第49話 楽しいね。

 5月29日。



「くふっ。いい景色だね、未白くん」


「ですね」


「分かるよ、未白くん。ボクの方が綺麗だって、そう言いたいんだろ?」


「まあ、汐見さんは綺麗だと思いますよ」


「……君は平気な顔でそんなことを言うから、ずるいんだよね」


 汐見さんはそう言って、赤い顔で息を吐く。


 今日は汐見さんと2人で、海に来ていた。というのも、『この前は紗耶ちゃんとデートしたから、今日はボクの番!』と朝早くに汐見さんに叩き起こされ、そのまま流れでデートすることになった。


 ……まあでも、今日は土曜で学校は休みだし、紗耶ちゃんの面倒は莉音に任せてある。だからデートすることに、特に問題があるわけじゃない。


「でも、どうして海なんです? 確かに最近、暖かくなってきましたけど、海開きにはまだ早いでしょ?」


「だからいいんじゃないか。こんな広い海を、ボクら2人で独占できる。どれだけはしゃいでも、誰にも文句を言われない。最高じゃないか!」


 汐見さんは珍しく子供っぽい顔でそう言って、そのまま砂浜へと駆け出す。


「あんまり走ると、転びますよ?」


「大丈夫だよ。それより、懐かしいとは思わないない? こうやって走り回るの」


「……ですね」


「ふふっ。でも思えば、君とこうやって走り回ったのなんて、数えるほどしかないか。なんせあの頃の君は、遊ぶ暇なんてないくらい必死だったからね」


「……あの頃は、余裕がなかったですからね」


 昔の俺は両親に認められたいという目的以外、何も見えていないつまらない子供だった。そしてあの頃の汐見さんは……。


「でも汐見さんは、あんまり変わってませんね。昔も今も、飄々としていて掴みどころがない感じで」


「失礼だな。ボクだって変わったさ。……ほら、見てくれ。紗耶ちゃんほどじゃないけど、ボクの胸も結構大きくなったんだよ?」


 汐見さんは胸元を強調するように屈んで、胸の谷間を俺に見せつける。……同居するようになってから、できるだけそういうのは意識しないようにしてきた。けどそこまでされると、どうしても視線がそちらにいってしまう。


「ふふっ。未白くんが、ボクの胸を見てる。なんかちょっと、興奮しちゃうよ」


「変態じゃないですか。……って、それよりせっかく海に来たんだし、何かしませんか?」


 誤魔化すようにそう言って、汐見さんから視線を逸らす。


「そうだね。まあでも何の準備もしてきてないから、できる遊びもあんまりないけどね。……って、そうだ。せっかくだから、足だけでも海につけようか? 水のかけ合いっことか、恋人の定番だろ?」


「一昔前の定番だと思いますよ、それ」


「いいじゃないか、何でも。ボクは一度、そういうのをしてみたかったんだよ」


 汐見さんはそう言って、手早く靴と靴下を脱ぐ。汐見さんはいつも、スキニーを履いていることが多い。けど今日は珍しく短いスカートだから、そのままでも濡れる心配はない。


「ま、いっか」


 別に拒絶する理由もないので、俺も靴と靴下を脱いでズボンの裾を捲る。


「未白くんも早くおいでよ、冷たくて気持ちいいよ?」


 汐見さんは白くて長い脚で、バシャバシャと海を踏みしめる。その姿はやっぱり子供っぽくて、肩から少し力が抜ける。



『兄さんはまだ奈恵さんのことを全く理解してないのに、そんなに簡単に信用してもいいの?』



 そんなあさひの言葉が、ずっと引っかかっていた。けど今は、そこまで警戒する必要はないだろう。


「……ん? ぼーっとして、どうかしたの? 未白くん。……って、そうか。ボクの美脚に見惚れてたんだね? ……未白くんのエッチ」


「どうして、そうなるんですか。というか、さっきはあんなに大胆に谷間を見せてきたのに、脚を見られるのは恥ずかしいんですか?」


「見せるのと見られるのは、違うんだよ。まあ、未白くんになら見られるのも悪くないけどね」


 汐見さんは妖艶な表情で笑って、脚を見せつけるようにスカートをたくし上げる。


「あんまり上げると、パンツ見えちゃいますよ?」


「大丈夫。こんなこともあろうかと、中に見せてもいいやつ履いてきてるから」


「準備万端ですね」


「まあね。この日の為に色っぽいパンツ買っておいたから、好きなだけ見てくれ、未白くん」


「……準備の仕方、間違えてますよ」


 そんな風にしばらく2人で、そのままはしゃぎ合う。


「ふふっ。偶にはこうやって童心に戻ってはしゃぐのも、楽しいものだろう?」


 足元を水を蹴り上げながら、汐見さんは笑う。


「ですね。最近は色々あったんで、こうやって遊ぶと肩から力が抜けます」


「……未白くんは、ちょっと1人で頑張り過ぎだよ。もう少し、ボクを頼ってくれてもいいんだよ? なんせボクは紗耶ちゃんやクロ様のことも含めて、君の事情を知ってる唯一の女の子なんだから」


「……じゃあこれからは、もう少し頼ってみます」


「くふっ。その言葉、忘れないからね?」


 含みのある顔で笑って、汐見さんは大きく伸びをする。


「さて、ちょっと休憩にしようか。流石のボクも、はしゃぎ過ぎて少し疲れてしまったよ」


「じゃあ俺、そこの自販機で何か買ってきますよ。汐見さんは、何がいいですか?」


「君と同じものでいいよ」


 そんな汐見さんの言葉を背中で聞いて、そのまま自販機の方へと歩き出す。……けど汐見さんは、そこでバシャっと水を蹴ってから、思い出したように言った。


「そうだ。戻ってきたら、ジュース代のかわりにボクの美脚を揉ませてあげるよ。クロ様がずっと眠ったままで脚を揉めてないから、君も欲求不満だろ?」


 その言葉は、いつもの汐見さんの冗談だ。一瞬、そう思ってしまった。


「…………」


 けどそこに気がつかないほど、俺は間抜けではなかった。


「あれ? どうかしたのかい? 未白くん」


「……いや、汐見さん。どうして汐見さんが、俺がクロに脚を揉まされてることを、知ってるんですか?」


 確かに俺はいつも、クロに脚を揉まされていた。けれどそれは、あのマンションに引っ越してからだ。そして今回のループでは、クロは早々に眠ってしまったから、脚なんて揉む暇はなかった。



 なのにどうして、汐見さんがそのことを知っている?



「……もしかして、汐見さん。貴女、前のループのこと覚えてるんですか?」


 いつかのループの時も、今回と同じように汐見さんと同居した。そしてその時なら、俺がクロの脚を揉んでいる姿を見られていた筈だ。


「……ふふっ。どうやら、墓穴を掘ってしまったようだね」


 俺のその問いを聞いても、汐見さんは少しも取り乱した様子はない。寧ろ彼女は、さっきよりもずっと楽しそうに笑っている。



「覚えているよ。全てではないけど、ボクも覚えているんだよ。だってボクも紗耶ちゃんと同じように、もうすぐ……」



 ざーざーと、波の音が響く。遠くから車のクラクションが響いて、鳥の鳴き声が聴こえてくる。……そして、そんな雑音に紛れるようにとても小さな声で、汐見さんはその言葉を口にした。



「──神になるんだよ」



 冷たい潮風が、俺と汐見さんの頬を撫でる。けれど俺たちは視線を逸らさず、ただ真っ直ぐに互いの瞳を見つめ続けた。


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