第30話 どうだ!
夕暮れの廊下をクロと一緒に歩いていると、いつもの声が聴こえてくる。
「お前さ、あんま調子乗んなよ?」
「お前ぼっちで暇なんだから、課題くらいやってくれてもいいんじゃん」
「そうそう。山本のやつガチでうるせーから、あんたが代わりにやっといてよ。うちらこれから、合コンだから」
「……え? なんだって。ちゃんと目を見て話せよ、ぼっちちゃん」
「あはっ。こいつ泣いてんじゃん。子供じゃないんだから。マジウケる」
ぎゃはははっ、と品のない笑い声が響く。それはもう何度も聴いた、紗耶ちゃんをいじめている少女たちの笑い声。
「行くぞ? クロ」
「了解だ、未白」
隣にいるクロと頷き合って、教室のドアを開ける。
「こんにちは。随分と──」
「随分とつまらぬ真似をしておるな! 小娘ども!」
俺の言葉を遮るようにそう叫んだクロは、凄い勢いで紗耶ちゃんをいじめていた少女たちの方に駆け寄る。
「な、なんだよ? お前……」
そんなクロの異様な雰囲気に気圧されて、3人は驚いた顔で後ずさる。
「……大丈夫? 君」
俺はそんなクロを尻目に、うずくまっている紗耶ちゃんに手を伸ばす。
「は、はい。……その、あ、ありがとう……ございます……」
紗耶ちゃんはおずおずといった感じで、俺の手を握って立ち上がる。
あれからクロと話し合って、俺とクロとで役割分担をすることにした。……そもそもクロがいくら制服を着たからといって、学校に通って授業を受けるわけにもいかない。
だからクロが学校で活動できるのは、基本的に放課後だけ。……しかしそれでも、クロにしかできないことは沢山ある。
例えば、あれだ。
「誰なんだよ、お前! 関係ない癖に、しゃしゃり出てんじゃねーよ!」
どこか芝居がかったクロの態度に痺れを切らしたのか、1人の少女がクロに掴みかかろうとする。……けど残念ながら、人間程度に遅れをとるクロではない。
「よっと」
掴みかかってきた少女を軽くかわしたクロは、どうしてかそのまま小さなチョークを手に取る。
「動くなよ? 小娘」
そしてクロは、そのチョークを少女に向かって投げた。
「……は?」
クロが投げたチョークは、少女の頬をかすめて壁に当たって消し飛んだ。だからこの場には耳をつんざく破裂音が響いて、誰も動くことが出来なくなる。
「かなり加減したのだが、存外に脆いな? このチョークとかいうものは」
クロは当たり前のように、笑う。
「これで力の差は分かったであろう? 小娘ども。今回は未白の手前見逃してやるが、次同じことをすれば容赦はしない。……分かったか?」
クロの赤い瞳が、鈍く光る。
「ひっ……!」
その圧倒的な威圧感を前に、少女たちは動くこともできない。
「我はいつでも、お前たちのことを見ている。故、これからは清く正しく生きるがよい」
クロはそれだけ言って、美佐子さんたちから視線をそらす。すると彼女たちは金縛りから解けたように、一目散にこの場から立ち去る。
「流石は、神様だな」
ここまですれば、彼女たちが美佐子さんをいじめることもないだろう。クロという共通の恐怖を前にした彼女たちは、しばらくは大人しくなる筈だ。
「…………」
そして同じく紗耶ちゃんも、クロの力を知ってしまった。人ならざるクロの力を知ってしまった紗耶ちゃんもまた、俺を殺そうとは思えない筈だ。
「終わったぞ? 未白」
にこっと可愛らしく笑ったクロは、褒めてもらいたい犬のように、早足にこちらに近づいてくる。
「お疲れ。いい感じだったぞ? クロ」
「であろう? まあ我的には、もう少し派手にやってもよかったのだがな」
「いいんだよ、あれで。あんまり派手にやると、それはそれで問題になる」
無論、これで美佐子さんの問題が解決したわけではない。なんせ前回の美佐子さんは、これから1ヶ月もせず自殺してしまった。いくらいじめられたからといって、それは少し早すぎる。
