失恋からの立ち直り方(シードゥス)〜後編

 ヒュッ——バスッ


 空を切る音に続けて小気味よい響きが朝の訓練場に木霊する。見事中心に刺さった矢の弾みに的が軽くしなり、しばらく揺れて止まった。


「距離はこのくらいでいいだろう。次、やってみな」


 ロスは弓を下ろして隣で見ていたシードゥスに場所を譲った。弓を受け取ったシードゥスは、何がなんだかといった様子で空けられた立ち位置へ身をずらす。


「訓練場って言うから剣かと思ったんですけど……」

「うん? まあ俺も久しぶりだけどね。得手は多い方がいいし、経験くらいはあるんだろう」

「ありますけど……」

「じゃあ基礎は必要ないな。ほら」


 あれで久しぶりかよ、と思いながら、シードゥスは渡された矢をのろのろと弓につがえた。薄れた記憶を辿りながら腕をひき、弓が限界まで大きく弧を作ったところで手を離す。


「あ」


 勢いそこそこに飛んでいった矢は的のわずか横をすり抜け、後方の木にぶつかって落ちる。


「離すときに腕がぶれたな。姿勢はもっと真っ直ぐに」


 もう一度、矢をつがえ、腕を引き、打つ——また矢は的を過ぎて落ちる。


「力が入りすぎ。もう一回」


 的を見据え上体を静止させて再び矢を放つ——今度は的の端にぶつかった。


「筋はいい。続けてやってみろ」


 別の矢を渡され、弓につがえる。背筋を伸ばし、照準を合わせ、打つ。手から離れた矢はまた的を掠って落ちた。今度はさっきよりも中心寄りに飛んだと思ったのに、その期待もほんの一瞬だけのものだった。


 ——所詮は、夢みたいなものだったのかな。


 彼女と出会って一緒に過ごした時間は、ほんの数日だった。


 指を離して飛んだ矢が、的に当たって落ちる。再び姿勢を正す。的に視点を定めたはずなのに、彼女の顔が浮かぶ。



 手を伸ばせばすぐそばにいたのに、危険な目に合わせて、怖がらせた。

 自分でも理由がわからないけれど愛しくて、守りたくて、やるせなかった。



 風音が空間に抜けたのち、鈍い音がたつ。手応えを感じたが、当たったのはまた的の端だ。



 彼女も、触れたと思ったらすぐに自分の前から姿を消した——もともといるはずがない幻のように、手を離したらもう会えなくなった。


 目を細めて的を見据え、また矢を放つ。



「頭の中、静かになるだろう」


 弓が虚しくしなった後で、ロスが口を開いた。顔を正面から離して見ると、ロスの方は的の方を向いたままだ。


「いや、むしろなんかしょうもなく考えちゃうんですけど」

「それでいい。考えは浮かんでも、いつもみたいにぐちゃぐちゃもつれたり、自棄になったりはしないだろう」


 シードゥスの方は向かないまま、ロスが静かな口調のまま続けた。


「普段、表向き飄々としてみせてるけど、お前は思い詰めるからな。だけど根っから真面目だし、仕事の邪魔になるとかなんとか、頭の中に浮かんだら必死で消そうとするから消化もできない」


 言い当てられて黙っていると、ロスがシードゥスの顔を見て微笑した。


「的に集中すると頭の中も集中する。もつれたままのものに向き合うにはちょうどいい」

「むしろ、これいつまでも向き合ってたらだめじゃないですか」

「向き合わないと解けるものも解けない時があるからさ」


 木立の中で小鳥が飛び立ち、葉が揺れた。


「別に消したり忘れたりする必要はないんだ。しばらくは楽じゃないけれど。じゃあこの後どうしたいのかとか、あの時あれでよかったのか、とか、的を見ていると自分の気持ちも見えてくる」

「そういうものでしょうか」


 ロスは頷いた。


「考えが浮かんできたら考えに任せてみろよ。しばらく続けて的に当たるようになってくると、今度は逆に無心になる」


 新しい矢を投げられて受け取り、的に向き直る。


「少し当たるのが続いて慣れてきたら、また考えが浮かんでくる。その繰り返しだ」


 足の角度を注意され、言われた通りに身を正す。そしてもう一度、矢を放った——また少し、矢が中央に近づいて的に刺さった。

 先よりも澄んだ音が空に突き抜ける。

 朝の風が気持ちよく髪を遊ばせる。


「ロスさん」

「うん?」

「ありがとうございます」

「礼は別の人に言うんだな。理解できないでもないけど、あまりに避けるとあの方も気の毒だよ」


 言わんとすることがわかり、シードゥスは顔を赤らめた。視線を逸らしたロスの気遣いが正直ありがたい。


「どうしようもない気持ちの時は、剣振るよりこっちの方がいい」


 そう言うと、ロスは笑いを含んで立ち上がった。


「悩むだけ悩んで、悩みきったらいつの間にか落ち着いた気持ちで思い出すものになるさ」

「そう、ですか……」

「まー、俺は失恋なんてしたことないから参考になるか知らないけどね」

「なんですかそれ」


 冗談めいた言い方に、シードゥスも思わず小さく吹き出した。するとつられたような笑い声と一緒に、新しい矢を渡される。姿勢を改め、再び弓を掲げる。矢の軌道を思い描き、指を離す。



 パスッ……



 ぶれのない響きとともに、時計台の鐘の音が鳴る。


 またいつもの一日が始まる。秋はじき終わり、冬になる。日は過ぎ、時間は流れて、やがて春が来る。

 花が美しく咲き誇る頃には、この気持ちも暖かなものに変わるだろうか。


 シードゥスは改めて背筋を伸ばし、的を見据えて新たな矢をつがえた。


 ***番外編(シードゥス)了***


 作者お遊びの気軽な番外編でした。


 いったい彼に何が、と言うことはこちらの本編で詳細をどうぞ。

『時の迷い路』

 https://kakuyomu.jp/works/1177354054889868322


 この番外編は、Twitterでいただいた「アーチャー・シードゥス」案を元に生まれました。如月さんありがとうございます。





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