二十四話 北府への旅2


 会話しながらスムーズに進めた浮動車ふどうしゃ区画に別れを告げて、椎名たち三人は森の入口に立っていた。先頭に立つシウラが振り返る。


「道はある程度整備されているが、同じ種類の木々が並ぶ。方向感覚が狂いやすい。俺の姿を見失ったらすぐに声を上げてほしい。なるべくゆっくり歩くようにはするが……」

 そう言って、少し目線を落とす。ヒウチは申し訳なさそうな雰囲気を出すシウラに対し、明るく声をかけた。

守護者しゅごしゃつどいが持ち回りだったとき、私がどれだけ楽をしていたのかがよくわかるな。初めての山歩きを楽しませてもらうよ」

「そういってもらえると、ありがたい」

 シウラは顔を上げると、森のほうに向き直った。

「行くか」

「ああ」


 シウラが言うとおり、森の中は思ったよりも道らしい道があり、足を置く場所に困るようなことは無い。ただし、両脇の木の根がはみ出してきていたり、地面からこぶし大の石が突き出ていたりするので気を抜くと転びそうになる。シウラ・椎名・ヒウチの順で縦一列に並んで進む。

 ヒウチの数歩前を慎重に歩きながら、椎名はさきほどの疑問を投げかけた。

「ヒウチさん。“守護者の集いが持ち回りだった”と言っていましたが、北府に行ったことがあるのですか?」

「ああ。この前シーナも参加したように、今は各守護府しゅごふ通信盾つうしんたてで繋いで集いを行うが、あれはミネ……西の守護者しゅごしゃが開発した特殊盾とくしゅたてだ。通信盾ができる前は、各守護府が持ち回りで行っていた。だから私は、全ての守護府に行ったことがある」

「でも、山の中を歩くのははじめてなんですよね?」

 椎名が問いかけると、ヒウチが得心とくしんしたように頷いた。

「そうだ。守護者の集いで北府に行く時は、海から回っていったんだ。東府に寄って、守護者のトカワと一緒にな。トカワは浮盾うきたて……水の上に浮かび、方向を操作する盾の使い手だ。彼の浮盾に乗せてもらっていたから、移動はすぐだったし、障害物もなかったんだ」

「海、ですか」

 椎名は元の世界現界の交通網を思い浮かべた。海路よりも陸路のほうが早そうだが、電車も車も無いこの世界鏡界では、確かに海を進んだほうが早いのかもしれない。


「浮盾そのものに乗ってきたわけではないだろう?いくらなんでも、トカワ殿がひとりであの距離を操作されるのは無理があるだろう」

「ああ。手ごろな船を借りて、それに浮盾の力を付した。私には使えないからよくわからないが、そうしたほうが力の消耗を抑えられるらしい。船をそういう風に調整しているんだと。帰りは浮盾が使えるカササも一緒だったから、もっと楽だったみたいだな」

「それは、浮動車と同じ原理なのではないか?水上で同じことをするのは、確かに使うのが浮盾だと使用者が限られるが。検証できれば、海が多い東府と南府で活用できそうだな。北府でも、使えれば移動が楽になりそうだ」

 口を挟んだシウラは、小さく頭をかしげた。

「トカワ殿と船を借りたと言っていたが、すでに東府では普及している技術なのか?」

「詳しくは聞いていないが、トカワはよく使っているらしい。帰り、カササとミネが必死に原理を突き止めようとしていたから、東府独自……というかトカワ独自の技術かもな」

「トカワ殿の独自開発か。それは……解明に時間がかかるな」

「ミネと違って天才肌だからな」

「違いない」

 ヒウチの言葉に、シウラが深く頷いた。通信盾越しに見た穏やかで、マイペースで、到底土地の権力者には見えなかったトカワもやはり高い能力を持つのだと知り、椎名は空恐ろしくなった。


 ——わたしはたまたま鏡界に来たとき、ヒウチさんに助けてもらって、守護者の皆さんにも受け入れてもらえているけれど。もし、助けてくれたのがヒウチさんじゃなかったら。これだけの力がある人たちと敵対していたかもしれない。そうしたら、こんなにも居心地のよい生活を送ることもできなかった——


「そういえば、シーナは幻界げんかいで生まれ育ったと聞く。こちらの生活は、大変ではないか」

 ふと問われ、椎名は即座に首を横に振る。前を歩くシウラには見えていないと知りつつも、首を動かさずにはいられなかった。

「いえ!むしろ新しく知ることばかりで、楽しいです。確かに、ヤタノカミだったり、大変なことはあります。でも、盾を勉強したり、中央府の皆さんから生活の話を聞くのは新鮮です。『スナの手記しゅき』の解読も、読んでいるだけですが面白くて。わたしが好きでやっていることが、皆さんの役に立つのでやりがいがあります」

