従者の説教、果たせるか 最終回

 城下町の西区にある一画である。飲食店が立ち並び、日付が変わって夜明け近くまで賑わう繁華街だ。

 庶民的な商家と小料理店が続く道をこの場に似合わぬ身分の二人が通るが、薄暗がりの夜道では適度に酔っ払った者たちに気づかれることもない。軽装でしかも慣れた様子のためなおのことである。

 二人の足が止まったのは、赤い馬の木彫りがかかった料理屋であった。笑声が聞こえ繁盛しているのがやや離れた位置からでも分かる人気店だ。二人連れのうち前を歩いていた方がくすんだ緑の木扉を開けると、すぐに店の奥から威勢の良い呼び声がかかる。

「おやお久しぶりですな殿下。どうしました」

「こんばんは。相変わらず賑わっていますが二人分の席は。なければ立ちで構いませんが」

 すると主人は王子の後ろに立つ人物を認めて目を見開く。

「これは珍客だな! プラエフェットの倅がこの時間に殿下と一緒とは!」

 その一言が響いた途端、店のあちらこちらが一斉にやかましくなった。

「プラエフェットだと?」

「あっ殿下」

「団長いるぜ、おい」

「誰だよ呼んだの」

「えっ。怒られんの?」

「馬鹿聞こえる」

 聞こえてくる声の出所をざっと見渡し、従者はなんだこの状況は、と問いたげに主人を見るが、王子はそれを無視して主人に示された卓へ近づいていった。見ると卓には既に先客があり、驚き露わにこちらを凝視している。客は王子が卓へ着く直前に立ちあがろうとしたが、制されてそのまま盃を手に固まった。

 王子が腰をかけると、客は王子の方へやや身を近づけ声を顰める。

「殿下、なんで団長がいらしてるんです」

「副団長、休息中に失礼。例の件だが、私から説明するのはどうかと思って」

「あの件、お話になったんですか」

「いや、まだだ。明日の議題案のおかげで早々に知りたがっているらしく。私が話すより直に伝えてもらったほうが良いかと」

 淡々と質問に返している王子と慌てているもう一人の客の周りでは、見知った面々が緊張露わに二人の様子を窺いつつひそひそと互いに言い合っている。

 店をほぼ占拠していたのは衛士団や自警団の団員であり、主人と話している客は衛士団の副団長だ。それらの顔が全て自分と王子を交互に見ているのである。しかも全員がたった今の会話の意味を分かっているのは聞かなくても分かった。

 従者一人だけ事情を知らないようである。どうにも落ち着かない。

「というわけでロス。新担当者未確定の件だが、ここにいる面々のうち、皆をまとめられる誰かになる」

 王子は突っ立っている従者に振り向くと、笑顔でサラリと言ってのけた。だが突然の話に従者の方は反応できず、その場に呆けたままである。

 何も発言がないのに不安を煽られたのか、副団長は「ええとまずは、お座りください」と椅子を引くと、おっかなびっくり切り出した。

「いやぁ……思い上がる気は無いですし差し出がましいかとも思ったのですけれど……団長の業務の一部を団員にやらせていただけないかと殿下にご提案を……」

「団員が?」

 ロスの短い返答は副団長の緊張を一気に高めたが、それで? と王子が穏やかに視線で先を促し、まだ恐々ながら副団長は続ける。

「いや、はい。団長があまりに業務が多いだろうって団の中で。それでですね、やっぱり良く無いだろってことになって、甘え過ぎだろ自分たちという意見も多かったので一部任せていただいて——あっ、もちろんご指導は必要だと思うのですが! まぁそうすれば団長の負担は減りますし」

 店の隅から別の団員が言葉を引き継ぐ。

「ほら、俺らももう少し役に立たなきゃいけないだろって」

「じゃあどうするかって話し合って」

「そしたら仕事をこなせばまとめ役になる団員の能力向上にもなるかなー……なんて」

 ポツポツと上がる意見が一通り止むと、全員が沈黙して反応を窺う。王子は笑いを滲ませながらロスの唖然とした顔を面白そうに横目で見た。

「だ、そうだよ団長。大臣とも話したが、負担軽減だけではなく団全体の強化にも繋がるだろうと。もう何人か指導者を増やしておけば他の団の指導派遣もできるといった意見もあって」

 まさかの理由である。予想もしておらず、不意打ちもいいところだ。

「い、いかがでしょうか団長。もう少しお休みになられてはと思って皆で一致した結論で」

 こくこく頷いている団員に取り囲まれて、いいも悪いも無い。一気に力が抜け、ロスの腕が机に落ちた。

「……そこまで心配されたとは……悪い。礼を言うよ——正直、助かる」

 最後の言葉が終わるや否や、店中から歓声が湧いた。



 ***



 城下の中央に立つ時計台が鳴り渡る。澄み切った音色が、日付が変わったことを告げる。

 あれだけ混み合っていた店も一人、また二人と帰途につき、もう数えるほどしか客は残っていなかった。

 王子はゆったりと椅子の背に身を預けると、卓上に残った空の盃越しに向かいに座る相手を眺める。

「見事に潰れたな」

「潰したの間違いでしょ、殿下」

 片付けに入った主人が長机の向こうから突っ込んだ。

「私は酒の強要も追加を勧めてもいない」

「止めてもなかったでしょう」

 それはそうだな、と呟きながら、王子は飲み干された盃と空になった皿を取り上げて椅子から立ち上がった。団員に礼を言った後、こうも誤解したのは普段の殿下の行いのせいだとやけ気味に酒を注ぐ従者から散々愚痴と説教を聞いた後である。

 下げた食器を王子から受け取り、主人は息子を見るように従者に温かな眼差しを向けた。

「あれも若いですねぇ。殿下も言いたい放題言われていましたが」

「まあ疲れているみたいだったし、たまには言いたいだけ発散したほうが良いだろうと思いまして。私もどうも頼ってしまうし」

「結局制御しているのも殿下ですけれどねぇ」

 主人はカラカラと小気味よい笑い声を厨房に響かせる。どうかな、と返しながら王子は他の卓へ移った。

 店内のあちこちから王子が下げてくる食器をあらかた洗い終えたところで、主人は前掛けを外しながら尋ねた。

「で、あれどうします? 朝までこちらで預かりましょうか」

「いえ、それは申し訳ないですから連れて帰りますよ」

「殿下に背負わせたとか知れたらプラエフェット卿の反応が面白そうですねぇ」

「まあそこは黙ってやってください」

 いやいや言ってみたい、と主人はなおも好奇心を引っ込めずにいるが、当の本人はまさか横でそんな会話が交わされているとは知るまい。

 穏やかな夜の涼やかな空気が厨房の換気口から流れてくる。そろそろ秋が近い。新入団員の入団試験も間も無くだ。本当に過酷な日々になるのは、新入りよりも衛士団の上に立つ人間である。

 だが、彼らの長に立つこの若い団長も、今は安らかな寝息を立てている。



——完。


宇部さんリクエスト、顔突き合わせて説教される殿下とロス。終わり。

あ、来ている皆さんちゃんと明日は非番の人たちです。




  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

「あの人の日常や非日常」 佐倉奈津(蜜柑桜) @Mican-Sakura

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ

同じコレクションの次の小説