現代パロディ 最終回 

 カタカタ……カタカタカタカタ……


 ブラインドの外にはもう、闇の空に向かって高層ビル群の明かりがほの明るい光の輪を作り出している。フロアの廊下のライトも半分になった。ただ、幾つも並んだコンピューター室の一室では、ここ数時間ひたすらキーボードを打つ音が途切れなく続いていた。

 起動しているパソコンは一台。モニターに出ていた表が別のデータに遷移する。絶え間なくキーを叩いていた男性の指が止まった。

 ——コントロールとは別のセクションを動かしたのか。データの集積が早い。

 カエルムは表示されている数値の変化を観察しながら、送られてくるデータを手持ちのUSBに保存していく。

 アウロラが転送するファイルは社内取引のリアル・タイム・ログと同時刻のアクセス管理だ。シレア内から両方のデータを取れるはずはなかったが、なにが起こっているのか。

 ——だがいずれにせよ、テハイザこちらのプロジェクト進行と突き合わせれば……

 カエルムはデスクトップ・パソコンの横に置かれたタブレットとデータを見比べる。サイド・ディスプレイに切り替えたタブレットの画面には、テハイザ・グループの社員によるファイル変更記録が写っている。使用許可の降りたテハイザ・グループのパソコンに格納されているモニタリング・システムだ。数値を細かく比較していけば、大体社内の誰がいつ、どのようなデータ変更を行なったかが分かる。管理データは共同プロジェクトに参画しているシレアとテハイザ両方の社員である。

 今回のプロジェクトを両者共同にしたのには、社員の動向を辿り不穏分子となっている者を見極める目的があったのだ。

 ——だいぶ……重鎮の動きが多いな。

 プロジェクトの実働メンバーはそこまで上役ではない。ということは、データ変更を行うのは彼らのはずだ。しかしログとアクセス記録には管理職以上、それもテハイザ・グループのエグゼクティヴが多く関わっている。そして何よりも重要なのは、カエルムの開いているパソコンのデータ——監査に回るデータ——と、アウロラが記録したデータの間に齟齬があるのだ。

 ——シレア側で取引相手として表示されている面々と監査データの内容も異なる、か。もし露呈した場合に一部の社員の名前を出して身代わりにしようと……?

 しかし不自然なほど会長の名は出てこない。テハイザ・グループの中で怪しい動きがあるとは前から分かっていたが、これは内部派閥の間に軋轢がありそうだ。

 このパソコンはプロジェクトのために内部データも含めて自由使用が認められたものである。もし咎められるとしても、むしろこの不審なアクセスが露呈すれば非難を浴びるのは向こうのほうだ。止まることなく更新される情報を取捨選択し、適宜保存していく。

 数分か、もうしばらく経った頃か。カエルムはふと画面をスクロールする手を止めた。瞬時にデスクトップの隅にあるフォルダをクリックし、素早くログアウトする。

「こちらの部屋に忘れ物ですか」

 そのままの姿勢で問う。背中に女性のアルト・ボイスが掛けられる。

「お気づきでしたか」

「こんな時間まで退社していないとは、随分と仕事熱心ですね」

 女性が部屋に入ってくる足音がしたが、カエルムはなおも振り返らずやんわりと返す。すると椅子の背もたれの真後ろに気配がし、次の瞬間には女性の手が肩に置かれた。

「仕事熱心なのはそちらではありません? こんな遅くまでパソコンの前にいらっしゃるなんて」

 媚態を隠しもせず、女性はカエルムの顔を覗き込む。どこか試すような目つきが印象的な美女であった。背は一般女性の平均よりやや高いくらいか。着ているものは他の若い女性社員に目立つオフィス・カジュアルとは異なり、一見シンプルな白のブラウスとタイトスカートであるが、その飾り気のなさがむしろ女らしい体つきを強調している。