だから彼女は、きっと他にも何か問題を抱えているのだろう。……俺が解決しなければならないのは、多分そっちだ。
「あ、あの……その、ありがとうございました!」
近づいて来たクロに向かって、紗耶ちゃんは勢いよく頭を下げる。
「よい。……しかし小娘。お前はもう少し、しゃんとするがよい。でなければまた、いじめられることになるぞ?」
「は、はい! その……頑張ります!」
紗耶ちゃんはぺこりと、また頭を下げる。
「…………」
そして何かを確かめるように、俺の方に視線を向ける。
「どうかした?」
「い、いえ、その……なんでも、ないです」
「そ。なら、いいけど」
いつもの俺なら、ここで『会話の練習に付き合おうか?』みたいなことを言っていた。……けれど今回は、それを口にしない。
だってそれじゃあ、今までと変わらない。
放課後。紗耶ちゃんと一緒に、会話の練習をする。その関係はとても気に入っていたけど、それだと莉音や汐見さんの方まで気が回らなくなる。
特に汐見さんとは、接点が少ない。前回のように同居するなら話は別だが、普通にしていれば彼女と顔を合わせる機会なんて滅多にない。
それにそもそも今回は、紗耶ちゃんとも皆んなとも今までとは違う関係を築くつもりだ。
それが正しいことかどうかなんて、俺には分からない。……けど、今までにない結末を求めるなら、今までにないことをしなければならない。
「……おっと、そういえば自己紹介がまだだったね。俺は、久折 未白」
「我は、クロだ」
俺とクロは、そう言って笑ってみせる。
「…………」
けれど紗耶ちゃんは返事を返さず、ただ真っ直ぐに俺の瞳を見つめてくる。
「あれ? どうかしたの?」
「……その、目が赤く……」
紗耶ちゃんはそう言って、怖がるように視線をそらす。そんな態度は今までなかったことで、俺は少し困惑する。
「……いや、ごめん。怖がらせちゃったかな? 俺は生まれつきオッドアイで、片方の目が──」
「おい、娘。お前、未白の目を馬鹿にするのは我が許さんぞ」
クロは先程とは比べものにならないくらい冷たい目で、紗耶ちゃんを睨む。
「辞めろ、クロ。さや……彼女をあまり、怖がらせるな」
「だが……」
「だがじゃなくて。……分かってるだろ?」
「……そうであったな。悪いな、娘。脅かすようなことを言って」
クロはそう言って、軽く頭を下げる。
「い、いえ! わ、私の方こそ、急に変なこと言ってごめんなさい! ……その、色々と、ありがとうございました! それじゃ私、これで失礼します!」
「あ、ちょっ──」
引き止める間もなく、紗耶ちゃんはそのまま走り去ってしまう。
「……行っちゃった」
「そのようだな」
「そのようだなって、お前のせいだろ? 紗耶ちゃんは怖がりだから、あんまり刺激しちゃ駄目だって言っておいた筈だろ?」
「……知らん。我は悪くない」
クロはプイッと、視線を逸らしてしまう。どうやら初めて制服を着て、少しはしゃぎ過ぎてしまったらしい。
「…………」
どうしてか分からないが、自分のことのようにクロの考えが分かった。
「まあ、今更言っても仕方ない。どのみち今回は、ここで紗耶ちゃんと仲良くなるつもりはなかった」
「……すまんな」
「いいよ。それより明日は、汐見さんだ。そっちでもお前の力を頼ることになるから、よろしく頼むぜ?」
「任せろ!」
クロは元気いっぱいに、笑う。その笑みを見ていると、こっちまで笑顔になる。
「……って、なんか落ちてる」
紗耶ちゃんがうずくまっていた場所に、何かが落ちているのを見つける。
「……どうして、これが……」
それは、ありふれたメモ帳だった。可愛いキャラクターが描かれた、どこにでも売ってそうな普通のメモ帳。……でもそれは、いつかのループの時に莉音が紗耶ちゃんにプレゼントしたのと、全く同じメモ帳だった。
そうして色んな想定外を孕みながら、事態は前に進む。
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