第27話 それだけなんだよ。
クロと汐見さんを連れて、あさひの部屋の前までやって来た。
「…………」
「…………」
クロと汐見さんは、かなり不機嫌だ。……まあ、クロとあさひは犬猿の仲だし、汐見さんとはさっき言い合いしたばかりだ。だから2人が不機嫌なのは、別にいい。
……いや、汐見さんの態度は少し不自然か。
だって汐見さんは、まるであの場で俺に殺されたかったとでも言うように、ずっとつまらなそうな顔をしている。汐見さんの目的が俺の苦しむ姿を見たいというだけなら、ここで不機嫌になる理由なんてない筈だ。
……だって今のあさひと会話するのは、俺にとって何にも増して辛いことなのだから。
でも今は、汐見さんよりあさひだ。あさひがどれだけ恐ろしい性格をしているとしても、このループの原因が彼女なら一度話をしなければならない。
それで彼女を怒らせることになったとしても、逃げてるだけじゃ何も変わらない。
「……行くか」
だからそう呟き、あさひの部屋のチャイムを鳴らす。
「……留守か?」
けれどいくら待っても、誰かが出てくる気配はない。
「なぁ、クロ。中にあさひが居るか、分かるか?」
「……前にも言ったであろう? 我はその手の感覚が、鈍いのだ。だから中でよほど変なことでもしてない限り、感知はできん」
「悪い。そうだったな」
軽くクロに謝って、腕時計で時刻を確認する。今はもう、夜の10時過ぎ。普通の女の子がこんな時間に1人で出歩くのは、危ないのだろう。
けどあさひに、そんな常識は通用しない。だってこの世のどこにも、あさひに危害を加えられる人間なんていないのだから。
「って、開いてる……」
何気なく触れた玄関のドアノブが、回った。そしてその瞬間、背筋にぞくりと悪寒が走る。
「……っ!」
それこそまるでクロが死んでいた時と同じように、恐怖に身体がぶるりと震える。
「……中の様子を見てくる。2人は……いや、クロ。お前は、ついて来てくれるか?」
「構わんが、明日はいい肉をたらふく食わせろよ?」
「ああ。約束する」
玄関を開けて、中に踏み入る。
するとその瞬間、声が響いた。
「わっ!」
「──!」
何が起きたのか、理解できなかった。けど、俺が呆けている間に玄関の明かりがついて、楽しそうに笑う少女と目が合う。
「あはははははは! 兄さん。凄く驚いた顔してる! あははははははは!」
その少女──あさひは、本当に楽しそうに笑う。
「お前は、ほんとに……」
俺があさひの所に行くと決めたのは、ついさっきのことだ。なのにあさひは、俺が来ることなんて分かっていたと言うように、悪戯を仕掛けて楽しそうに笑っている。
……相変わらずこいつは、底が知れない。
「……あさひ。ちょっとお前と話したいことがあるんだけど、時間いいか?」
でも今更あさひを恐れても、意味はない。だから余計な思考を振り払い、そう告げる。
「もちろん構わないよ、兄さん。……まあ、奈恵さんはともかくそっちの変態が一緒なのは、嫌だけどね」
あさひはそう言って、冷たい目でクロを睨む。
「はっ。随分と偉そうなことをぬかすではないか、小娘。大好きなお兄ちゃんを我に取られて、嫉妬しておるのか?」
「馬鹿じゃないの。兄さんはずっと、わたしのものよ。ずっとずーっと、永遠にわたしだけのものなの。……なのに貴女、勝手に勘違いしていい気になって、恥ずかしい女」
「それはこっちの台詞だ、小娘。自分勝手な感情を押しつけるお前を、未白は嫌っておるのだぞ? そのことに、まだ気がつかんのか。……恥ずかしい女め」
2人は真っ直ぐに、睨み合う。それだけで空間に亀裂が入るくらい、場に緊張が走る。
「……こんな所で言い合いしてどうすんだよ、2人とも。……あさひ。とりあえず中に入れてくれてないか?」
「この変態神も入れなきゃダメ?」
「ああ。駄目だ」
「……分かった。なら、上がりなよ。おもてなしの準備は、済ませてあるからさ」
あさひは、クロと言い合いしていた時の冷たさなんて嘘のように、軽やかに笑って歩き出す。……きっと、またあの部屋に連れて行かれるのだろう。