「私に何か」

 事務的に問うが、女性は面白そうに続ける。

「何って……お分かりになりませんか? あなたがいらした初日なのですもの。せっかくテハイザでお仕事をご一緒するのなら、親睦を深めてからと思いませんこと?」

 くすくす笑いながら、女性は腰を落とし、カエルムの肩に手を置いたままその耳元で囁いた。

「親睦など、明日から共に仕事をしていれば自然に深まることでしょう」

「随分と真面目でいらっしゃるのね」

「普通だと思いますが」

「あら、普通は初日など疲れ切って休みたいと思うものですわ」

 相手が全く調子を変えないので、女性は唇を尖らせてみせる。

「興味深い業務内容ですから、疲れなどありませんよ。それより御用があっていらしたのではないのですか」

 カエルムは椅子から立ち上がり、女性と正面から向き合った。すると肩に置かれていた女性の手は置き場を失い、かと思えば即座にカエルムの鎖骨へ当てられる。

「お気づきにならないふりをしていらっしゃいますの? 私もお話できたらと思っておりますの。シレアが蓄えたビジネス上の知識に」

 自らの体を触れるか触れないかの位置まで寄せ、吐息混じりに言葉が続けられる。いつしかその細長い指がゆっくりと触覚を楽しむように、カエルムの首元から下へ這っていく。

「それとも……お酒に誘う女性は嫌いかしら」

「いいえ。魅力的な方と美酒に酔うのが悪いとは言いませんよ」

 カエルムの整った顔に笑みが浮かぶのを見て、女性は愉悦を露わにする。「それなら……」と呟きつつ、もう片方の手をカエルムの頬に近づけた。

「ですが」

 あと少しで指が触れようと言う時、その手が否応なく押し離される。

「もう今夜は私の大事な人が、こちらに迎えを寄越したらしいので。それに」

 蘇芳の瞳が先ほどまで見せなかった鋭い光を宿し、射るように女性を見た。

「自らの美しさをビジネスの武器に使うのは構わないが、悪質な取引はいただけない」

 冷え切った声音に女性の顔が硬直し、高いヒールの足が一歩退いた。しかしカエルムに掴まれた手が逃亡を許さない。

「こちらのデータを見せていただきました。随分と巧みに裏取引を隠すものですね。貴女の名前もありましたが」

 ちら、と首から下げた社員証にカエルムの視線が動くのを見て、女性は息を呑んだ。そしてすぐさま社員証を掴み、名前を隠す。

「そう怖がらなくてもいいですよ。他に上がっている面々を見ても、十中八九貴女の意思では無く、上からの命令でしょう」

 女性の手を解放し、カエルムは視線を和らげる。

「データを見た限り、かなり業務に優れた方とお見受けします。でもせっかく秀でた能力をお持ちなら、悪徳商売に使っては勿体無いですよ」

 そう言いながら普段の柔和な調子に戻ってなおも続ける。

「貴女の能力も魅力も、こんな馬鹿げたところではなく貴女自身のために使うべきだと思います。それこそやましい策略のために男を誘うより、貴女の大事な方との時間に充ててはいかがですか。そう望んでいる方も少なくないでしょうに」

 咎めるでも脅すでもなく述べると、カエルムは女性に向かってにっこりと微笑む。するとたちまち女性は顔を赤らめ、目を潤ませたかと思えば、恥ずかしさに耐えられないというように両手で頬を覆って身を翻し、廊下へ駆け出していった。

 ヒールが床を打つ音が遠くへ消え去るのを待って、カエルムは静かに腰を下ろすと、扉の向こうに呼びかける。

「覗きは趣味が悪いぞ」

 開かれた扉の向こうから姿を現したロスは、呆れ顔で主人に諭す。

「どうでもいいですけどね、追い出すんなら追い出すだけでいいでしょう。自分の会社の乗っ取りに加担した相手までも色仕掛けで落とすのはやめましょうよ」

「ん? 何もしてないが」

 またこれだよ、この人は天然で会う女性ひと軒並み落としてくからなぁ……と、ロスは今日の業務中に見た女性社員の反応を思い出してうんざりした。たちが悪いのは、本人に幾度か問い正したところ全く自覚が無いところである。取引相手の心情や社内の人間関係に関してはやたらと気が回るくせに。

