう。クロには色々と頑張ってもらったから、今のうちにいつもの豚バラでも焼いておいてやろう。



 そんなことを考えながら、冷蔵庫を開ける。



「……いやでも、今はもう少し寝かせておいてやるか」


 けど結局そう考え直し、冷蔵庫を閉じて自室に向かう。そしてまた、今後のことを考える。


 今日も放課後。いつものように、紗耶ちゃんを助けなければならない。なら今回は、どんな方法で助けよう? 前回のようにクロの力を借りるか、それとも俺1人の力でどうにかするか。




 そうやって頭を悩ませていると、ふと……チャイムが鳴った。



「……え?」



 こんな時間に誰かが訪ねて来たことなんて、今まで一度もない。なのに当たり前のようにチャイムが鳴って、そして……



 その声が響いた。



「開けてください、先輩。先輩の大好きな、私が会いに来ましたよ」



 そんな声とともに、何度も何度もチャイムの音が鳴り響く。



「……どうなってんだよ」



 俺はそんなあまりの事態に頭が真っ白になって、一歩も動くことができなかった。


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