「そうか。それならよかった。もし居心地が悪く、辛いと言っていたらヒウチ殿の管理責任になるからな」

「えっ、そんなつもりはありません」

「だから問題ない。冗談だ」

「シウラ、わかりにくい冗談はよせ。お前がこの件で管理責任を言い出すと、冗談に聞こえない」

 後ろでヒウチが小さくため息をつく気配がした。

「ああ、そんなこともあったな。だが今は問題ないのだろう?『スナの手記』も、解読はほぼ終わっているのではないか」

「ああ」

 ヒウチは首肯してから、足を止めずに椎名の肩に手を置く。椎名はつんのめりそうになりながら、どうにか歩き続けることに成功した。

「シーナは最後まで読んで、内容を知っている。だが、翻訳はまだだ。少し気になることがあってな。あとでシウラに報告しようと思っていた」

 椎名は肩をこわばらせた。ヒウチの話にうそは無い。椎名がヤタノカミの攻撃を受けた後、ヒウチは翻訳の中断を提案した。正確には、シーナの音読の場に筆記者のオウウを呼ばなくなった。椎名はその理由について深く聞いていなかったが、ヒウチがオウウとヤタノカミのつながりを疑っているのは明らかだった。


「そうか」

 しかし、シウラはそれだけ言うと話を突っ込んで聞こうとはしなかった。

「そういうわけだから、北府についたら時間を取ってもらってもいいか。この旅も含め、長いこと拘束して申し訳ないが」

「わかった。着いたら部屋を用意させてもらう」

 だから、だろうか。ヒウチもシウラもその場で突っ込んだ話をせず、あっさりと予定をまとめた。しかし。


 ヒュッ、カツン


 空気を切り裂く鋭い音と、モノがぶつかる軽い音が続けて鳴る。椎名には、何が起こったかわからなかった。しかし、目の前に立つシウラが腰を低く構えているので気づく。


「ヤタノカミ、ですか」


「出てこい」

 シウラが低い声で凄み、周囲を見渡す。あまり響く声ではなかったが、襲撃者ヤタノカミには聞こえたらしい。瞬間、細い吹き矢の針が四方八方から飛んできた。


「オーバル!」

「っ、何人いるんだ」

 山に入る前に言われた通り、椎名は自分を守るための盾を出した。時折飛んでくる吹き矢がカツン、カツンと当たっては地面に落ちる。しかし、その数は片手で数えられる程度だ。大半の矢は、椎名のもとへ到達する前にシウラによって。彼は見たことのない細い、青く光る剣を手に持っている。

 ——シウラさん、どこから剣を出したんだろう——

 シウラは剣を大きく動かしているわけではない。手首をわずかに回すだけで殆どの矢を弾いてみせる。椎名に向けられていた矢は、次第にシウラ一人に集中し始める。さばき切れなかった矢が彼の頭上をかすめ、群青色の髪が何本か宙に舞った。

援護えんごする!」

「ヒウチ殿は背後の守りを!俺は大丈夫だ」

 ヒウチは叫びながら黄緑色の十字の盾クロスを生み出し、なおもシウラに迫る吹き矢を数本破壊する。


「っ後ろ!オーバル!」

 ヒウチがシウラの加勢に入った一瞬、すぐそばに迫る気配を感じて椎名は振り向きざまに叫んだ。ヒウチの前に橙色の盾オーバルが生まれ、接近していた黒い影を弾き飛ばした。

「すまん!助かった」

 ヒウチは慌てて後ろに向き直り、うづくまる黒い人影をちらりと見やる。黄緑色の巨大な×印が黒い影の上に生じ、押さえつけていく。影は苦悶の声を上げ、あおむけに倒れた。なおも胴体を押さえつけるように、×印が残り続ける。

「これ、クロスですよね」

「ああ。殺傷の力は無いがな。関節に少しくいこませている。自由に動くことはできない。周りの警戒を続けよう」

「はい」

 影は手足を動かそうともがいているが、ヒウチの言うとおり起き上がることはなさそうだった。


 ドサッ、ドサッという鈍い音が続き、椎名は振り返る。


 矢が尽きたのか、陰に隠れていたヤタノカミたちが次々に飛び出してきた。それをシウラは素早くいなす。椎名が目を向けた時にはすでに二人が倒れていた。なおも囲まれると歩道脇に向き直るや二、三歩太い木を駆け上がり、上から切りかかる。飛び降りるとき、彼の両手に剣が握られているのが見えた。


 ——二刀流——


 飛び降りざまに一人を倒し、倒れかける肩を押して対面にいる影にぶつける。と同時に、横から来た相手に左の剣を向ける。手首で受け止める相手に視線を向けながら、将棋倒しを免れ起き上がりかける影を右手で薙ぎ払う。再度よろけた影に蹴りを入れ、傾いた重心をそのままに左の相手に剣を押し込む。今度こそ右手の影は倒れ、1対1のつばぜり合い(相手は素手だが)となった。


 わずかにシウラが剣に込めた力を抜く。相手が前によろめく。間髪を容れずに前に引っぱり出し、肘で背中を押し込む。顔面から地面に倒れた相手の背中に足を乗せ、首元に左の剣を向ける。


「一応確認する。お前たちは、なぜ攻撃してきた」


 地に伏せた影は何も答えない。シウラは小さく首を振り、背中の1点を強くついた。一度びくっと動いた影は、力を失ったかのように手首をだらけさせる。彼の周りで、動く者はひとりもいなくなっていた。

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