「もうどこから指摘していいのか分かりませんよ。女性への優しい言葉は注意して使って下さい。貴方の言動は立場上、心底、心配になります」

「心配するのはそこか? 酷いな、拉致られそうなった上司に向かって」

「そっちは心配する必要が無いからです」

 冗談で返す上司にロスは努めて厳しく断言する。実際、カエルムがああいうたぐいの色香にほだされるという懸念などロスには皆無だった。また先の女性のレベルならシレアがしばしば業務を依頼する組織K崎の幹部には及ばないだろう。どのみちカエルムの相手ではないが、少なくともK崎女史の方が我を殺し標的を狙う能力ならば恐らく上だ。

 しかし来てしまったらついでに、立場上、聞き捨てならない面倒なことまで耳にしてしまった。

「大事な女性って誰ですか」

「今聞くところはそこか?」

「当たり前でしょう」

「安心しろ。妹付きのメイドではないから」

「御曹司」

 付き合いも長く共に過ごす時間も多いロスが小言を並べることもたびたびあるとは言え、珍しく本気で怒気のこもった声音に、カエルムは素直に謝った。

「悪い。ふざけすぎた」

「……いいですけどね……それに、貴方が歳上趣味じゃないことは知ってますから」

「その前に向こうが相手にしないだろう?」

「いい加減にして下さい……ったく、あんたがあーいう発言するのは大問題なの分かってます? 特に社外で!」

 はは、と答えの代わりに爽やかに笑うと、パソコンの横に置かれたスマートフォンが着信音を鳴らした。カエルムは画面を指で弾き、紅葉のアイコンとともに浮かび上がったメッセージのポップアップをスワイプする。

「さすがちょうど良いタイミングだな」

 メッセージを確認すると、カエルムはブラインドの間を指で少し開いた。テハイザのビルの前に黒塗りの車が停車し、テールランプが夜闇の中で光る。

 椅子の背もたれに引っ掛けてあったスーツ・ジャケットを取り上げ、カエルムはロスの脇を抜けて扉へ向かった。

「行くぞ、迎えが下に来ている。このデータがあれば、明日にでも決着はつくさ」

 ジャケットの袖に腕を通しながら廊下に出ていく上司の背中を見たまま、ロスは今しがた聞いた着信音と先ほど交わされた会話を繋げて脱力する。

 ——大事な女性って……あの妹馬鹿……

 ロスも聞き慣れたが用意したの車は、テハイザと繋がりがあると言われている裏組織の邪魔を排除して二人を無事に本社へ連れ帰ってくれるはずだ。恐らく本社で待つ妹が何らかの手を打ったのだろう。だとすれば解決は早い。

 先に出た上司の冗談にどんな文句を言ったらいいのか頭がまとまらないまま、ロスはカエルムを追って足早に部屋を後にした。


 ——スピンオフ、了。


 *ちなみに肥前ロンズ様原案

「国内有数の会社として有名なシレア商社には、代表取締役の座についた若き経営者・カエルムがいた。

 一方、その妹アウロラは、兄と会社を支えるために、アルバイトとして支店のパワハラや横領を告発したりしていた。

 しかしある時、シレア商社を支える情報システム『時計』が異常を示し始めた。

 解決に奔走するアウロアがそこで出会ったのは、自分と同じ顔をした派遣社員・ウェスペル。


 調査に乗り出す2人に、ハゲタカファンドとして有名な『テハイザ』の手が忍び寄り、衝撃的な結末が訪れる!」

 でした。ありがとうございます! 本編に沿って変えさせていただきました。そのままで作れず、の点はごめんなさい! しかしアウロラが不正管理という設定を入れたくて以上のようになりました。楽しかったです。感謝。そしてすいませんKsakiを巻き込みました。


 本編と比べるとセリフが被っています(ということはネタバレ?)

 →第一作 https://kakuyomu.jp/works/1177354054889868322

 第二作 https://kakuyomu.jp/works/1177354054891239087


 ひとまず、これにて現パロ終了です。見直しておらずですが、楽しみ楽しみ書けました。

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