俺の部屋と瓜二つの作りをした、あの狂った部屋。あれはあまり気分のいいものではないが、そんなことを気にしている場合じゃない。
だから──。
「……あさひ。お前、なに考えてんだよ」
思わず、そんな言葉が溢れる。それくらいその部屋は、見ていて気分のいいものではなかった。
俺の部屋と全く同じだった部屋が、生活感なんてかけらもない牢獄のような部屋に変わっている。とても簡素なベッドと机と椅子が置かれているだけで、他には何もありはしない。
これはもうない筈の、久折の家にいた頃の俺の部屋だ。
「……へぇ。懐かしいね。いい部屋じゃないか、あさひ」
ずっと黙っていた汐見さんが、昔を懐かしむように部屋を見渡す。
「でしょ? この部屋は兄さんとわたしの思い出がたくさん詰まってるから、気に入ってくれると思ったんだ。……ほら、ぼーっとしてないで、兄さんはそこのベッドに座って」
言われるがまま、ベッドに腰掛ける。想定外のことで少し驚いてしまったが、今は部屋の造形なんてどうでもいい。
それよりあさひには、訊かなければならないことがある。
「あさひ。単刀直入に訊くけど、俺がループしてる原因を作ったのは……お前か?」
そんな唐突な俺の問いを聞いて、あさひはまた笑った。
「くふふっ。あはっ、あはははははは!」
……けれどその笑みは今までの笑みとは違い、一種の憐れみが込められていた。まるで神が人の拙い行いを見て呆れるように、あさひはただ笑う。
「ねぇ、兄さん。兄さんはそんなことを訊く為に、わざわざわたしに会いに来てくれたの?」
「そうだけど、それがどうかしたのか?」
「くふっ。可愛い。可愛すぎるよ、兄さん。何の策も考えもなしにわたしの所に来て、真正面から馬鹿正直に疑問を口にする。ふふっ! 兄さんのそういうところが、わたしは──」
「うるせぇよ、あさひ」
あさひの言葉を途中で遮って、俺は言った。
「策を弄して、ぐだぐだ考えて、それでどうなるって言うんだ。お前が何を考えて、何をしようとしているのか。俺にはまったく分からない。けどな、あさひ。あんまり洒落臭い真似すんなよ。俺に言いたいことがあるなら、直接言え。面倒臭いんだよ、お前」
俺のその言葉が意外だったのか、あさひも汐見さんもクロでさえ、驚いたように俺を見る。
……けど、俺からしてみればこんなのは当然だ。
だって俺は、怒ってるんだ。最初に紗耶ちゃんに殺されたのは、俺が悪い。次に誰かに突き落とされたのも、俺の不注意が原因だ。そして前回の汐見さんに刺されたのも、俺がクロから離れたのが原因だ。
だから別に、そのことであさひを責めるつもりなんてない。
……でも、紗耶ちゃんと笑い合った時のあの幸福や、莉音と気持ちが通じ合った時のあの幸せ。それさえもあさひが作ったものだと言うなら、俺はあさひを許さない。
「……あはっ。最高だよ! 兄さん……! 今の兄さんのその目。昔よりずっと、冷たくて綺麗。もっともっと繰り返さないとそうはならないと思ってたのに、よっぽどいい経験をしたんだね? 兄さん」
あさひはまた、笑う。真っ赤な目を楽しげに歪ませて、心底から嬉しそうに、ただ笑う。
「分かった。分かったよ、兄さん。兄さんのその怒りに免じて、1つだけ教えてあげる。……兄さん。わたしはね……」
あさひはそこで一瞬、言葉を止める。
「…………」
カチカチと、秒針の音が響く。ちらりと見たクロと汐見さんは、吸い寄せられるようにあさひの姿を見つめている。
そして俺もまた、黙ってあさひを見つめ続ける。
だからこの場には一瞬の沈黙が広がって、そして不意にあさひの声が響いた。
「──わたしはね、兄さんに神様になって欲しいの。そしたらわたしと兄さんで、ずっとずっと一緒にいられるでしょ?」
その言葉はまるで神のお告げのようにこの場に響いて、だから俺は何の言葉も返すことができなかった。
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